サザンオールスターズと野球界の40年㉚ ~2007年『明日晴れるかな』と中日53年振り日本一~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

サザンオールスターズは、2006(平成18)年、通算52枚目のシングル『DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~』をリリースし、オリコン1位の大ヒットを記録した。

しかし、この年(2006年)のサザンがリリースしたCDは、これ1枚のみであり、あとは桑田佳祐やサザンが「夏フェス」に出演したものの、それ以外の目立った活動は、あまり無かった。

そして、翌2007(平成19)年、桑田佳祐はソロ活動を行なう事となった。

 

 

桑田佳祐は、サザンオールスターズとしての活動と並行して、

度々、ソロ活動を行なっているが、この年(2007年)のソロ活動は、桑田にとっては「第4期ソロ活動」にあたる。

そして、野球界では、この年(2007年)、落合博満監督率いる中日ドラゴンズが、53年振り日本一の座に就いた。

という事で、今回は2007(平成19)年の桑田佳祐のソロ活動や、音楽界や野球界について、描いてみる事としたい。

それでは、ご覧頂こう。

 

<2007(平成19)年4月…桑田佳祐、5年振りのソロ活動(第4期ソロ活動)再開を発表!!~桑田佳祐の新曲が、フジテレビの「月9」ドラマ『プロポーズ大作戦』の主題歌に>

 

 

2007(平成19)年4月、桑田佳祐が、2002(平成14)年以来5年振りに、ソロ活動を再開する事が発表された。

桑田は、サザンとしての活動の合間を縫って、断続的にソロ活動を行なっていたが、

この年(2007年)のソロ活動は、桑田にとっては通算4度目であり、「第4期ソロ活動」という事になる。

そして、この年(2007年)にリリースされる桑田佳祐の楽曲は、本当にどれも素晴らしく、「神曲」ばかりであり、まさに桑田にとっては充実の1年となるのである。

 

 

 

そして、桑田佳祐の5年振りとなるソロの新曲は、同年(2007年)4月期のフジテレビの「月9」ドラマで、

山下智久、長澤まさみがW主演という事で話題となった、『プロポーズ大作戦』の主題歌として起用される事となった。

桑田佳祐と、「山P」こと山下智久、そして長澤まさみという、当代きっての人気者達が顔を揃えるという、豪華ラインアップである。

ファンの期待も、嫌が上にも高まっていた。

 

<2007(平成19)年5月16日…桑田佳祐、5年振り通算9枚目のシングル『明日晴れるかな』リリース!!~天才・桑田佳祐、またしても珠玉の名バラードを生み出す>

 

 

2007(平成19)年5月16日、桑田佳祐は、5年振り通算9枚目となるソロ・シングル『明日晴れるかな』をリリースした。

『明日晴れるかな』は、まずは美しい旋律のピアノと、そこにアコースティック・ギターが絡むイントロから始まり、

桑田が、切々と歌い上げるバラードであるが、これぞ、まさに「桑田節」とも言うべき、素晴らしい楽曲である。

 

 

サビの部分では、桑田が一気に歌い上げる、「泣きのメロディー」が、とても印象的であるが、

こういう曲を作らせたら、まず桑田佳祐の右に出る者は居ない。

『明日晴れるかな』は、まさに桑田しか作れない、そして桑田しか歌う事が出来ない、珠玉の名バラードである。

「何で、こんな素晴らしい曲が作れるんだろう…」

私も、この曲を聴いて本当に感動してしまったが、こういう凄い曲を作る事が出来る、桑田佳祐は天才だと、改めて思った(※いつも、思っている事ではあるが)。

 

 

そして、私は桑田佳祐が作る曲が大好きなのは勿論、

桑田が書く詞には、いつも感服しているが、『明日晴れるかな』の詞も、大変素晴らしい。

特に、「コロナ禍」の今の時代に読むと、グッと来るものが有る。

「人生、色々有るけど、明日は晴れると良いな」

という、前向きなメッセージは、今の時代にこそ必要であろう。

というわけで、『明日晴れるかな』の詞を、ご覧頂こう。

 

『明日晴れるかな』

作詞・作曲/桑田佳祐

唄/桑田佳祐

 

熱い涙や恋の叫びも
輝ける日はどこへ消えたの?
明日(あす)もあてなき道を彷徨うなら
これ以上 元には戻れない
耳を澄ませば心の声は
僕に何を語り掛けるだろう?
今は汚れた街の片隅にいて
あの頃の空を想うたびに
神より賜えし孤独やトラブル
泣きたい時は泣きなよ
これが運命(さだめ)でしょうか?
あきらめようか?
季節は巡る魔法のように

Oh, baby. No, maybe.
「愛」失くして「情」も無い?
嘆くようなフリ
世の中のせいにするだけ
Oh, baby. You're maybe.
「哀」無くして「楽」は無い
幸せの Feeling
抱きしめて One more time.

在りし日の己れを愛するために
想い出は美しくあるのさ
遠い過去よりまだ見ぬ人生は
夢ひとつ叶えるためにある
奇跡のドアを開けるのは誰?
微笑みよもう一度だけ
君は気付くでしょうか?
その鍵はもう
君の手のひらの上に

Why baby? Oh, tell me.
「愛」失くして「憎」も無い?
見て見ないようなフリ
その身を守るため?
Oh, baby. You're maybe.
もう少しの勝負じゃない!!
くじけそうな Feeling
乗り越えて One more chance.


I talk to myself・・・
 

Oh, baby. No, maybe.
「愛」失くして「情」も無い?
嘆くようなフリ
残るのは後悔だけ!!
Oh, baby. Smile baby.
その生命(いのち)は永遠(とわ)じゃない
誰もがひとりひとり胸の中で
そっと囁いているよ
「明日晴れるかな・・・」
遥か空の下

 

 

桑田佳祐という人は、何故こんなに素晴らしい詞が書けるのであろうか。

特に、私が好きなのは、この箇所である。

 

「在りし日の己れを愛するために
想い出は美しくあるのさ
遠い過去よりまだ見ぬ人生は
夢ひとつ叶えるためにある…」

 

何と言うか、とても文学的であり、

「美しい思い出も大事だけど、人生とは、未来を夢見る事、それが大事なんだ」というような、桑田の「哲学」が伝わって来るようである(※この内容の事は、後年、或るライブで桑田が歌っている)

桑田は天才ミュージシャンであると同時に、非常に優れた詩人であると、私は思う。

 

<『明日晴れるかな』『こんな僕で良かったら』『男達の挽歌(エレジー)』の3曲入りの、超豪華シングル>

 

 

『明日晴れるかな』のシングルには、計3曲が収録されている。

その3曲の内訳は、下記の通りである。

 

・『明日晴れるかな』

・『こんな僕で良かったら』

・『男達の挽歌(エレジー)』

 

 

『明日晴れるかな』は、前述の通り、フジテレビも「月9」ドラマ『プロポーズ大作戦』の主題歌であるが、

『こんな僕で良かったら』は、桑田佳祐自身が出演した、アメリカン・エクスプレスカードのCMソングであり、

『男達の挽歌(エレジー)』も、桑田佳祐自らが出演した、「ダンディ・ハウス」のCMソングであった。

いずれも名曲揃いであり、これらのドラマやCMと共に、思い出される方も多いのではないだろうか。

 

<2007(平成19)年…桑田佳祐『明日晴れるかな』は、ドラマ『プロポーズ大作戦』とのタイアップで、「オリコン1位」の大ヒット!!>

 

 

 

 

 

さて、『明日晴れるかな』が主題歌として起用された、『プロポーズ大作戦』は、

前述の通り、山下智久、長澤まさみのW主演のドラマであったが、

恋に不器用な主人公が、タイムスリップを繰り返しながら、幼馴染との恋愛に奮闘する、という内容のラブ・コメディーであった。

とにかく、『プロポーズ大作戦』は、主演の山下智久、長澤まさみが、キラキラと輝いており、多くの人達を惹き付け、ドラマは大ヒットを記録した。

 

 

 

 

そして、『プロポーズ大作戦』のエンディングでは、桑田佳祐が出演し、

このドラマの出演者たちの前で歌うという映像も有ったが、

『明日晴れるかな』は、『プロポーズ大作戦』との相乗効果も有り、「オリコン1位」の大ヒットを記録した。

こうして、2007(平成19)年、桑田佳祐の「第4期ソロ活動」は、順調すぎるスタートを切った。

 

<2007(平成19)年8月22日…桑田佳祐、通算10枚目のソロ・シングル『風の歌を聴かせて』リリース!!~映画『Life 天国で君に逢えたら』の主題歌に起用された、バラード曲~サビの部分では、原由子がコーラスで参加>

 

 

2007(平成19)年8月22日、桑田佳祐は、通算10枚目となるソロ・シングル『風の歌を聴かせて』をリリースした。

『風の歌を聴かせて』も、バラード曲であるが、前作『明日晴れるかな』とは、また一味違った味わいの楽曲である。

『明日晴れるかな』が、壮大なバラードといった趣だったのに対し、『風の歌を聴かせて』は、主にアコースティック・ギターをメインにした曲で、

桑田佳祐が、じっくりと弾き語ってくれているような印象が有る。

敢えて「小品」と言わせて頂くが、こういう曲にこそ、桑田の持つ豊かな音楽性が存分に発揮されているとも思える。

そして、私は桑田が歌う、こういう曲が大好きなのである。

なお、この曲のサビの部分では、原由子がコーラスで参加し、いつもながら、桑田との息の合ったハーモニーを聴かせてくれている。

 

 

そして、『風の歌を聴かせて』は、映画『Life 天国で君に逢えたら』の主題歌に起用された。

『Life 天国で君に逢えたら』は、38歳の若さで、癌で亡くなった、プロのウインドサーファーの飯島夏樹が書いた本が原作であり、

最後の最後まで、前向きに人生を生きた、飯島夏樹という人物の生き様を描いた、感動的な映画である。

映画では、大沢たかお、伊東美咲が、飯島夏樹と、その妻の役を演じていたた。

 

<桑田佳祐が、『風の歌を聴かせて』に込めた思いとは?~亡くなって行く人への鎮魂歌と、残された人々への、温かい眼差しの応援歌>

 

 

では、桑田佳祐は『風の歌を聴かせて』に、一体どんな思いを込めていたのであろうか。

それを読み解く前に、まずは『風の歌を聴かせて』の歌詞を、ご覧頂こう。

 

『風の歌を聴かせて』

作詞・作曲/桑田佳祐

唄/桑田佳祐

 

夢の枕に寄り添って
もう一度だけ名を呼んで
ひとりぼっちの世界で
かりそめの逢瀬

永遠(とわ)の彼方へ You’re my angel.
海を称え 人間(ひと)を愛して
二度と帰らぬ旅に出る

夏の日よ Love you forever.
儚きは陽炎
波に舞い 帆揺れてた
人はもう亡い

海なる風に抱かれ
無常に泣くばかり
現在(いま)も忘れ得ぬ
You are breathing in my spirit.

真夏の夜の星座が
慕情に霞む時
明日(あす)も Wind is high.
もう涙を止められない

盆の花火は妙に静寂
刹那さを煽るはどうして?
艶やかな有終の美
人の世の運命(さだめ)

生まれ変われど Be my angel.
出逢い 泣き 笑い・・・そして
共に魂は風となる

いつの日かTill we’re together.
面影に戸惑う
太陽と戯れた季節(とき)は終わる

天使のような翼で
空を飛べたなら
逢いに行きたい
Are you sailing now in heaven?

虹の向こうに見えるは
希望に燃ゆ未来
守ってくれたら
悲しみにはもう負けない

海なる風に抱かれ
口ずさむメロディ
やがて When I die.
雲の上で口づけして
あの日のまま笑顔でいて
風の詩(うた)をまた聴かせて

 

 

当時、桑田佳祐は、親交の深い岸谷五朗との、テレビ番組での対談で、

『風の歌を聴かせて』について、こんな事を語っている。

以下、その発言の趣旨を要約して、お伝えさせて頂く。

「おふくろが亡くなってから、もう13年ぐらい経つんだけどね(※桑田佳祐の母は、1994(平成16)年に他界)、その時、有り難い事に、沢山の人が来てくれて、みんな沈痛な表情で、おふくろを見送ってくれたんだよね…(中略)…その時、1人、凄いニコニコ笑いながら、来てくれた人が居たの(※桑田の母と、とても親しかった人のようである)。それが、凄く有り難かったというかね…。それは、いつもと同じような様子で、おふくろを見送る、という事でもあったと思うけど、それだけじゃなくて、生きている者同士が、またそこで出会う、みたいなね。そこに笑顔が有ったも良いんだ、っていうね」

2007(平成19)年当時、桑田佳祐の両親は、既に他界していた。

桑田は、亡き両親への思いと共に、残された人達についても、思いを馳せていたのである。

彼の話は、映画『Life 天国で君に逢えたら』に絡めて、更にこう続く。

 

 

「あれは、亡くなった飯島夏樹さんという方の物語なんだけど、ご家族は、今でも元気に残っていらして、まあ、寂しさは消えないだろうけれども、その残されたご家族に対して、僕の立場で、少しでも元気付けたいというか…(中略)…残された人達がね、ちょっとでも、3センチぐらいで良いから、ちょっとだけでも気持ちが浮けば良いんじゃないかなと思って、そういう気持ちを込めました」

つまり、桑田佳祐は、『風の歌を聴かせて』を、

「亡くなって行く人への鎮魂歌と、残された人々への、温かい眼差しの応援歌」

として作ったのではないかと、私は思う。

人間、いつかは皆、亡くなって行くが、亡くなった人を心を込めて見送り、そして、残された人達は、少しでも前向きに生きて行ければ良いんじゃないかなという事を、桑田は言っているのである。

私も、つい先日、父を亡くしたばかりであるが、だからこそ、今、『風の歌を聴かせて』に込められたメッセージは、私の心に、とても響いている。

 

<『風の歌を聴かせて』『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』『MY LITTLE HOMETOWN』の豪華3曲入りのシングル、またもや「オリコン1位」の大ヒット!!>

 

 

 

さて、『風の歌を聴かせて』のシングルCDには、

 

・『風の歌を聴かせて』

・『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

・『MY LITTLE HOMETOWN』

 

という3曲が収録された、豪華なラインアップであったが、

前作『風の歌を聴かせて』に引き続き、『風の歌を聴かせて』も、またもや「オリコン1位」の大ヒットを記録した。

この年(2007年)、桑田佳祐は「これでもか」と言わんばかりに、名曲を連発しており、いずれも大ヒットさせているのだから、本当に凄い。

 

<『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』は、缶コーヒー「WONDA(ワンダ)」のCMソングに起用され、桑田佳祐はCMで植木等、ジャイアント馬場、黒澤明と「夢の共演」!?>

 

 

 

 

 

さて、私は『風の歌を聴かせて』のカップリング曲の『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』は、本当に大好きなのだが、この曲は、ロックンローラー・桑田佳祐のカッコ良さが、存分に発揮されており、とにかく最初から最後まで、徹頭徹尾カッコイイ、ロック・ナンバーの名曲である。

そして、『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』は、缶コーヒー「WONDA(ワンダ)」のCMソングに起用されたが、このCMに桑田佳祐自らが出演し、当時、既にこの世を去っていた、桑田が敬愛する「有名人」と、桑田が「夢の共演」を果たしているのである。

まず、桑田佳祐と、クレイジー・キャッツの全盛期の頃の植木等が共演した「桑田佳祐VS植木等編」では、桑田佳祐が「WONDA(ワンダ)」の缶を開けると、そこに若き日の植木等が登場し、桑田佳祐・植木等のコンビは、クレイジー映画ばりに、一緒に踊りまくるのである。

まさに、全盛期のクレイジー映画に、桑田がタイム・スリップしたような内容である。

 

 

 

 

「桑田佳祐VSジャイアント馬場編」では、

ある寒い朝、「あー、寒い…」と、桑田が寒さに震え、「WONDA(ワンダ)」の缶を開けると、そこにジャイアント馬場が現れ、

ジャイアント馬場のプロレス技で、桑田佳祐が温められ(?)、桑田が「温まりました!!」と、ギブアップしながら叫ぶ(?)という内容である。

プロレス大好きの桑田にとっては、本当に嬉しい共演だったに違いない。

 

 

 

 

 

「桑田佳祐VS黒澤明編」では、桑田佳祐が電車に乗り遅れてしまい、ガッカリした所で、「WONDA(ワンダ)」の缶を開けると、

そこに突如、世界の巨匠・黒澤明監督が登場し、黒澤明は、桑田に対し、電車の線路に突然現れた、戦国時代の騎馬軍団の中の、1頭の馬に乗るよう、指令を出した。

桑田は、その馬に飛び乗り、騎馬軍団と共に去って行く…というような内容であった。

植木等・ジャイアント馬場・黒澤明という、いずれも桑田佳祐が敬愛して止まなかった「有名人」との「夢の共演」は、見ていて、私もワクワクしたものである。

「WONDA(ワンダ)」のCMも、なかなか粋(いき)な事をするが、私は今でも「WONDA(ワンダ)」は、よく飲んでいる。

勿論、このCMの影響であるというのは、言うまでもない。

 

<2007(平成19)年12月5日…桑田佳祐、通算11枚目のシングル『ダーリン』リリース!!~『ダーリン』『現代東京奇譚』『THE COMMON BLUES ~月並みなブルース』の3曲入りシングルで、ゴキゲンなポップ・チューン『ダーリン』は、またもや「オリコン1位」の大ヒット!!>

 

 

2007(平成19)年12月5日、桑田佳祐は、この年(2007年)3枚目、通算11枚目となるシングル『ダーリン』をリリースした。

前2作『明日晴れるかな』『風の歌を聴かせて』が、バラードだったのに対し、

『ダーリン』は、ガラリと趣を変えて、ゴキケンなポップ・チューンであり、それでいて、何処か切なさも漂う、桑田佳祐の「十八番」とも言うべき、素晴らしい楽曲であった。

 

 

『ダーリン』のシングルCDには、

 

・『ダーリン』

・『現代東京奇譚』

・『THE COMMON BLUES ~月並みなブルース』

 

という3曲が収録されているが、これで、この年(2007年)にリリースされた3枚のシングル×3曲で、

桑田佳祐は1年間に9曲もの素晴らしい楽曲を、世に送り出した。

しかも、そのどれもが素晴らしい曲ばかりであり、2007(平成19)年の桑田佳祐は、ノリにノッっていたと言って良いであろう。

 

 

 

 

 

ちなみに、『ダーリン』の詞は横浜が舞台であり、この曲のPV撮影は横浜で行われたが、

ボロ船(?)に乗った桑田佳祐が、別れた恋人(※演じるのは、夏目ナナ)の幸せを思い、

「俺よりもいい男がいるなら それでいいのさ 泣いたのは 幸せなお前が見れたから」

と歌う場面は、グッと来るものが有る。

つまり、この曲は「男の瘦せ我慢」がテーマなのであるが、恋人と別れた悲しさをグッと堪え、彼女の幸せを祈る…という、桑田なりの「男の美学」が歌われている。

このように、『ダーリン』の詞の世界も、また大変素晴らしいものである。

 

 

 

 

なお、『ダーリン』も、またもや「オリコン1位」の大ヒットを記録し、

これで、桑田佳祐は、2007(平成19)年にリリースした3曲の全て「オリコン1位」という快挙を達成した。

まさに、桑田佳祐は、ソロ・アーティストとして、円熟期を迎えたと言って良いであろうが、これがサザンオールスターズとしてのバンド活動の在り方について、桑田が、改めて色々と考える「転機」になったかもしれない。

 

<2007(平成19)年11~12月…桑田佳祐のソロ・ライブツアー「WONDA presents桑田佳祐LIVE TOUR 2007呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW」開催>

 

 

 

2007(平成19)年11~12月にかけて、桑田佳祐はソロ・ライブツアー「WONDA presents桑田佳祐LIVE TOUR 2007呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW」を開催した。

この年(2007年)12月31日、このツアーの締めくくりとして、桑田は横浜アリーナで、ソロとして、年越しライブを行なった。

こうして、桑田佳祐は充実すぎるぐらい充実していた、2007(平成19)年の活動を締めくくったが、「ソロ・アーティスト桑田佳祐」として、存分に才能と実力を発揮した事により、サザンオールスターズとしての活動方針に、桑田は、いよいよ悩みを深くして行った。

そして、遂にサザン史上、最大の衝撃が有った、2008(平成30)年のサザンの「30周年イヤー」を迎えるのである。

 

<2007(平成19)年…サザンと同じ事務所(アミューズ)所属で、広島出身の3人組の「テクノ・ポップ・アイドル」Perfumeが『ポリリズム』で遂に大ブレイク!!~「Pefume時代」が到来>

 

 

 

さてさて、2002(平成14)年に、地元・広島でインディーズ・デビューを果たしていた、

あーちゃん(西脇綾香)、かしゆか(樫野有香)、のっち(大本彩乃)の3人組のアイドル・グループ「Petfume(※デビュー当時のグループ名は「ぱふゅーむ」)」は、その後、数年間、全く鳴かず飛ばずであった。

「Perfume」は、上京し、サザンも所属する芸能事務所「アミューズ」に入り、中田ヤスタカのプロデュースを受けたが、中田ヤスタカにより、それまでは、冴えない売れないアイドルでしかなかった「Perfume」は、「テクノ・ポップ・ユニット」に「大変身」させられる事となった。

 

 

 

 

 

 

そして、2007(平成19)年、「Perfume」は、『ポリリズム』を大ヒットさせ、

遂に「Perfume」は大ブレイクを果たし、この年(2007年)に「第58回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たした。

こうして、遂に「Perfume時代」が到来し、「Perfume」はサザンと並ぶ、「アミューズ」の大看板となった。

実は、私はこの何年か前、友人に無理矢理、アミューズのイベント(※サザンは出ていない)に連れて行かれ、まだ全然売れていなかった頃の「Perfume」を見た事が有るが、その時は、まさかこの子達が、その後、あんなに売れるとは、夢にも思っていなかった。

その友人は、熱心に「Perfume」を推していたが、今思えば、その人は物凄い先見の明が有ったものである。

今更なから、脱帽である。

 

<2007(平成19)年の主なヒット曲…秋川雅史『千の風になって』が大ヒット!!>

 

 

 

 

 

2007(平成19)年の主なヒット曲は、ご覧の通りであるが、

この年(2007年)、最も売れた曲は、クラシックのアーティストである秋川雅史が歌った、『千の風になって』である。

『千の風になって』も、桑田佳祐の『風の歌を聴かせて』のように、人間の死をテーマにした曲であるが、

「亡くなった後も、私は千の風になって、貴方を見守り続ける」

といったメッセージが込められた楽曲は、多くの人々の心を打ち、クラシックのアーティストとしては異例の大ヒットに繋がった。

 

<2007(平成19)年12月31日…「第58回NHK紅白歌合戦」に、「AKB48」が、中川翔子、リア・ディゾンとの抱き合わせで「アキバ枠」で出場するが…「AKB48」は、未だ真のブレイクには至らず>

 

 

 

 

前述の通り、この年(2007年)の「第58回NHK紅白歌合戦」に、「Perfume」が初出場を果たしたが、

同じ「紅白」で、秋元康プロデュースの「AKB48」も、「紅白」初出場を果たした。

しかし、これは「AKB48」の人気や実力が評価されたものではなかった。

何故かと言えば、「AKB48」は、中川翔子(しょこたん)、リア・ディゾンと共に、「アキバ枠」なる、色物っぽい企画枠(?)での、抱き合わせでの出場だったからである。

 

 

 

 

 

「AKB48」は、一応、「紅白」に出る事は出たが、彼女達の出番は、あっという間に終わってしまい、

その後、中川翔子(しょこたん)、リア・ディゾンが立て続けに登場した「アキバ枠」の一つとして、「AKB48」は、すっかり霞んでしまった。

残念ながら、この時の「AKB48」は、「何だか、大人数のワケにわからない子達が、ガチャガチャ出て来た」という以上のものではなく、「紅白」に爪痕を残す事は出来なかった。

つまり、「AKB48」は、真のブレイクを果たしていたわけではなかったのである。

「AKB48」が本当に売れるまでには、この後、まだもう少し時間がかかった。

 

<2007(平成19)年のセ・リーグ…原辰徳監督率いる巨人が5年振り優勝⇒CS(クライマックス・シリーズ)で落合博満監督率いる中日が「下克上」を果たし、中日が2年連続日本シリーズ進出>

 

 

2007(平成19)年のセ・リーグは、シーズン終盤まで、巨人・中日・阪神が三つ巴の激しい優勝争いを繰り広げたが、

最後は、原辰徳監督率いる巨人が大混戦を抜き出し、巨人が2002(平成14)年以来、5年振りの優勝を達成した。

原監督は、前年(2006年)に巨人監督に復帰し、復帰2年目で、第1期監督時代以来、5年振りのリーグ制覇を成し遂げた。

 

 

 

一方、惜しくもリーグ連覇を逃し、2位に終わった、落合博満監督率いる中日ドラゴンズは、

この年(2007年)からセ・パ両リーグに導入された「CS(クライマックス・シリーズ)」で、阪神・巨人を倒し、

中日が「下克上」で、2年連続日本シリーズ進出を果たした。

まさに、落合監督の意地の為せる業であった。

 

<2007(平成19)年のパ・リーグ…日本ハムが2年連続優勝!!~CSも突破し、2年連続日本シリーズ進出>

 

 

一方、パ・リーグは、北海道日本ハムファイターズがリーグ連覇を達成、

日本ハムはCS(クライマックス・シリーズ)も突破し、2年連続日本シリーズ進出を果たした。

こうして、日本シリーズは、2年連続で「日本ハムVS中日」という対決となった。

 

<2007(平成19)年の日本シリーズ…中日が4勝1敗で日本ハムを破り、中日ドラゴンズが「53年振り日本一」達成!!>

 

 

 

こうして、2年連続で「日本ハムVS中日」の対決となった日本シリーズは、

落合博満監督率いる中日ドラゴンズが、4勝1敗で日本ハムを破り、中日が遂に1954(昭和29)年以来、「53年振り日本一」を達成した。

1954(昭和29)年といえば、サザンの桑田佳祐・原由子夫妻が生まれた1956(昭和31)年よりも、2年も前である。

それだけ長い間、中日は「日本一」から遠ざかっていたのであった。

…というわけで、次回は2008(平成30)年、サザンオールスターズの波乱の「30周年イヤー」のお話である。

乞うご期待、と言っておこう。

 

(つづく)