成毛 滋(なるも しげる、1947年1月29日 - 2007年3月29日)
シャドウズやベンチャーズの影響を受け、高校時代よりギタリストとして、自らのバンド、フィンガーズを率いて活躍。
1967年にプロとして「フィンガーズ」でデビュー。
GSグループとしてデビューしたものの、この頃、アメリカ帰りの友人から「フィルモア・イーストで、今、一番人気のあるアーティスト」として、クリームのテープを手に入れた成毛滋は、そのサウンドに驚嘆し、「クリームの素晴らしき世界/Wheels of Fire」を日本未発売の段階で入手しています。
「花模様のシャツ来てGSやっている日本」にばかばかしさを感じ、事務所に「やめさせてくれ」とお願いし、フィンガーズを1669年に解散し、渡米しウッドストック・フェスティバルを体験(その様子を創刊間もない、ニューミュージックマガジン1969年10月号11月号に掲載)、また「ブラインド・フェイスを観るため」に渡英し、日本とのスケールの違いに圧倒され帰国。
帰国後は、日本でも着やすくライヴが見られるようにとミッキー吉野と日比谷野音にて「10円コンサート」を実施、その後も日本のロックの向上のために様々なイベントを手掛けます。
その後、「ジャックブルースかぶれ」だった柳ジョージ、渡辺貞夫バンドにいた角田ヒロとともにジプシー・アイズを結成。
このジプシー・アイズこそ、成毛滋の理想とするバンドでした。
ところが、柳ジョージが生活のためにゴールデン・カップスに加入したことから、ジプシー・アイズとしては、公式にリリースされた音源はなく、まさに幻のグループとなってしまいました。
成毛滋と角田ヒロによるバンド”ストロベリー・パス”が1971年が6月25日にアルバム「大鳥が地球にやってきた日」の1曲目、「I Gotta See My Gypsy Woman」では、柳ジョージがゲスト・ボーカルとして参加、幻のジプシー・アイズを聴くことができます。
【大鳥が地球にやってきた日 / ストロベリー・パス】
*ジャケットは人気漫画家であった石(ノ)森章太郎
【I Gotta See My Gypsy Woman / ストロベリー・パス(1971)】
作詞・作曲・編曲:成毛茂
ギター・ハモンド・オルガン:成毛茂 ドラムス:角田ヒロ ベース:江藤勲 ボーカル:柳ジョージ
その後、高校生ギタリストだった高中正義をベーシストとして迎え、角田ヒロとともに「フライド・エッグ」を結成。
1972年4月にファーストアルバム「Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン」、1972年12月には、ラストとなるセカンド・アルバム「グッド・バイ・フライド・エッグ」をリリース。
【Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン / フライド・エッグ】
【Rolling Down The Broadway / フライド・エッグ】
作詞・作曲・編曲:成毛滋
この頃はリック・ウェイクマンやEL&P全盛のキーボードが主役のロックの影響を受け、キーボーディストとしてEL&Pの「タルカス」に対抗すべく、「オケカス」という曲もリリースしています。
解散後は再び渡英、「ロンドンで通用するようになるにはキース・エマーソン、リック・ウェイクマン等とわたりあえるぐらいにならなければ」と、更にキーボード・プレーヤーとしての腕を磨き、1975年に帰国した際、フジテレビの「ミュージック・フェア」に出演、素晴らしいキーボード・プレイを披露してくれています。
【Alone In My Room PartⅢ / 成毛滋(1975)】
成毛滋は、安価なエレキギターにもこだわり、フェンダー・ジャパン、イシバシ楽器へのへの全面協力、グレコのエレキギター購入者特典「成毛滋のロックギター・メソッド」と題するカセットテープへの協力など、日本におけるエレキギターの普及にも尽力を注ぎました。
彼のギター・テクニックの片鱗が垣間見れるビデオも残されています。
【寺内ヘンドリックス / 成毛滋】
後半は特に必見です!
「ハンマーで叩いてハンマリング・オン」
恐るべし成毛滋!
裏方として、CM制作やバンドの影武者として活躍したものの、アーティストとしては、10年未20年も早すぎた存在で、レコード会社も成毛のサウンドを理解できず、レコーディングはするもののリリースまで及ばなかった作品が多く残されています。
1997年に開催された高中正義武道館ライヴの「虹伝説2 過去へのタイムマシーン」では、久々にフライド・エッグとしてステージに登場、昔からのファンを狂喜させました。(CD、DVDがリリースされています。)
晩年は、身体を壊して手が効かなくなり、楽器を弾くのも困難な状態になるも、持ち前のバイタリティで徐々に復活。これからという矢先の2007年3月29日に60歳と言う若さで大腸がんで逝去されています。。。
日本のロック黎明期の60年代末から70年代初頭にかけて、成毛滋がいなければ、日本のロック向上が成し得なかったといっても過言ではないと思います。。。
90年代後半、再評価が進みましたが、未発表作品は形としてリリースされていません。。
もっともっと再評価されていいミュージシャンのひとりだと思います。