「北沢川」のもう一つの支流「だいだらぼっち川」。
変わった名前には、訳がある。日本各地に残る伝説の巨人、「だいだらぼっち」に基づく説だ。この辺りにいた、という伝承があって、それが世田谷区代田(だいた)の地名の元にもなっている。だいだらぼっちの歩いた跡が大きな窪地になり、それが地名の由来になったというのだ。
昔はこの一帯を代田村と言い、玉川上水に架けられた橋も「代田橋」と名付けられた。現在の、京王線の駅名もそこに由来する。他にも京王井の頭線に「新代田」、小田急線に「世田谷代田」の駅があるのはご存知の通り。伝説の巨人の名前がこれだけ駅名になっているのも、珍しいことではないだろうか。
民俗学者、柳田國男も「ダイダラ坊の足跡」という著書でこのことに触れているそうで、先達のブログによるとその記述に基づいて現地を踏査すると、足跡の爪先の辺りが環7の凹みに当たるらしい。
私も車で走っていて、あの辺りは確かに上下していたなぁと思い出す。
で、さっそく行ってみた。
どうです? 道路が先に行くといったん下がって、また上がっているのが見えますか、ね?
中央分離帯に注目してみると分かりやすいかも知れない。
写真じゃ分かりにくいかなぁ? とあれこれ撮ってみた。私の立っている位置は環7内回り側。背後が北、代田橋で、先が南、新代田に当たる。
歩道橋の上からも撮ってみた。
ここはさっきの位置からはだいぶん、新代田方向に下ったところ。さっきの視点とは180°逆になります。真下の道が環7内回りです。
歩道橋から降りて代田橋方面に戻った場所から。
写真じゃやっぱりよく、分からないかなぁ?
とにかく環7の途中が凹んでいるのは間違いない。
それでその一番凹んだ場所から一歩、東側の裏筋に入り込んでみた。
右に伸びる道が緩やかに下っている。
それでとにかく、低い方へ低い方へと行ってみる。
下って行ってるのが写真で分かりますか、ね?
ほぅらここからかなりの下り道になる。
そして一番、底に降りるとーー
ここです。
振り向くとーー
先の方が結構な上り坂になってるのが分かりません?
とにかくこの辺りが、一帯では一番低い。
先達のブログによると、柳田先生の記述に基づけば先述の通り環7の辺りが爪先、そして守山小学校(現・下北沢小学校)の近くの窪地が踵の跡に当たるという。この低地がそうなのだろうか。確かに足跡は、踵の位置が一番、深くなるしなぁ。
地図で示すとこうなる。
©️国土地理院地図
赤の点線で示したのがそれぞれの窪地。
左が爪先、右が踵として、足跡は右足のものだったというから、こんな感じだったんでしょうか……?
©️国土地理院地図
うおぉなるほど。こりゃぁデカいわ!
片足の足跡がこんなにあるなんて、そんな大男いたわけないじゃん!? って? 何を言っているんですか、あなた。いたに決まってるじゃないですか!?
オレには見えるね。巨人が歩いて行って、そこに大きな足跡が残ってしまったシーンが、目を閉じるとはっきりと見える。
んで先達のブログによると、この踵の辺りに湧水池があったそうでそれを水源としていたから、「だいだらぼっち川」。どうです? 全てが結びついたでしょう!?
てなわけでここを水源と見定めて、本日の川下りはスタートです。
実はここに深い谷筋があることは、だいぶ前から知っていた。新代田方面から下北沢の方に行こうとすると、いったん急な坂を下りてすぐにまた上がらなきゃならない。あの頃は深く考えていなかったんだけど、これが川が削った谷筋だと見ればとても納得がいく。
てなわけで踵の部分から、南に伸びる道沿いに歩き始めます。
・歩いたルート
©️国土地理院地図
左手を見るとこんな感じーー
急な坂が上っています。
右はこう
ね、両側が上り坂。やっぱりここ、谷底ってことです。
せっかくだから(何が?)左側の坂を上ってみた。先述の、旧守山小学校に寄ってみるためです。
行ってみたらさっきの谷筋から見たら、結構な高台に位置することが実感できた。
そこから谷底を見下ろすとーー
ねぇ? こりゃ深い。かなりの谷底に位置することが分かるでしょう?
さて改めて、川下り再開です。
ねぇ。もうすっかりお馴染み。このカーブは川ですね♡
カーブが連続する。もうゾクゾク来ますな。
川の上を歩いてる、って実感
右の坂をちょっと上がったら気になる建物があって、表札にはこうあった。
マンションなのかな?
「代田の切通し」。昔はそう呼ばれてたのかなぁ。厳密には「切通し」とは左右の崖を切り開いて道を通す工法で、人工のものなのだが……。まぁ元は川が削った谷地を、「切通し」のように両側の崖を切り開いたというようなことはあったのかもしれない。
道に戻って進むと、左手にこんな石垣が。
やはり人工的に崖を削って、石垣を積んで安定させたということはあったのかもしれませんね。
やがて道は左右に分かれる。
左の坂を上ると、井の頭線の踏切。線路を越えるために作られた道ということでしょう。
とりあえず右の、川の流れの痕跡と思われる方に行ってみる。
すると行き止まりでした。左手の階段を上がってもさっきの坂と同様、踏切に出られる。
ここからちょっと右に行く道もありますが、すぐに民家にぶつかってやっぱり行き止まりです。
せっかくだから通過する列車の勇姿も狙ってみました
さて踏切を渡り、線路の反対側に出る。
すると水の流れる音が響く。
先達のブログにも、ここの踏切の辺りに水の流れがちょっとだけ覗く、と書かれていた。ここだーー
踏切のすぐ脇。線路を潜る水路です。
思えばこれまで暗渠巡りをして来て、人工的なせせらぎ以外で流れる水の姿を見るのは初めて! 記念的瞬間です。
ここ、線路の向こう側からだけでなく、左手の線路沿いからも水がかなりの勢いで流れて来て、水音と共にここに流れ落ちている。
ちょっと葉っぱの陰で見にくいですか、ね?
ドブにしてはやけに水がキレイ。どこかの湧き水がここに流れて来ているのかもしれません。そうだとしたら嬉しいなぁ
そうだ。線路を潜ってるんだから向こう側にも、水が見える箇所があるかもしれないぞ!? 思いついて、踏切を戻ります。
するとーー
あったあった。さっきの行き止まりの金網。生い茂る葉っぱの陰になってたけど、確かにちょっとだけ水の姿が見えました♡
改めて足元をよく見るとーー
マンホール。森巌寺川のところでも言った通り、東京都下水道局のマークです。
やっぱりこの川の跡、下水道として利用されてるってことですね。
さて踏切を三たび渡り、先の道を進もうとしたけど工事中で通行止めでした。
なので工事現場をぐるりと回り込み、まっすぐ来たらここに至る筈だった場所に立って、先を見てみる。
ねぇ。やっぱり川っぽいよねぇ。
それにここに至るまで、ぐるりと回り込む過程でそれなりの高台を通ったんですよ。
途中、気になる道を見つけました。
さっきの道に降りる、坂の途中。突っ切るように、先へと伸びる道があるでしょう。これ、「犬走り」じゃないかなぁ?
堤防なんかの法面に、途中に細い平面を設けて坂の途中を突っ切るように設ける道を犬走りと言うんですよ。
そうだとするとここは堤の痕跡。やっぱりさっきの道は川、ってことになる。
絶対そうだと思い込んで、さっきの道を進みます。
ちょっと行って右を見るとーー
さっきの「犬走り」に上る階段が設けられていた。
ほらぁ、あの急な角度。やっぱりあれ、堤だよ!。
さてさてこっちは低い方へ、低い方へと先を進みます。
でもどう見てもここが一番低い。こっから先はどちらへ向いても坂を上るしかない、というところに行き着いてしまった。ここが流れの終点? 池に流れ込んで終わり、ってこと? そんなわけはない!
そこでハッ、と思い至った。こんなに周りで工事ばかりしている理由。それは小田急線の線路を地下化して、空いた土地を開発しているからじゃぁないか。
そうだ、ここから先は上る道しかないのは、かつては線路を越えるしかなかったからなんだ。
納得して坂を上がった。
案の定、元は線路だったに違いない、細長く盛り土された地形があった。盛り土の尾根を越える。以前はここに、踏切があったに違いない。
元線路の向こう側に出ると、また、いかにもな道が伸びていた。
ここでも低い方、低い方を探す。
するとこの路地に行き着きました。
久しぶりに思いっきり、自分の影が写っちゃってますな。まぁさっきのマンホールの奴も、よく見たら靴の爪先が写っちゃってるし
とにかくこの路地、どの辺りかもう見当がつく。ここに至るまではぐねぐね折れ曲がって、方向感覚が消え失せてたけど。学生時代から下北はウロウロしているのだ。位置関係は分かる。このまま行けば、「餃子の王将」の辺りに出るに違いない。
思った通りでした。
すぐに人通りの多い道が見えて来ました。
左右を横切っている、あれが下北沢南口商店街。駅から坂を降りて来たとこです。
商店街を突っ切って、正面に見える「ピュアロード」に入りました。
そしたらすぐ、茶沢通りに出る。
渡って、一歩奥に入るとーー
こないだ歩いたばかりの、「森巌寺川」の遊歩道です。
何か歩いて来たら、ここに直角にぶち当たってしまったので正確に合流点ではなかったかもしれないけど。でもまぁそんなに外れてもいないでしょう
途中、アヤシいところもあったから正確に川沿いを歩いた、と断言はできないけど。でもまぁこれで、北沢川も踏破したと言ってもいいんじゃないでしょうか
水の流れも見ることができたし、ね。
めでたしめでたし