1946 年  7 月 20 日 ニュージーランド ウォークォースに   生まれる。 

1964 年 オークランドのクラブで演奏を始める。 

1965 年 オーストラリア ゴールドコーストに移り、バンド活動をする。  

            メルボルンと行き来しながら多数のバックアップの仕事をする。

           オリビア・ニュートンジョン   ビージーズをはじめとする、世界的にも活躍するアーティストも数              多く いる。 

1956 年 メルボルンに移り、バックアップ活動をしながら 音楽学校にて、チェロ、作曲、編曲、ボーカル                 写譜を学ぶ。 

1972 年  4 月、ディスコバンドとして来日。その折に、アイ・ジョージのマネージャーと出会い 「ザ・ジャ             パニーズ」のメンバーとなる。 その後、スタジオミュージシャンとしても多くの 活動をする。 

1980 年 「パラシュート」を結成。 

1984 年  森下昇氏に出会う。 
            数カ月後に尾崎孝氏、松本亮氏に出会う。「フレンズ」をスタートする。

           このユニットで 数多くのカントリーアーティストのサポートをする。 
 

「フレンズ」は、常にインスピレーションを与えてくれるものであり、 このアルバムのプロジェクトは、これまでの経験を確認するものでした。 
最後に、今まで「フレンズ」に関わって下さった方々、そして、今回の アルバムには参加されなかった方々も含め、この方々を無くしては このアルバムはなかったと思います。 日本のすべてのカントリーファンの皆様に、心から感謝申し上げます。 


 

この文章は、MZMCD制作時にマイク・ダン本人が書き下ろしてくれた自分のプロフィール

これが英文で届いた時は、訳しながら涙が出るほど嬉しかった

私がCD制作にかけた思いを彼ほどわかってくれた人はいないかもしれない

今でも、そんな気がする

 

東日本大震災のあった年の4月に発売になったためか、震災の話題と共に

CD制作時の思いが重なる

 

私は彼のベースの音が大好きだ、ほかの人をたくさん知っているわけではないけれど

あの重低音を聴くと心が震える思いがする

 

 

プロフィールにはなかったけれど、これも伝説のバンド「SHOGUN」

オンタイムは全く知らないけれど、若々しい音がするなあ

 

 

写譜の勉強をしていたという彼の譜面は印刷されたように美しい

MZMの時も、ほんとなら1枚¥???というような金額が発生するものを

自ら何枚も書き下ろしてくれた




MZMCDでは、ベースだけでなく、歌も歌ってほしいというと、最初は“僕はベーシストだよ!”と

躊躇していたけれど、どうしても…といってレコーディングに参加してくれた

おまけに、急きょ決まったデュエットにも快く承諾してくれて

この歌は、後々CDの目玉にもなった

 

今やCountry界を牽引するほどに成長した女性シンガー坂本愛江さん

まだ初々しい歌声の彼女、初レコーディングがこのMZMCDだったのだ

一度も合わせたこともない二人は、マイクのリードで素敵なものになった

デュエットというものは、難しいものだ、こんな風に数回で出来上がってしまうなどとは

めったにお目にかかれない、それだけに二人の力量が本物ということだろう

 

このPV撮影も、マイクを何とか口説き落として、目黒VANスタで撮影したのだ

照れながら、愛江さんをちゃんとサポートするマイクが素敵だった

 

 

孤高に日本で奏で続けるベーシスト

2014年夏に閉店してしまった銀座ナッシュビルで、彼と話したことがある…

 

ー今、一番やり残していることは何?

ー自分の作曲したものを残したいんだ…

 

彼は忘れてしまっただろうか…

 

本物の音を残したい

 

雑魚はいらない、残すべきものが残っていく

 

マイクへ

私は実現したい、今でもそう思っているよ…