上杉 昇(うえすぎ しょう/1972年5月24日~)は、

日本のミュージシャン、ヴォーカリスト、シンガーソングライター、作詞家。

ロックバンド「猫騙」のヴォーカル。「WANDS」初代ヴォーカルとして知られる。



 

1972年5月24日、埼玉県川越市生まれ。

1983年、11歳の時、神奈川県横須賀市に移住。

中学生の頃、ガンズ・アンド・ローゼズのビデオを観て音楽の道に進むことを決意。

なお、中学校の先輩に「X JAPAN」の「HIDE」(1964年12月13日-1998年5月2日)がいる。HIDEとは年が離れており同時期に通っていた訳ではないが、地元では憧れの存在だったという。

 

高校生の時にバンドを結成し、ヴォーカルとして町田市や横浜市などでライヴ活動をする。このバンドを続けていきたかったが、メンバーが就職や家庭の問題で活動を継続できなくなり、一人取り残されることとなる。その後はレッスンに行ったり雑誌のメンバー募集に応募したりしていた。日本のバンドではLOUDNESSに憧れていたため、当時LOUDNESSが所属しており、後に自らも所属することとなるビーイング(BEING)の音楽スクールに通い始める。

BEING音楽振興会でのオーディションで上位となり、主催者の音楽プロデューサー長戸大幸の目に止まるようになる。

 

1991年夏頃、長戸の仲介により、同振興会主催オーディションで最終選考に残っていた柴崎浩(1969年12月13日-/G)と出会い、アレンジャー・作曲家でLOUDNESSのサポートメンバーを務めていた大島こうすけ(本名:大島康祐/1970年9月4日-/ Key)も加え、3人組バンド「WANDS」を結成、上杉はヴォーカルを担当する。

「WANDS」というバンド名は、プロデューサーの長戸が付けたもので、タロットカードのワンド(wand/wands:「魔法の杖」のこと)の中の、「理想」「情熱に向かって進む」という意味を持つ「ワンドのエース」から命名。この他に、上杉(Wesugi)と柴崎(Shibasaki)の頭文字から“Wesugi AND Shibasaki”としたという意味付けもある。なお、上杉と柴咲が脱退した後の「第3期」メンバーの「和久」(Waku)と「杉元」(Sugimoto)、第5期メンバーの「上原」(Wehara)も、芸名の苗字の英文表記の頭文字が「W」と「S」になるように付けられている。

12月4日、1stシングル“寂しさは秋の色”(作詞:上杉昇/作曲:栗林誠一郎/編曲:明石昌夫)でデビュー。オリコン63位。

 

 

1992年5月13日、2ndシングル“ふりむいて抱きしめて”(作詞: 上杉昇/作・編曲: 大島康祐)を発売、WANDSが初めて自作曲に挑んだ作品。オリコン80位。

6月17日、1stアルバム『WANDS』を発売、オリコン10位。

 

7月1日、3rdシングル“もっと強く抱きしめたなら”(作詞:魚住勉・上杉昇/作曲:多々納好夫/編曲:葉山たけし)を発表、オリコンチャート登場29週目にしてグループ初の1位を獲得、ミリオンセラーを記録した。本作品を最後に大島が自身のユニット結成のため脱退。後任に、柴崎のYAMAHA音楽院時代の知人であった木村真也(1969年7月28日-/Key)が加入した。

 

10月28日、中山美穂とのコラボレーション作品として、「中山美穂 & WANDS」名義で発表したシングル“世界中の誰よりきっと”(作詞:上杉昇・中山美穂/作曲:織田哲郎/編曲:葉山たけし)がミリオンセラーの大ヒットを記録。

 

12月31日、『第43回NHK紅白歌合戦』に中山が“世界中の誰よりきっと”で出場した際、WANDSもサポートの形で参加した。



1993年2月26日、4thシングル“時の扉”(作詞:上杉昇/作曲:大島康佑/編曲:明石昌夫)を発売、オリコン1位。

 

4月17日、同名の2ndアルバム『時の扉』を発表。アルバムとしては初のオリコンチャート1位、さらにミリオンセラー記録の大ヒットとなる。同時発売の5thシングル“愛を語るより口づけをかわそう”(作詞:上杉昇/作曲:織田哲郎/編曲:明石昌夫)も、オリコン1位、ミリオンを達成。これにより、日本の音楽界においてトップアーティストとしての地位を確立する。

 

 

6月9日、コラボシングル“果てしない夢を”(作詞:上杉昇・坂井泉水/作曲:出口雅之/編曲:明石昌夫)を「ZYYG, REV, ZARD & WANDS featuring 長嶋茂雄」名義でZAIN RECORDSから発売、オリコン2位・プラチナ獲得、726,310枚。

 

7月7日、6thシングル“恋せよ乙女”(作詞:上杉昇/作曲:大島康佑/編曲:明石昌夫)を発売、オリコン1位、ダブルプラチナを獲得。

10月6日、3rdアルバム『Little Bit…』を発売、オリコン2位。

 

11月17日、B-Gram RECORDSへの移籍後初となる7thシングル“Jumpin' Jack Boy”(作詞:上杉昇/作曲:栗林誠一郎/編曲:葉山たけし)を発売、オリコン2位・プラチナを獲得。

 

1993年度はシングル4,112,008枚、アルバム3,187,564枚の売り上げを記録し、第8回日本ゴールドディスク大賞を受賞した。

なお、この頃まで上杉は肩に掛かる位の後髪に黒いジャケットとパンツを着用していた。

 

 

1994年頃から、上杉はガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズを髣髴とさせるような、長髪にバンダナ、ニルヴァーナのカート・コバーンのようなネルシャツにジーンズいう容姿だった。

6月8日、8thシングル“世界が終るまでは…”(作詞:上杉昇/作曲:織田哲郎/編曲:葉山たけし)を発売、表題曲はテレビ朝日系アニメ『SLAM DUNK』第2期EDテーマに起用された。オリコン1位、ミリオン獲得、1,221,250枚。

※映像は2012年のライヴイベント「Animelo Summer Live 2012」で織田哲郎と共演した時のもの。

 

 

1995年2月13日、9thシングル“Secret Night 〜It's My Treat〜”(作詞:上杉昇/英作詞[It's My Treat]:栗林誠一郎/作曲:栗林誠一郎/編曲:池田大介)を発売、オリコン1位、プラチナ獲得、631,350枚。

 

4月24日、4thアルバム『PIECE OF MY SOUL』を発売、オリコン1位。

 

同年、ロック・グランジ・オルタナティブという自身の音楽性を、ダイレクトに表現するようになっていく。それにより、WANDSのデジタルポップ路線を望む会社側との間に食い違いが生じ始める。

12月4日、10thシングル“Same Side”(作詞:上杉昇/作曲:上杉昇・柴崎浩/編曲: WANDS)をリリース、2ndシングル以来となるメンバーのみの手によるシングル曲で、上杉が志向する欧米的な流れであるニルヴァーナ風オルタナティブのサウンドを如実に表すものであったが、当時の日本での売れ筋J-POP路線とは一線を画していたためか、オリコン2位、ゴールド獲得、234,020枚と、前作から大幅に売上を落とす結果となった。

※映像は上杉のソロの音源。本曲に限らず、上杉在籍時のWANDSの映像及び音源は2022年5月24日現在、YouTubeでは正式には公開されていない。

 

 

1996年2月26日、11thシングル“WORST CRIME〜About a rock star who waいs a swindler〜/Blind To My Heart”(作詞:上杉昇/作・編曲:柴崎浩/作詞・曲:上杉昇/編曲:柴崎浩)を発売、オリコン9位。前作“Same Side”同様メンバーだけによる作詞・作曲・編曲となり、“WORST CRIME 〜About a rock star who was a swindler〜”は柴崎がシングルとしては初めて単独で作曲した楽曲であり、“Blind To My Heart”は上杉がシングルとしては初めて単独で作曲した楽曲。本作品後、WANDSは『PIECE OF MY SOUL』以来のオリジナルアルバムを制作していたが、マネジメントサイドと上杉の志向が衝突して上杉が脱退、次いで「上杉のいないWANDSには興味がない」として柴崎も脱退した。

3月16日、初のベストアルバム『SINGLES COLLECTION+6』をリリース、上杉在籍時最後のWANDSリリース作品となった。オリコン1位。

 

6月30日、柴崎浩とともにWANDSを正式に脱退。


1997年11月、柴崎浩とユニット「al.ni.co」(アルニコ)を結成。WANDS時代のビーイング社を離れてユニバーサルJに所属。

元々上杉はWANDSを一人で脱退しソロ活動を開始する予定だった。その際、WANDSのライヴ制作をしていたトライコーンという会社で舞台監督をしていたKという人物がマネジメントをする事となった。その後、ユニバーサルJと契約するに至り、「柴崎も欲しい」と言われたようであり、Kが説得して柴崎を辞めさせたという。

なお、上杉は短髪にサングラス、ニット帽、髭を生やす、太ってしまうなどのイメージチェンジを行っている。

 

 

1998年3月21日、シングル“TOY$!”でデビュー。オリコン15位になった。なお、al.ni.co時代のシングル表題曲はすべて、作詞・曲:上杉昇/編曲:柴崎浩。

 

同年後半から1999年にかけて、オリコン15位になった2ndシングル“晴れた終わり”、同19位3rdシングル“カナリア”、オリコン14位の1stアルバム『セイレン』を発売し、ライヴツアー「al.ni.co LIVE 1999 #1」(全国6ヵ所8公演)を実施する等の活動を行う。なお、“カナリア”は1999年ミズノ「INTERNATIONAL’99」CMソング。

 

 

 

 

2001年、柴崎が「自分の音楽をやりたい」という意思を表明。それに対し上杉は、かつてのWANDS脱退を決意した過去の不自由な自分の姿を重ね、ユニットの解散を決断したという。なお「自分の音楽をやりたい」という経緯に至ったのは、Kという人物が結成時、上杉、柴崎の双方に対し二枚舌のような発言をしていたのも影響している。

上杉は解散、当時の事務所を辞める際、マネジメントを務めていたKより「契約解除をしたいのならば出版権を買え」と言われ、それに応じる形となった。これにより、上杉はal.ni.coの出版権を保持しているのでセルフカヴァー等でリリースする事は出来るが、原盤権はユニバーサルJとKの事務所が管理しているため、この二者が応じない限り、当時の音源での再発売は不可能となっている。

 

同年、ツアー終了とともにal.ni.coは解散。

上杉は自身のレーベル「pojjo récord」(ポジョ・レコル)を設立し、ソロ活動を開始。 al.ni.co以降、それまで行っていた作詞とともに、ほぼ全曲の作曲も手がけるようになる。内省的な歌詞・ザラついたギターサウンドを追求し、ライヴ重視のサウンドへと移行していく。


2005年8月3日、PATA(X JAPAN)とのコラボシングルにして上杉の1stソロシングル“飛んで散れ”(作詞・曲:上杉昇/編曲:PATA)をリリース、オリコン57位。

ソロ活動後は、ビリー・コーガンの影響を受けてスキンヘッドにするとともに、頭と腕にタトゥーを入れるなどをした。

 

11月9日、PATAとのコラボシングル第二弾となる2ndソロシングル“poo pee people”(作詞・曲:上杉昇/編曲:PATA)をリリース、オリコン61位。

 


2006年2月6日、1stソロアルバム『Blackout in the Galaxy』をリリース、オリコン72位。

 

10月25日、3rdソロシングル“TOY$! (scrambled mix)”(作詞・曲:上杉昇/編曲:D.I.E.)をリリース、オリコン60位。

同年秋、元the fantastic designs、TYPHOON24、MIYASONICの「宮沢昌宏」(miya38)とバンド「猫騙」(ねこだまし)を結成、ステージネーム「Show」としてヴォーカルを担当する。結成のいきさつは、ソロ活動をしていた上杉がバンドをやりたいと思い始め、miya38(B)、minzoku(Ds)に声を掛けたのが始まりで、特にmiya38とは古い付き合いで以前から何度かバンドを一緒にやろうという話はあったという。オーディションにより、Billy(G)と涼祐(G)が加入した。
12月6日、“寂しさは秋の色”(WANDS)や“TOY$!”(al.ni.co)等の楽曲をセルフカヴァーしたデビュー15周年記念アルバム『SPOILS』を発売、オリコン86位。

 

12月25日、上杉昇主催「Ja-palooza'06」で、猫騙が ライヴデビュー。猫騙のライヴでは「アンスラックス」の影響を受けてネイティブ・アメリカンの衣装でステージに立っている。


2007年4月27日、猫騙の1stシングル『PROTOTYPE CD 1』をリリース、当初はライヴ会場限定販売だったが、後にオンラインショップでも購入可能になる。

10月16日、2ndシングル『PROTOTYPE CD 2』をリリース。

 

 

2008年5月7日、配信限定ソロシングル“WARP”をリリース。

 

6月18日、配信限定ソロシングル“世界の果てに”をリリース。


2009年、自身のレーベルアーティスト「JAZZNEKO」のアルバムをプロデュース。 

9月4日、miya38こと宮沢昌宏が、原発不明癌により逝去。

9月30日、3rdシングル『PROTOTYPE CD 3』をリリース。収録曲“Devil's Hooligan” (作詞:miya38・SHOW/作曲:miya38/編曲:猫騙)は同日、配信限定シングルとして配信開始。

 

12月4日、自身主催のライヴイベント「Ja-palooza09」よりソロ活動を再開。

 

 

2010年8月25日、猫騙のメジャー流通初のシングル『miya38 tribute songs』をリリース。miya38がかつて所属していたバンド「the fantastic designs」のカヴァー曲を3曲収録。


2012年8月26日に行われたアニメソングのライヴイベント「Animelo Summer Live 2012」では、シークレットゲストとして参加した上杉と織田哲郎が2人でWANDS時代の楽曲“世界が終るまでは…”を歌唱した。この際の名義は、「織田哲郎&上杉昇」であった。


2017年、地元の横須賀市を舞台とした映画『スカブロ』で「進藤組組長」役として映画初出演。

 

 

2018年1月10日、5thソロシングル『棘と吹雪と』をリリース、真島昌利のカヴァー“アンダルシアに憧れて”(作詞・曲:真島昌利)と、じゃがたらのカヴァー“TANGO” (作詞・曲:AKEMI EDO)を収録。

 

8月1日、6thソロシングル『Survivor's Guilt』をリリース、“赤い花咲く頃には” /“ FROZEN WORLD (35 MIX)”を収録、オリコン114位。

10月24日、2ndソロアルバム『The Mortal』をリリース、オリコン88位。

 

 

 

2019年5月6日、会場限定となった7thソロシングル“火山灰[Not Song of War]”を発売。

12月4日、8thソロシングル“防空壕”を発売、オリコン123位。

 


2020年5月27日、9thソロシングル“カワラコジキ”を発売、カップリングは中島みゆきのカヴァー“吹雪” (作詞・曲:中島みゆき)、オリコン86位。
9月30日、10thソロシングル“消滅”を発売、カップリングは森田童子のカヴァー“たとえばぼくが死んだら” (作詞・曲:森田童子) 、オリコン82位。

 

12月23日、11thソロシングル“濫觴”、カップリングはさだまさしのカヴァー“防人の詩 (Recorded Live At YOKOHAMA O-SITE. Kanagawa on August 30.2020)”(作詞・曲:さだまさし)、オリコン112位。

 

 

2021年6月12日、3rdソロアルバム『Dignity』をリリース。

 

 

現在は、年に数回定期的に都内を中心に自身のソロライヴを中心に活動している。ソロライヴでは、自身のソロ曲や猫騙の曲、邦楽と洋楽のカヴァー曲、al.ni.co時代の曲、WANDS時代の曲を歌唱している。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「上杉昇」「WANDS」「al.ni.co」「猫騙」

 

 

(関連記事)