群馬県高崎市にある高野山真言宗のの八幡山円福寺に参拝する。
こちらの寺院の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「圓福寺の沿革
当寺のある八幡原は烏川と井野川の合流点東に行ったところの高台にあり、河川が交通や物資の輸送に必要不可欠の時代だった頃は人口も多く、住古は上野の守護が置かれるなどして文化経済の中心地でもあった。今よりもおおよそ400年の昔、八幡原千軒といって一大都市の観もあったが、戦国時代末、神流川の合戦の時には、あたり一面焼け野原となったといわれる。
当時、八幡原には九ヶ寺の寺があったそうだが、そのうちの『円光寺』と『長福寺』の二ヶ寺が共に焼失後、新たに出来た寺に故字を一字ずつ取って『圓福寺』と称したと伝えられている。『円光寺』は、小暮菊次郎氏が住むあたり、現在でも円光道という学校道として往時存在したことが偲ばれ、長福寺は、今の鎌倉坂の上にある北側の、小高い丘に在ったと伝えられている。
二つの寺が合併して圓福寺が出来たのがいつ頃だったかは、当院開山乗慶法印が慶安四年(1651)十二月十一日に還化されていることが推定できる。当院六世清意法印が享保五年(1720)に中興したと伝えられ、他に 寛政十二年(1800)に還化された恵乗法印によって庫裡及び赤城宮を建立された。しかし、昭和四年(1929)に火災の為全焼。昭和十三年(1938)に、本堂・庫裡が再建された。」
入口です。
寺院名:八幡山源頼朝院円福寺
所在地:群馬県高崎市八幡原町417
宗 派:高野山真言宗
本 尊:聖観世音菩薩
札所等:なし