暑い日が続きますね。

くれぐれも、ご自愛下さいますように。^^

 

 

実は、今日は、すこし悲しい物語の掲載になりました。

いつもと掲載とは、まったく違った内容に、なっています。

読み進めて頂いて、嫌な気持ちになられる方は、

どうぞ、遠慮なくスルーをして頂ければと思います。

 

 

 

     

 

 

 

 

雁風呂(がんぶろ)

 


「鴈風呂や あはれ幾羽の あたたかみ」 (文岱)

 

 

 

雁風呂は、古くから青森県の外ヶ浜地方などに言い伝わる
ひとつの伝承のようなものだと思われます。

 

秋になると、雁(かり)が、咥えてきた木の枝を、海の上に浮かべて休息し、
また、それを咥えて、日本へとたどり着くのだそうです。
日本の海岸までたどりつくと、海上で休息する必要はなくなるため、
必要がなくなった木片は、そこで一旦落とされるのだといいます。
そして、やがて春になると、雁は落としておいた木片をふたたび咥えて、
海を渡って、帰っていくのだと考えられていました。
なかには、体力の限界を超えるものや、過酷な環境のなかで力尽きて
しまうもの、病気など、離脱をよぎなくされる雁が現れるのだと想像されます。
長い旅立ちの季節が終わり、もう雁が来なくなっても、海岸には、

まだ残っている、いくつかの木片があります。
「それは日本で死んだ、雁のもの」であるとして、供養のために、
旅人などに、流木で焚いた風呂を振る舞ったというのが雁風呂の

言い伝えになって、今でも語り継がれているのです。

 


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これをもとに短い文章を作ってみました。

 

 

「雁風呂物語」

 


春の季節が終わるころ、浜辺にはいくつもの細い枝が散乱していました。 
緩やかな弧を描くその浜辺には、小柄な老婆の姿だけがありました。
頭を被う頬かむりは、ときどき吹く強い風で、バタバタとします。
老婆の髪は、ほとんどが白髪になっていました。
腰をかがめ、枝を拾っては、抱え込み、また打ち上げられた枝を拾います。
砂浜の砂の上には、老婆の歩幅である狭い足跡が連なりました。
老婆の家は、その浜辺から、海岸道路を挟んだ向こう側の、
山が押し出してきた、際のところに建てられていました。
部屋数もない、本当に小さな家でした。
潮風に傷められ、外装のトタン板は赤茶け、いたるところが腐食していました。
もう三十年も前から、老婆はこの家に一人で暮らしてきたのです。
ときどき、訪ねてくる人がいれば
「息子は、東京で、会社ばしてる」
と、自慢げに話しをしていました。
老婆は、今日集めてきたばかりの木の枝を揃えて、木盥の風呂に火を入れます。
風呂の釜は、燃える炎の明るさで、見る見る明かるくなりました。
薄暗がりに、老婆の顔の正面が、ぽっかりと浮かび上がりました。
老婆は、小声で、ぶつぶつと唱えながら、浜辺から拾ってきた枝を
ひとつ、ひとつ、釜へとくべていきます。

 

それからしばらくして、老婆のもとに一通の手紙が届きました。
手紙には、「なんとか工面ができたので、このお盆には帰る。」
と、記されていました。

東京で暮らしている息子からの手紙だったのです。


しかし、浜辺にも、畑にも、もう老婆の姿を見つけることはできませんでした。

 

 

 

読んで下さった、どうもありがとうございます。

感謝です!^^

 

それでは、今日がいい一日でありますように!^^