沖縄本島中部、「日本一人口の多い村」である中頭郡読谷村にある村営の野球場です。

読谷村は1943年に帝国陸軍が飛行場を建設したことから、沖縄戦ではこの飛行場を目指し米軍が上陸、「集団自決」を含め多くの住民の命が奪われ、村全体が米軍の占領地となり、戦後は村域の95%が米軍基地となり、戦後も米軍の演習による事故は多発し、基地返還のために多くの村民の労力が費やされたそうです。本土復帰時の1972年の段階で村域の73%、現在も36%が基地となっています。

この球場は1987年の「海邦国体」のソフトボール会場として整備されましたが、この場所も元々は米軍基地があった場所。戦争につながる演習地ではなく、平和の象徴として人々がスポーツを楽しめるようにという願いから「平和の森球場」と名付けられたそうです。

球場設備は2013年に改修されたこともあり、両翼98m、中堅122mの公認野球規則に則った広さのフィールドに電光掲示のスコアボード、簡易型ではありますが照明も備えています。

選手表示はないものの、打席に立っている選手と次の打者を表示する場所と「Information」欄に登板中の投手などを表示する形だと思います。

観客席はバックネット裏は二層構造のスタンドとなっており、収容能力もそこそこのものがあります。

球場の外周はウォーキングコースになっており、球場外から球場建物内(2階スタンドの下)を通ってまた球場外に出るというものになっており、このような使用法がされている野球場は初めて見ました。

球場の外観はコンクリの格子状になっており、この穴あきブロックは「花ブロック」と呼ばれる戦後に沖縄で考案された健在で、風通しや目隠しなどの防犯効果があるとのこと。ある意味沖縄らしい野球場と言えますね。

1990年にダイエー時代のホークスが春季キャンプを行いましたが、周辺設備が整っていないなどの問題から1年で撤退してしまいましたが、1997年以降ドラゴンズの2軍キャンプ地として使用されているほか、高校野球などでも使用されています。

現在は地元の沖縄ハム総合食品がネーミングライツを取得し、「オキハム読谷平和の森球場」という愛称がついていますが、戦中戦後の読谷の歴史を踏まえるとどんなネーミングライツになっても「平和」の文字は欠かさず入れていってほしいなと思います。

 

【所在地】沖縄県中頭郡読谷村字座喜味2901

【球場データ】両翼:98m 中堅:120m 内野:土 外野:天然芝 スコアボード:電光掲示板 照明:簡易のみ 収容人員:5,800人

【アクセス】那覇バスターミナルから50分、「伊良皆」下車、徒歩40分