みんさん知ってますよね…最後はデーモン小暮閣下 聖飢魔Ⅱ構成員紹介 | 音楽と猫とティータイム

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Rock大好きだけど、知識ZERO
素人みたいな私だからこそできる私目線のミュージック紹介ブログです
日本ではあまりきかないようなアーティストも紹介していきたい

自称紀元前98038年11月10日 。桐蔭学園高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。姉はTBSテレビの小暮裕美子。

ヘヴィメタル楽曲歌唱を中心に幅広く活動音譜
金色の髪を派手に逆立て、白色を基調とした(イメージとしては歌舞伎やアメリカのロックバンド・KISSに近い)顔貌をして、それが自身本来の悪魔の姿で、「神ゼウスによって約10万年もの間地獄に封印されていたが、ゼウスの封印力が弱まり再び蘇り、人間界へと降り立った。「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区(東京都渋谷区)出身」となっています
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NHKの大相撲中継にゲスト出演した際に、実況アナウンサーにその出自等を公表されている。悪魔としての本名は地球上では可聴音域で発声できない(発声しても口パクにしか見えない)ということだそうで…どんな本名なんでしょう(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
聞こえたり、わかったら…私も悪魔ってことですか!?!?!?


世を忍ぶ仮の小学時に広島市で布教活動歴があり閣下自身、人間界の故郷は広島とおっしゃってます。自身が公私混同を非常に嫌がっていることから人間としての側面はあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であり、本名・家族・生い立ち等については積極的には公表していません!!

地球デビューからしばらくして『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際は年齢を「10万24歳」と答え(=◇=;)、司会のタモリから「ダンプ松本は友達か?」と聞かれ、悪魔の姿のまま電車に乗っていたらダンプ松本に間違えられたことがあると答えたらしいです(゚Ω゚;)。
元地獄副大魔王にして悪魔教教祖で、布教に努めた結果西暦1999年12月31日に「地球征服する」と宣言し、「魔暦元年」と定め、公約通り「地球征服」を完了し、解散。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

顔色が白いのは、メイクではなく素顔あせる。「メイク」が一部落ちているとの指摘に対しては、鱗粉のように剥がれることもあると説明…
洗顔ソープのCMに出演して顔を洗うシーンがあったが、素顔はいっさい変わっていなかった。

TBSの記者・キャスターを務めた小暮裕美子は世を忍ぶ仮の姉(実姉)で、幼少時から現在に至るまで、地上で唯一口喧嘩でかなわない相手
学生時代、姉が学園祭でロック・クイーンになっている勇姿を見て「コレだ!」とのヒントを得たということが閣下の目覚めのきっかけだそうです…
姉の結婚式には、そのままの出で立ちで列席したとかしないとかあせる。閣下自身が公私混同を非常に嫌がっているので披露宴に閣下は出席する予定はなかったが、急きょ悪魔の“素顔”で出席した。


父は銀行員であり、帰国子女として日本に帰国する以前の幼少時は、日本語よりも英語のほうが上手かったらしい。
取材でアメリカ在住時に通っていた小学校に悪魔の姿で訪問した際、その姿を訝しく思った校長に「君、college(単科大学ないし専門学校)くらいは行っているよね?」と聞かれ、「University(総合大学、自身が通った早稲田大学のこと)を卒業してますよ」と答えた途端、その校長は生徒に向って「彼はこんな格好をしているが、ちゃんと勉強して大学に行っているんだ」と言ったそうですΣ(~∀~||;)校長…さすがです!!


怪獣やヒーロー等、特撮フィルムのキャラクターについての造詣も深く、ゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した実績を持つ( ´艸`)
在学中早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム観衆全員からの喝采を浴びたことでも知られるそうです。
フォークソングクラブに所属していて、「走り幅跳び」や「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組んでいたことも…この紫馬肥にはルーク篁参謀もいたそうです音譜
同学の先輩であるサンプラザ中野がバンド爆風スランプを結成するのに伴い、中野の後を継いで「スーパースランプ」の2代目ボーカリストに就任している。

自身の早稲田大学卒業式にありのままの悪魔の姿で出席したため、大学職員に制止され「これは悪魔の正装だ!」「みな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。吾輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ!」との発言を繰り返し強硬に押し切ったところ、通りがかった知らない教授に「最近は君のような気骨のある学生が少なくなった」と激励を受け、共に記念写真を撮った、というエピソードをもっているそうです!!


ライブでの負傷

1986年夏、岡山県蒜山高原で行われた「蒜山ロックフェスティバル」にて、オープニングの「創世記」で野外ステージの屋根上に登場した閣下は、屋根からステージまで数メートルを飛び降りて登場する予定だったが、機材セットに衝突して脚を骨折( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
その後、負傷したにもかかわらず当初の段取り通り演奏に突入し、「THE END OF THE CENTURY」終了直後に信者(ファン)に対して「蒜山高原の諸君元気か!!吾輩は元気でなくなってしまった」と言い失笑を買う。しかし「吾輩はこのミサを全うする」とMCを行い、激痛に耐えながら(マイクスタンドを杖代わりにして)説法を含めた二十分強の公演をこなした。さすがに悪魔組曲での天地逆転唱法(三点倒立で歌う)は行わなかったが、最後に「本日は申し訳なかった、この借りは必ず返す」と言い残し病院に直行した汗汗汗

その後、負傷した脚部を「改造手術」(人間界で言う「治療中」)し入院。その病室で、見舞いに来た者を労うために、付き添っていた実母に対して「まぁまぁ梨でも剥いてあげたら?」と依頼したことが、当時宝島社の編集者であった映画評論家、町山智浩により「ママぁ、梨剥いてー」と実母に甘えてせがんでいたとの都市伝説となった(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
デーモン自身がのちに著した書籍では、梨は皮ごと食べるので「梨剥いて」などと言うわけがないとも語っている。実母は閣下の「悪魔ぶり」を否定するどころか、普段楽屋を訪れた際に関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶するそうです合格

それでは、閣下の歌声はいつもアップしていますので、この改造手術後の閣下の貴重な映像をそうぞラブラブラブラブラブラブ