追記しました。
ローリングストーン 1973
◎君は君のソングライティングはビートルズから影響を受けているって言及してるね。
僕は(For the Benefit of Mr. Kite)みたいなエコー、声、作曲といったビートルズが得た効果を研究したよ。
ハフポスト 2011
(1974年のある日)僕はスタジオBにいてジョンレノンとポールマッカートニーはスタジオAにいた。彼らはジャムってて、色々なものを置いて、いろいろなトラックを並べていて、何かを考え出そうとしていた。一緒に『スタンド バイ ミー』をやったと思う。面白かったよ。
フィル スペクターもいたと思う。どこにいたかは覚えていないけど、トイレかどこかで歌っていたら、彼が『うるさい!』って言ったんだ。だから、『ふざけるな!』って思ったよ。
1974年のセッション
ジョンレノンと僕が会った時にはいつでもお互いに明らかな尊敬と愛があった。僕は彼のハートが好きだった。彼が平和を望み、人々に一緒に進むように望み、共生し、世界をより良いものにしようとしているのが好きだった。最後に彼に会った時、彼は最後のアルバムを作っていた。彼とヨーコは再び一緒に過ごしていた。それは素晴らしいことだった。
僕はジョンレノンには数回しか会った事がないが、ポールマッカートニーには今まで数多く会ってきた。ビートルズは僕にとってとても大きな存在だった。ジョンレノンは僕に(愛)を、ポールマッカ―トニーは僕に(ミュージシャンシップ)を教えてくれた。ポールは僕の恩人で裸の僕に服を着させてくれた。
ポールに最初に会ったのは確か66年のロンドンのスコッチオブセントジェイムズのショーだった。その時、彼が見に来てくれたんだ。終った後に僕の所に来て(僕は君を愛している。)って言ってくれた。
nmeの60年代のインタビュー はてなブログ
僕はツアーに出ると、行った場所について文章を書くことになっているんです。(アメリカに)戻ってから書く今回のツアーについての文章には、必ずポールマッカートニーと会ったことを書きます。彼とはスコッチ オブ セントジェームズで会いました。彼はとてもスウィンギングな人でした。彼は私が会ったことのある唯一のビートルです。
ローリングストーン
モータウンは僕にお小遣いはくれたけど、楽曲についての権利を全く与えなかった。だから僕はスランプだと言って彼らに曲を与えなかった。だから、僕の頭の中には楽曲が溢れていたんだよ。そして時が来るのをずっと待っていた。なぜならこの国では大人になれば子供の頃の契約を無かったものに出来たんだから。
僕は大人になるにつれ世界中の人々に僕の音楽を聴いてもらいたいということを心から望んでいた。その為にどうすべきなのかを長考した。
僕はビートルズの最高傑作である(サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド)の様な作品を作ることが黒人にも可能だという事を世界に証明したかった。なぜなら、ビートルズの音楽は僕にとってはいつも最高だったが、僕の黒人の音楽仲間には決してそういうわけではなかった。しかし(サージェントペパーズ)が出て、僕は音楽仲間にそのレコードを持って行ったときには彼らはもうすでにそれを持っていた。つまり、もし素晴らしい音楽を作ることが出来るのならば音楽は人種問題を超えることが出来るのだと分かったんだ。
僕は自分のレコードをセルフ プロデュースするにあたり、ポールマッカートニーの様なメロディーセンスの良いミュージシャンを目指した。だから、最初のセルフ プロデュース作にしようと思った作品にビートルズの(we can work it out)のカヴァーを入れたのはポールマッカートニーへの感謝の表れからなんだ。スタッフからはもちろん(なんで全部自分の曲で出来るのに他人の曲を入れるんだ?)って言われたよ。
僕はポールマッカートニーから多大な影響を受けた。特に彼のビートルズ時代から今に至る万華鏡の様な楽曲と歌唱法からね。彼の楽曲は僕のソウルミュージックに対するこだわりを捨てさせた。そして彼の歌唱は僕にさまざまな歌唱法を取るように促したよ。
スティーヴィーワンダー ビートルズカヴァー
◎貴方は以前のインタビューで(ホッタ― ザン ジュライ)はポール マッカートニーから影響を受けたと言ってましたよね。
そうだね。僕の楽曲がポール マッカートニーやザ ビートルズから影響を受けていると言われることに関しては僕は否定しないよ。(ホッタ― ザン ジュライ)に関しては彼の歌唱からだね。(ホッター ザン ジュライ)や(キー オブ ライフ)と言った僕のアルバムはビートルズで言えば(サージェント ペパーズ)の様なものだ。もちろんそこまで偉大だと言えないかも知れないけどね。
ポールマッカートニーはギターに頼らない楽曲作りが特徴だった。白人は多くがギターに頼ってたけど彼はそうではなかった。それが何故かというと彼が素晴らしいベースプレーヤーであったからなんだけど、一方で僕が居たモータウンにも素晴らしいベースプレイヤーがいたんだ。僕は自分でベースが弾けなかったから、素晴らしいベースプレイヤーと僕のキーヴォ―ドがその代わりを果たしてくれた。
ベース ミュージシャン マガジン 2011
僕は世界で最も有名なベースプレイヤーのアルバムでもベースを演奏したんだ。僕は(ハリウッド サウンド)でマイケル ジャクソンと一緒に(セイ セイ セイ)の演奏をした。それはポール マッカートニーとマイケルの為のデモだっていうことは僕は分かっていた。マイケルは最も驚くべきミュージック キャットだった。マイケルは本当にその時、何の為の演奏なのかを僕には説明しなかった。僕は自分の感覚で演奏し、マイケルは(好きだよ。とってもいいね。)って言った。
だけど僕にはわかっていた。ポール マッカートニーはこれ(ベース演奏)を差し替えるって。なぜなら彼はポール マッカートニーだから。その後、そのデモをポールが聞いた時、彼は(このフィーリングが好きだ。)って言って僕の演奏をそのままにした。これはとてつもない賛辞なんだよ!賛辞の中でも最高の賛辞だった。だって彼はポール マッカートニーなんだから。。
彼は歴史に残るベースプレイヤーなんだ。彼は歴史の中でもかつていない様な最高のメロディックなベースプレイヤーの一人なんだよ。《カム トゥゲザーのベースラインを口ずさむ》この演奏は最高なんだ。今まで誰も書かなかった、そして今まで誰も演奏しなかった様な最も最高なベース演奏の一つなんだよ。僕の言ってる意味がわかるかい?
共演
最初、僕はトランペットを吹いてたんだよ。でもレイパーカーJrに勧められたんだ。(リズム&ブルースではベースが主役だよ。)って。ヴォーカル以外では実際にそうなんだけどね。それにジェームス ジェマーソンの演奏を2回見てベースをやることに決めたんだ。僕のベースの先生はジェームス ジェマーソンだった。僕は最初バンドをしたんだ。ジミ ヘンドリックスみたいな3ピースバンドだった。
ポールマッカートニーの演奏は異質だった。なぜなら彼は黒人が持っているものを持っていなかったからね。彼の演奏にはジャズからの影響が無かった。でもとても参考になったんだ。彼は作曲したり歌ったり他の楽器の演奏をしたりするベーシストだったからね。僕は職業ベーシストだったから、彼の演奏を参考にさせてもらったんだよ。
ネイザンさんの演奏
◎あなたはポールマッカートニーと何度も共演していますが、その経験を通してあなたは彼をどのような存在だと思っていますか?
ポール マッカートニーはメロディーだよ。僕もそうなんだけどね。僕らは言葉より先にメロディーが生まれるんだ。多くのミュージシャンはとても強く音楽を愛している。僕らはずっと音楽に仕えているんだよ。でもポールは仕えるべき音楽から強く愛されてるんだ。
僕のビートルズの一番好きなアルバムは(ラバーソウル)なんだ。真に彼らが進化し始めたアルバムなんだよ。このアルバム以降ビートルズは解散するまで進化し続けた。
そしてビートルズの一番好きな曲はそのアルバムに入っている(Michelle )なんだ。素晴らしいメロディーだし、この曲は僕の個人的な思い出とも関連しているからね。そして(Got To Get You Into My Life)が2番目に好きだよ。シャウトし始める瞬間が好きなんだ。3番目に好きなのは(Yesterday)だよ。この曲は聴き手を選ばないんだ。人種も選ばないし、ビートルズのファンであるかどうかさえも選ばない。この曲がビートルズの曲であるかどうかという事も問題にはならないんだよ。
私は盲目を悪い部分と考えていない。むしろ、それは人生の本質みたいなものだと考えている。考え方、使い方で人生を良くも悪くもする。
ただ目が見えないと言うことが、ビジョンが欠けているという言うことになならない。
私たちは誰もが、能力を持っている。違うのは、それをどう使うかだよ。