2022.3.4 絢sroom アルバム巡り「8th.岸のない河のほとり」に寄せて
このアルバムめちゃくちゃ好きなんだよなあー。
今からちょうど10年前にリリースした8枚目のフルアルバム。
シャガールの「岸のない河」という時間を表現した絵画からとったタイトル。
「岸のない河のほとりで」
7枚目のセルフプロデュースから、
今回は矢野絢子がうまれて初めて、自分ひとりで、全国から音楽家、エンジニア、映像、デザイナー、まかないスタッフ、を集めて、
構想から準備、本番まで、すべてを仕切ったはじめてのアルバムだ。
この初のビッグプロジェクト(今となっては当たり前だけれども)に向かう心意気を
何と当日の私が手記に残していたのをさっき発見したので、今回はその手記を丸々掲載します。
(もちろんめちゃくちゃ長いのです)
それではどうぞ!
矢野絢子8thアルバム概要
「岸のない河のほとりで」
画家マルクシャガールが河の上に大きな時計を描いて
「時間」を表した作品「岸のない河」から。
★キャスト
・ピアノうた 矢野絢子(高知)
・ヴァイオリン 嶋崎史香(高知)
・ギター 坂本順一(埼玉)
・ベース 泉尚也(大阪)
・ドラム gnkosai(横浜)
・ドラム・パーカッション 平井ペタシ陽一(横須賀)
・ハモニカ 花男(東京)
・エンジニア 谷澤一輝(東京)
・撮影 小林基己
・撮影助手 石田直
・まかない 高満洋子(東京)
★ 録音 山梨県小淵沢「星と虹スタジオ」
代官山「晴れたら空に豆まいて」
埼玉「ビックボートスピリット」
★ 録音日 二〇一一年十月二十六日~二十八日(山梨)
二〇一一年十二月(埼玉・東京)
★ 楽曲
一 らせん階段
二 黒い雨
三 ろくでなしって呼んで下さい。
四 ハーメルンの笛の音
五 ブーツ
六 道玄坂を転がり落ちて
七 柊の胸
八 何度でも
九 汽笛は泣いて
十 太陽の人
十一 露草
十二 春吉
「岸のない河のほとりで」 にたどり着くまでのこと
矢野 絢子
① 初期衝動について
二〇一〇年十月に前作「いちばん小さな海」を高知で録音した。その直後にできた曲が「らせん階段」。出来たとき「次の作品に入れよう」と思った。童謡「故郷」のフレーズが前後に出てくる、いのちのらせんの歌。これが次回作の軸になる予感がした。そして年が明け一月に前作のリリース、レコ発ツアー、劇場でのレギュラーライヴをやりながら、新しい曲がどんどんうまれ、春ごろには次回作のことで頭がいっぱいになっていた。しかし、曲がありすぎてまとまらない。あれもこれも、今の自分をまるごと作品に入れたいけれど、作品としてひとつ軸が通ったアルバムにしたい。ああじゃないこうじゃないと丸々二ヶ月ほど悩んで、どうしても譲れないところをピックアップして、アルバムの構想を練る。
まずは音のニュアンス
・ わたしが惹かれる人たちとの音楽の化学反応をスパイスにひとつの作品を創りあげたい。
・ 乾いたドラムが鳴っている!アコースティックギターがシャカシャカと鳴っている!
・ 前作に引き続き「素」の音のやわらかさと、ピリッとした緊張感、空間音を含んだチープで温かみのあるバンドの音。
そして作品のコンセプト
・ 「共生」、共に生きることについて。人と、ふるさとまたは暮らしの場所と、、この時代と、地球と、そして自分自身と。
・ 「らせん階段」を一曲目にして、童謡「ふるさと」のフレーズではじまり、終わるアルバムにしたい。
等々。何を創るかより、誰と創るか、が今回は特に重要になりそうだと思った。
②キャストについて~合縁奇縁~
まず電話をかけたのは、前作も手がけてくれたエンジニアの谷澤一輝氏。「素材」をナマで生かす彼の直観力とフットワークの軽さは作品作りのスピード感とライヴ感にかかせない。次はスタジオ。前回は高知で録音したけれど、今回は参加ミュージシャンが多くなりそうだということもあり、交通事情も含め色々悩んでいた。そこでちょうどここ半年くらいの間にミュージシャン仲間やイベントで会ったピアノ調律の女性などから、山梨「星と虹スタジオ」がいいと聞いていたのを思い出す。山奥の静かな環境でグランドピアノがあり、合宿化で格安!自力出版のため予算も限られているし、合宿なんてワクワクする。これしかないわと電話をかけて交渉。
次は、協力してくれるミュージシャンを探すことである。すごく重要なとこ。ライヴでもアルバムでも一人でピアノ弾き語りが多い私には楽器弾きの知り合いは非常に少ない。自ら指揮をとってバンドでの録音を進めるのは今回が初めてのことである。そして自分の求めるバンドの音はこれである!とかはよくわからないし、うまい下手もわからない。兎に角「この人と一緒に何か作ってみたい」と思える人を当たってみることにした。直感で。
ライヴでもアルバム作りでも必要不可欠な旧知の音仲間、ヴァイオリン嶋崎史香は常に自動的にキャストにあがっている。彼女も承知の上である。今回は前作よりも沢山参加してもらうことに。
そしてドラム。今回の作品でドラムの存在はとっても重要になる気がする(これも直感だけど)。横浜のドラマーgnkosaiさんが浮かんだ。というか彼しか浮かばなかったので早速声をかけた。彼の演奏を聴いたのは数える程で、その回数よりも打ち上げやらなにやらと酒を交わした回数の方が多いが、とても魅力的で「男(の子)」っぽい人だ。私はその人の出すオーラとか印象、考えていることやしゃべっていることがそのままその人の音楽だと思う。gnkosaiさんはいつも自分のアンテナを磨いていて、面白そうなことに対してどんどんぶつかっていく人、そして気の抜きようもうまい。すり抜け方もうまい。
ギターはギタリストではいけない気がする。私は音楽を始めた時からがっつりギター弾き語りの音のニュアンスにしびれて育った口だから、ギタリストのテクニックには全くしびれない。安心して歌える素朴な伴奏ギター。同郷で昔から私の音楽に寄る辺ない愛情を注いでくださっているハンピレイギターの坂本氏しかおらんのではないか。しかも彼はギタリストではないし!
ベースが一番難しい。一番面識の無い楽器だから。ベースらしく、底力とリズムで知らないうちにしっかり支えてくれる人…。と悩んでいたらなんと向こうからやってきてくれた。高知劇場歌小屋の2階にベーシスト泉尚也氏が、友人高満洋子と私のライヴを観に、遊びに来てくれたのだ。彼とは洋子の紹介で、大阪で一度セッションしたことがある。洋子曰く「彼はなんでも弾けるが、王道のリズムベースが何よりぴか一だ」と。あ、最高じゃないですか、ベーシスト見つけた!
そんなこんな中で六月後半、三重の月の庭最後のライヴイベントでドラマー平井ペタシ陽一氏と出会う。彼の演奏を聴いて、話して、それはもう直感的に一緒にやりたいなと強く思った。まずはスタジオを、そしてライヴで、というのが普通だけど、どうしても今回のレコーディングに参加して欲しい気持ちが日ごとに強くなる。強くなりすぎて、会って三度目でいきなりレコーディングの話を持ちかけてみた。スタジオも、ライヴも飛び越えて。
このようにほぼ全て私の直感でキャストは揃った。皆さんそれぞれの面識は殆ど無く、私との演奏回数もシマフミ以外は少ない。レコーディング当日にほぼ初合わせのせえので録音である。しかし何故か「絶対うまくいく」気がしてならないのである。奇跡的に最初に声をかけさせていただいたこの方たち全員が快諾してくださり、しかもスケジュールも揃って合わせてもらうことができた。これには本当に感謝の言葉しかない。ご縁とタイミングだなあ、なんてしみじみとしながら、ほぼこれでいい作品作りの下ごしらえは揃ったようなものだと確信していた。あとで気づいたのだが、今回のキャスト、各々の地元で音楽活動をしている方が多いなあということ、これは偶然ではない気がする。
③いきなり詰め。
八月下旬、色んな連絡作業、デモ作り、などを進めながら、楽曲のほうをまだいじっていた。「これでいける」と楽曲を並べてはやっぱり差し替えたり、コンセプトを意識して書き下ろしたり。結局全十曲で押さえたかったが、どうしてもおさまりきれず十二曲に。仕方ない、私はいつも何かとちょっと多めになる性質なのだ。
九月初旬にエンジニアモーキ氏との打ち合わせ、スタジオの下見などに行く。思った以上に素晴らしい場所だ。昔ながらのペンションをスタジオに改築したみたい。あちこちに手作りの匂いがする。すぐ隣は南アルプスが一望できる草原が広がっていて、裏てのリビングから見渡せる広いウッドデッキには木漏れ日と落ち葉が降り積もっている。秘密の屋根裏へ続くような階段をのぼると、古いやわらかい音のするグランドピアノがフロアの中央に堂々と鎮座していた。ここで、録るのだ。
ツアーで各地に行ったタイミングなどで、それぞれのミュージシャンと個別で音合わせなどもして、楽器が多くなればなるほど、事前に「どのようなアプローチでこの曲を完成させるか」という意思の疎通が重要なんだなと、我ながらあきれるくらい今更当たり前のことを悟る。それぞれの直感の方向性を決めなくては。ということは、逆に私のコンセプトが明確であればあるほど、当日スムーズに音が運ぶということだ。みんなとそれぞれお茶を飲んだり酒を交わしたりしながら語り合えれば一番いいんだけど、レコーディングまでの時間と距離的にそれは難しい。ならば、文章にしようとひらめく。「こんな風なこと考えててさ、こんなアルバム作りたいと思って、こんな人たちを集めてみたの、あなたはどう思う?」って知ってもらえれば早い。読んでもらえれば。直感の方向性、あとは彼らと私の化学反応だ。
それにしてもこんなに魅力的な音楽家が一同に集まって、この大好きな人たちだけで自分の作品を共に創りあげることが出来るなんて、矢野絢子の歴史上こんな幸福な事件、記録しておかなければ!と思い立ち、売れっ子映像作家小林氏にだめもとで「カメラを回して欲しい」と電話したら、なんと快諾してくださった。最初は自分のための記録で、と思っていたのだが、小林氏に回してもらえるとなると、構想と欲がふくらんで、「ドキュメント映画にしちゃおうか」というノリに。十月の上京のタイミングで一度だけ小一時間ほど会い、お互い意見を出しあう。次はもうレコーディング当日まで会えない。あとは小林氏がどう切り込んでくるか楽しみに待つのみ。これまた直感力と化学反応。矢野絢子初のドキュメント映像作品が出るかどうなるか、まだ誰もわからない。
④最後に、コンセプト「共生」について。
「共に生きる」とはどういうことなんだろう。三十代に入ってから、考えることが多くなったテーマである。二十代の頃は、何か、や誰か、のことよりもまず「自分」のことで精一杯で、自分からあふれてくるもの、周りから学ぶこと、の咀嚼と吸収、次から次へ倒れないように内面を確立してゆくことで精一杯だった。「生きる」ことで精一杯。そして人々は私と関係なく皆それぞれ勝手に個々で生きていると思っていた。
三十代に入り、周りの音楽仲間も子供を産んだり家庭を持ったりと、劇的な人生の変化が起こる。私も勝手に子供を産んで「思いきり好きなことして、しっかり飯を食ってゆく」ということにスイッチがはいった。それまでを知る人には心配を通り越してあきれられるくらいライヴツアーを組んで、おかげでかけがえない素敵な出会いに恵まれると同時に、自分にとって必要なもの、そうでないものがはっきり見えてきた。自分に合った音楽との生き方、まだはっきりと見つけたわけではないけれど。きっとこの十年でその答えを見つけてゆくのだと思う。何処へ行っても帰ってくるこの高知という場所、そこでの暮らしや家族、歌小屋の存在も含め。
あと、自他共に「音楽としか共に生きられない」と認めてた私が、いつの間にか、人と「共に生きてる」という実感をしたいと思うようになった。今までそれぞれ勝手に個々で生きていると思っていた人々が、夫婦や家族、あるいは名のつけようのない共同体になって、折り合いをつけたり、妥協したり、受け入れあったり、文句をいいつつしっかり背負いあって歩いているのを身近で目の当りにすると、尊敬と憧れのような、未知との遭遇のような不思議であたたかい気持ちになるのである。今までは私にはできない、だったけど、今は、どんな形かわからなくても私にしかできない、誰かと「共に生きる」やりかたがあるはずだと思うようになった。勿論まだ未知の世界だが。今回のバンド編成への挑戦はそういうことへの第一歩なのかもしれない。
そして三月十一日の大震災、私も周りも直接的な被害はなかった、なんてもう言えない状況だ。情けないけど、当初はすごく揺れてしまった。自分がするべきことについて、結局ぐるりと回って元いた場所に戻ったというだけだったのだが、やはり前にも増して周りも自分も、人生感がくっきりしたように思う。
自分の人生において起きる事柄全て、選び選ばれて起こったことと思いたい。そうでなくちゃ生きてる実感なんて沸かないんじゃないかな。誰のせいでもなく、自分が選んで、もしくは選ばれて生まれて生きてるこの時代や、この土地、状況で、目の前にあるものと共に生きることを考え続けるしかないと思う、限られた時間の中で。
ということで、コンセプト「共に生きる」の答えは出てない、ということが明確にわかりましたね。それを考えること、がアルバムのコンセプトのようです。この十二曲の中にそのヒントが隠されている気がします。「岸のない河のほとりで」、このアルバムを創ることでひとつ答えに近づくんだろうということは、わかる。
以上
長文お読みいただきありがとうございました☆
この続き、レコーディングの思い出は、配信本編で振り返りたいと思います!
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最後に、完成しなかった幻のドキュメント映画の映像から生まれた奇跡のアルバムのトレーラーをどうぞ☆