滋賀院門跡の奥に慈眼堂が建っています。
織田信長による比叡山焼き討ち後の復興に尽力し、徳川家康・秀忠・家光の3代将軍に仕え、黒衣の宰相といわれた慈眼大師・南光坊天海大僧正を祀る廟所です。
堂は宝形造りで江戸時代初期の禅宗様式を基本とする建物です。前に16基の石燈籠が2列に並びます。
堂内には木造慈眼大師坐像(国重要文化財)が安置されていましたが、今は比叡山上の国宝殿に展示されています。
寄木造り、玉眼を嵌入した極彩色の美しい像です。頭に純白の頭巾をいただき、朱地に金襴の衣、七條袈裟を纏い、胸前で金剛杵と数珠を握った姿です。寛永20年(1643)の入滅まもない頃の作とされます。
境内には、延暦寺歴代天台座主の墓や、桓武天皇御骨塔、後陽成天皇・後水尾天皇・慈眼大師・徳川家康・清少納言・紫式部・新田義貞の供養塔が並んでいます。
それらの供養塔の後(西側)に阿弥陀如来石像が並んでいます。この石像は、桃山時代近江国観音寺城主六角承禎が母の菩提のために、母の郷里近江鵜川(現高島市)の地に弥陀の石仏48体を奉安しました。後の世になって天海がここに13体移したものです。
2013.04.16