なるほど京都1022ー宇治の「網代木(あじろぎ)」とは? | hiroyukikokaのブログ

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「朝ぼらけ、宇治の川霧、たえだえに、あらわれわたる、瀬々の網代木」万葉集の歌で的確に宇治を表現した歌です、宇治の川霧は冬になると川面に現れます、この霧はお茶の葉っぱに霜が降りるのを防ぎます、

次に網代木ですが、網の代わりの木や竹を使った魚を捕る仕掛けの事です、この木々が霧の合間に見えると言うこの情景が宇治の

茶を生み出します、

琵琶湖の唯一の排水の宇治川は琵琶湖で育った鮎の稚魚「氷魚(ひうお)」の生息地で、宮中に献上されていました、宇治は

この当時川魚漁が主な産業でしたが、度々、氾濫して、洪水を起こし、宇治橋を流失させるので、奈良の西大寺の叡尊が魚の殺生がこの災いの元として、川魚漁を禁止し、川の中之島に漁具等を

埋めて、供養塔を造ったのが塔の島の十三重の石塔です、宇治川河畔の漁師は失業します、そこで叡尊は茶の栽培を失業対策で

興します、昔は宇治川河畔が茶畑でこの茶葉を宇治川の霧が霜から守って、良質なお茶が育ったのです、災い転じて何とやら、この絶妙な気候が宇治茶を生みました、平等院の宇治川沿いの堤防の路を「あじろぎの路」と言うのは、この辺りが網代での漁の場所だった事を物語っています、

又、茶室などの数寄屋建築にヘギで編んだ模様のものを網代と言います、お茶と網代は此処で繋がっています。