揖取素彦(かとりもとひこ) 小田村伊之助。
楫取素彦の最初の妻で美和子の姉である久子の墓は、東京都立青山霊園の一種イ1号29側。

楫取 素彦は、幕末の長州藩の志士、明治時代の官僚、政治家。初代群馬県令。

文政十二年(1829)、萩の藩医、松島家の次男として生まれた。12歳のとき小田村家の養嗣となって小田村伊之助と改める。

藩校明倫館に学んだあと、江戸藩邸勤めに出てそのとき萩から来た1歳下の松陰と出会う。

1865(慶応元)年、藩主の命で九州に逃れていた5人の公卿を訪ね坂本龍馬と出会う。
萩藩士の木戸孝允に龍馬と会うよう勧める手紙を書き、これが薩長同盟実現のきっかけとなった。

慶応3年9月に幕府から逃れるために藩命により、楫取素彦と改名。

★松陰の次妹の寿と結婚し、寿に先立たれた後に久坂玄瑞の未亡人であった末妹の美和子(文)と再婚している。
最初の妻・寿との間に希家(小田村家を継ぐ)、道明(久坂家、のち楫取家を継ぐ、芝山巌事件で殺害された)の二男がいる。曾孫(希家の養孫、道明の外孫)に小田村四郎がいる。







しゅぎょうひでき