LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)フィンガーロゴ | フィンガーダンサー.Blog byケンディジット

LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)フィンガーロゴ

LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)Finger font Logo No.266 フィンガーフォントロゴ
アンニュイな楽曲が声ととてもよくマッチして、唯一無二の独特な世界観を持ったバンドですね。Godinというメーカーの、日本では使っている人がほとんどいないレアなギターを使っていて、昔それが欲しくて買おうかと悩んでた時期がありました。 手を55使用

LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)は、日本の男女2人組による音楽ユニット。略称はデリコ。所属レーベルはビクターエンタテインメント、所属事務所はJVCエンタテインメント

 

出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル J-POPロックロックンロールポップ・ロックフォークソングフォークロックカントリーブルースリズム・アンド・ブルースソウルサイケデリックロック[1][2]
活動期間 1997年 -
レーベル ビクターエンタテインメント
事務所 JVCエンタテインメント
共同作業者 堀江博久キーボード
高桑圭ベース
白根賢一ドラムス
権藤知彦(コンピュータオペレーション・プログラミング)
山田ノブマサ(レコーディング・エンジニア
公式サイト LOVEPSYCHEDELICO
 
メンバー KUMI(ボーカルギター
NAOKI(ギター・ベース

 

概要

ボーカルのKUMIとギターのNAOKIの男女二人によるロックデュオ[3]。1997年に青山学院大学の音楽サークルで結成[4]。もともとは大学でNAOKIがKUMIに声を掛けたことをきっかけになにげなく始まったバンドで、当初はプロデビューなどという野心はまったくなかった[5]。2人を中心にバンド形態で活動をスタートするが、メンバーが入っては辞めての繰り返しで、ファーストアルバムも、バンドが無くなって後任のベースとドラムとキーボードを探すまでの間にデモテープのつもりで2人だけで作っていたものだった[5][6]。そのテープがたまたまレコード会社の人間の手に渡り、アコースティック・ギターボーカルを録り直した以外はほとんどそのままの形でCDになって世に出てしまった[注 1][6][7][8]

本来のバンド名は「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」であったが、長すぎるのでORCHESTRAの頭文字「O」を取ってPSYCHEDELICの後ろにつけ、現在の名称になった[9]

2004年にはアジアツアーを開催し、2008年にはL.A.を拠点とするインディーズレーベルHacktone Recordsよりアルバム『This is LOVE PSYCHEDELICO』で正式に米国デビューを果たすなど、海外での活動も展開している[3]。アメリカデビューは彼らの音源を聞いたレーベルのプレジデントのデヴィッド・ゴーマンからの数年越しのラブコールに応えることで実現したもの[10][11]。それをきっかけにハリウッドの伝説的なライブハウスであるトルバドールで公演するなど、しばらくL.A.と日本とを行き来しながら活動を続けた[6]。また香港上海台湾などのアジア圏では2000年のデビュー当時から「愛的魔幻」の呼び名で親しまれ、香港のロック・フェスティバルにヘッドライナーとして出演するなど絶大な人気を誇っている[2][12]

デビュー当時は自らがDJを務めるFMラジオを主体にプロモーション活動を展開[13]。2人はメディアに出ずにCDジャケットも象徴的なイラストを使用し、どんな人間がやっているのか、どのようなバンドなのかなど、すべてがヴェールに包まれたまま、純粋に楽曲の力だけでミリオンヒットを記録した[6]。2ndアルバムリリース後は自分たちでバンド・メンバーを集めて全国ツアーを行ったり各地のフェスティバルへ出演したりするなど、ライブ活動に対してより積極的になる[6]。また映画やテレビドラマへの主題歌の提供や地上波の音楽番組への出演など、メディアにも積極的に関わるようになる[13]

1st, 2ndアルバムなどのジャケットカバーやオフィシャルグッズに使われているKUMIに似たイメージキャラクターの女性の名前は「デリコちゃん」。

音楽性

NAOKIのギターリフが印象的な洋楽的サウンドとKUMIが手がける日本語英語が混在した歌詞と歌唱が彼らのスタイル[1][2][14]

60-70年代のロックなどの洋楽がルーツミュージックでありながら、クラブミュージックの影響を受けた打ち込みを中心とするリズムトラックなど90-00年代の現代的なセンスに裏打ちされたサウンド・プロダクトは、一見、懐古趣味に見えて、しっかりと当時のリアルタイムのサウンドを取り込んでいた[1][2][14]

デビューからずっとリフを中心にした曲を作っていたが、結成から20年を経て、メロディコードを主体とした曲作りも行うようになった[7][15]

楽曲制作では、作曲やアレンジだけでなく、歌詞も2人で相談しながら書く[7]。NAOKIが持ってきたリフにKUMIがメロディを乗せることもあれば、お互いに核になるメロディとコードを持ち寄ってそれに肉付けすることもある[16]。プライベートスタジオ設立後はレコーディングやミキシングの作業まで自分たちの手で行うようになった[16]

影響を受けたアーティストはローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンボブ・ディランキャロル・キングイーグルスビートルズサイモン&ガーファンクルクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルエリック・クラプトンショッキング・ブルーなど[15][17]

メンバー