12月25日~28日の沖縄旅。勝連城からの続きです。全9部作中、第8作目です。もう終盤となってきました。今のうちに厚手のハンカチを用意しておいて下さい
25日 中城城→首里城→具志川城
26日 伊是名城→今帰仁城
27日 座喜味城→勝連城
勝連城と打とうと「かつ」まで打つと、予測変換で一番に「カツラ」が出てくるようになりました
「カツラ」は世界遺産越えです
さてさて、勝連城から向かったのは
八重瀬城🏯
(八重瀬グスク)
坂を登り駐車場に到着🚗💨
八重瀬城は標高105~125mの場所にありますが、すぐ近くまで車で行く事ができます。
この車↑の向こう側には田舎ですがよい景色が見えます
八重瀬城は八重瀬公園内にあり、戦時中の野戦病院もあった場所でした。
散策路や多目的広場もありますが、見学したのは案内板の左上の、この箇所のみ。
八重瀬城へ向かう階段の手前に「白梅学徒隊」についての説明板がありました。
「ひめゆりの塔」が有名ですが、こちらも涙なしでは語れません地上戦に巻き込まれ、わずか10代半ばで亡くなった少女たち。無念でなりません・・・
軽い気持ちで訪問しましたが……
これを読むとズッシリ重くなりました
こちらの階段↓、右へ向かうと八重瀬城。左へ向かうと白梅学徒看護隊の壕になります。
2mぐらい足を踏み入れたところで断念
ここ、昼間でも怖いです
もう一ヵ所、本殿から蔵当に上った階段の右に拝所があったようですが、気づきませんでした(´д`|||)ドンマイ
後で調べると、創作話のようなので割愛させていただきます
知りたい方は自分で調べて下さい。←無責任
駐車場まで戻ってきました。
すると、先ほど遠くでお見かけしたお散歩中のおじさまと車の前でお会いしました。
おじさま
「見てきたの?」
のりりん
「あー、ハイ。」
おじさま
「まだ若いのに戦争に興味あるの?」
のりりん
「戦争もそうですけど、城跡を見たくて…」
おじさま
「お城…何もなかったでしょ」
のりりん
「あー、石垣はありましたけどねぇ。」
きっと興味ない人からすると、「八重瀬城何もなかった」という事にされているんでしょうね
ここで、「いや、物見台や拝所や蔵当もありましたよ!!」と熱く語ってもドン引きされるだけなので、さらっと流しておきました
ここで…ちょっと気づいた事ありませんか?
時を戻そう🕰️
おじさま
「まだ若いのに戦争に興味あるの?」
ありがとうございます!!
素直にその言葉、受け止めておきます
マスクでほうれい線隠れててヨカッタ
あ、何でもありません
さらにおじさま
「あの壕、奥まで行ってきた?」
のりりん
「あ、いやー、途中まで行ったんですけど怖くて行けませんでした」
おじさま
「あそこねー、ぐるっと回って反対側に出てくる事できるんだよ」
駐車場からの写真↓
怖くて行けなかった事を言うと、壁が粘土みたいにヌルヌルしてて気持ち悪かった。行かない方がいいよ!と言われました。
気持ち悪い以前に怖いよっ
一人じゃ入れないです
貴重な体験を聞かせていただきました。ありがとうございます
昔、八重瀬町に住んでいた娘と、位の高い男が恋に落ちました。そのうち娘は子供を身ごもってしまいます。しかし身分の違いから産む事はできません。娘はお腹の子を流産させようと薬草や鉄を混ぜたものを飲みますが、お腹の子は育ち、そして生まれます。生まれた子は男の子で、体が鉄のように固い子でした。そして「カニカマルー」と名付けられました。
すくすくと育ったカニカマルーは鉄のように固いだけではなく、怪力の持ち主で戦いの場で大活躍。その名は琉球中に広まりました。
しかし、それをよく思わない敵国の按司が使用人を買収し、カニカマルー暗殺計画を企みました。体は鉄のように固いのですが、首だけは普通の人間と同じ固さでした。
使用人はカニカマルーの髭を剃るふりをして首を切りつけました。不意をつかれたカニカマルーは亡くなってしまいます。
チャンスとばかりに敵国の按司は攻めこみました。しかし、カニカマルーが生きているかのように弓矢を持たせ、木🌲にくくりつけました。
それを見た按司はカニカマルーが生きていると勘違いし、自国領へ逃げ帰りました。
生きて千人、死んでも千人撃退した男として、伝説になっているようです。
ヽ(ill゚д゚)ノ
八重瀬城は「お城」「白梅学徒看護隊の壕」「カニカマルー伝説」と、一度で三度おいしい名所でした
ちょっと…いや、相当?マニアックですが
この日は沖縄3日目。1日目、2日目とホテルに到着する頃には真っ暗でしたが、この日は少し明るいうちにホテルへ戻る事ができました。
そして、疲れがたまっていたのかホテルに戻って爆睡💣️💤
ついに涙の最終日を迎えます。
続く(*・∀・)ノ