カイロ考古学博物館の、そこらじゅうに積み上げられているファラオの棺のなかで、一瞬ぎょっとさせられるのがこれ。顔の部分の黄金のマスクが無残にはぎとられて木がむきだしになっている↓
三千年以上も前に顔をはぎとった誰かの憎しみが伝わってくるようである。
棺の主はアケナトン(=アメンホテプ4世)と判明している。あのツタンカーメンの父(もしくは兄)。
宗教改革をしてアメン神を廃し、新しい一神教の神アトンを報じてアマルナへ遷都した王。当然周囲との軋轢はそうとうあっただろう。
しかし、彼が没するとアトン神信仰は終わり、首都はふたたびルクソールに戻された。
幼王ツタンカーメンは亡き父の遺骸を女性の棺に入れてルクソールに移動させ、王家の谷葬った。
しかし、その後にだれかが「こんな王は生き返ってもらっては困る」と、顔を剥ぎとり、名前を削ってしまった。楕円形のカルトゥーシュにあっただろう名前が削られたあと↓
この棺の下半分もとなりに展示されているのだが、これがなんとガラス↓はじめて見た時にはわけがわからなかった↓
棺が発見されたのは1907年。考古学博物館に収蔵されていたのだが、あろうことか下半分がいつのまにかなくなっていた。
それが発見されたのは、現代のドイツにて。
木の部分は相当に腐食していたので、装飾だけを同じ大きさのガラス棺をつくり移植するという、びっくりするような保存が実行されたのだった↓実に上手に移植されている。
現代の所有者の手元にどうやってたどり着いたのかは、分からない。
とにかくも、厚意により、こうしてカイロ博物館にもどされたのだ。