馬頭観音は憤怒の菩薩。

なのに、このお顔は怒りを前面に出していない。

↑思考するように半眼で、(正面のお顔は)眉も吊り上がっていない。牙の突き出した口を開けているが怒りの声はきこえてこない↑鬢だけは馬頭観音の定型に基づいて「怒髪天を突く」ようにめくれあがっているが、表情とはつりあっていない。

 

平安から鎌倉期に製作されたが、後の時代に表面を彫り整えた跡がある。

顔の部分は比較的オリジナルの様子が残っていると感じられる。

↑頂頭に乗った馬の顔は江戸時代のもの↑金色に塗られている↑

↑ヒノキの一木造りだが、八臂の腕から手はすべて後から補われている↑そのつくりは顔とまったくちがって単純化されている↓馬口印(まこういん)をむすんだ(※小指が出ていないところがちょっとちがうけれど)手も肘のところと手先のところで二度継ぎなおされている。オリジナルがどうだったのかは分からない↓

↑宝剣などを持った手の彫りも拙い↑横から見られることを想定していないので、お像の横の部分から直接手が出ている※背中から差し込むようにしてあるものもある

↑足は立たせるための後補↓

↑足の間から股にかけての衣も別の用材で補ってある↑台座はもちろん新しい↑

↑背中の彫りはざっくりしている↑衣の文様がとぎれているのは後の時代の修復だとはっきりわかる↑

※2021年にここでお会いした「南郷町の観音様」とはだいぶちがう

内刳りをして割れるのを防いでいるが↑蓋の部分が二重になっている↓

「中に何か入っていたのですか?」

「まだ開いたことがないのです」

 

胎内仏や書付が入ってくることもありえる。

内部を見てみたいと思っても、

古い像の背中の蓋を開くということは、像の破壊につながりかねない。

博物館のラボなりで、万全の準備をしたうえでないと手はつけられない。

X線照射もそう簡単な作業ではないのだそうだ。

 

横山神社は長浜市の高月駅から北西に3キロほど離れた田んぼの中にある。

森のようになっている古墳跡の神社。

その参集殿の厨子に納められている・ことになっているのだが、実際には「高月観音の里資料館」に収蔵・公開されている。

 

神社なのに観音様が?

本地垂迹説により「横山大明神の本地は馬頭観音である」という仏教隆盛時代がこの地にも根付いていた。

さらに長浜では仏教内の宗派争いさえどうでもよいもので、村の人々が護り伝えてゆくことにこそ意味を見出してきた。

 

「推古天皇元年(592)、旧二月中の申の日に、横山大明神が白馬に乗って、高時川の上流木之本町杉野の横山岳・五銚子瀧のほとりの杉の巨木に降臨し、不思議な夢告げに従い、その大木で神像を彫刻し祀ったのが、杉野本宮横山神社のはじまりという」

今も木之本杉野には、いわば「元祖横山神社」が存在し、常駐の神主さんもおられる。

※高月の横山神社は無住

 

馬頭観音は「馬が水を飲むようにはげしく、人々の煩悩・魔障を除く」という考え方から出たそうで、湖北から北陸にかけて作例が多いと解説があった。