昨日、日本テレビ「マツコ会議」をご覧頂いた皆様、ありがとうございました。

テーマは「東南アジアで大成功した人々」

皆さんはどんな風に番組をご覧になりましたか?

 

まだ見れていないという方は、日本在住の方に限るのですが、以下のリンクからご覧いただけます!

 

 

残念ながら海外からアクセスすることはできないのですが、日本いらっしゃる方で見逃してしまった方は観て頂けると嬉しいです。

 

というわけで、「マツコ会議」出演から一夜明けてこれを書いているのですが、まず最初の感想は日本の民放キー局を観ている人の数はやっぱりとてつもなく多いのだなということです。

 

SNSで連日告知はしていましたが、僕の年代やそれより上の人の中にはSNSをほとんど開かない人もいるわけで。

そういった人たちから携帯やPCメールなどに「たまたま観てたら出てきてびっくりした!」という連絡が来ていたりして、反響の大きさを感じています。

 

このブログを書き終わったら、思いっきり「エゴサーチ」して色々な感想を見に行ってはリツイートやライクを片っ端から付けていこうと思っています。

感想等をSNSに投稿して頂いた方、本当にありがとうございます!

必ず見にいきます!

 

それでは、見れてない人もいると思うので、少し番組を振り返ってみたいと思います。

 

ゲストはこの3人でした!!

 

加藤ひろあき(インドネシア)

すわじゅんこ(ミャンマー)

Fumiya(フィリピン)

 

 

自己紹介からいきなりのマツコさんツッコミ!

 

冒頭、ゲスト3人の一番手に指名された加藤ひろあき。

どんな感じでインタビューが進行していくのかもわからないまま自己紹介に突入。

 

今やっていることを並べていく加藤ひろあき氏。

 

そこで、いきなりのマツコさんからのツッコミ。

 

「本業はほぼないわね」

 

 

鋭い!(笑)

流石、マツコさんっす。

でも、本質を突いてるな〜と思ったんですよね。

 

マツコさんは僕のことなんて何もしらないはずなのに、あの冒頭の自己紹介だけでそれが言えるって、やっぱり百戦錬磨です。

僕はまさに、このオールラウンダーを武器に活動しているのでこのツッコミは本当に的を得ていると思います。

 

そんな中でも2021年は、2017年のアルバム以来なかなか進められていない音楽の新作を発表して、ミュージシャンとしての価値に重きを置いていたいと思っています。

原点と自分のパッションに立ち返って、このフィールドで勝負したいと思ってます。

 

そんなセンセーショナルなオープニングで始まったマツコさんとのトーク。

話は僕がどうやってインドネシアで知名度を獲得していったかの話になり、2014年ジャカルタ移住して獲得して、一年半続いた旅番組「Indonesia Banget」で徐々にお茶の間に顔と名前が浸透していってという話から、2017年のアルバムの話へ。

 

 

インドネシアポップス「Ruang Rindu」を紹介

 

一番のヒット曲はと聞かれ、迷わず「Ruang Rindu」をチョイス。

この曲はインドネシアで2006年に大ヒットした楽曲で、それを僕が日本語に訳して、この楽曲を歌っている本人とデュエットしたものです。

現在までに350万回再生して頂いている、僕の音楽人生を救ってくれた楽曲です。

 

実はここだけの話、「話の流れ次第ですが楽曲の紹介などは難しいかもしれません」と事前にスタッフの方から言われていたんですが、マツコさんの方から興味を持って聞いてくださり、この楽曲を日本のお茶の間にも届けることができました。

 

 

一緒に歌ったNoeの顔も日本のお茶の間へ!わーい。

 

 

マツコさんからは「ずるい!」とのお言葉を頂きました!(笑)

そう、僕は有名な方の力とその楽曲に頼って最初の一歩を掴ませて頂きました!

 

名も無い者がまずは皆さんに見てもらえるフェーズにいくにはこういうことがきっと必要で、有難いことに僕はそれを使える出会いをしてきていたということですね。

テリマカシ以外の何ものでもありません。

 

昨日は放送されませんでしたが、この後、マツコさんは僕のオリジナルの楽曲「Jakarta Sunset」もフルで聞いてくださって、

 

「普通にいい曲だわ。たぶん普通にいい曲すぎて、放送には乗らないかもしれないわね(笑)」

 

と言って頂き、実際に放送にはのりませんでした!(笑)

でも、マツコさんにも聞いてもらえたのは嬉しかったですね。

ちなみにその「Jakarta Sunset」はジャカルタと周辺の街を繋ぐ電車の車内モニターで2年ほど流して頂いていた曲です。

 

 

 

話題は「そもそも何故インドネシアへ?」

 

僕がインドネシアへの移住を決断したきっかけの一つが「COWCOW」さんと「あたりまえ体操」の存在です。

僕が翻訳したこの「あたりまえ体操」のインドネシア語バージョン「Senam yang iya iyalah」の爆発的なヒットがなくしては語れないので、それも紹介できて良かったです。

 

このCOWCOWさんのテレビ収録などの通訳として、後ろにくっついていってテレビの方々と連絡先を交換してたりして、何とかかんとかチャンスを掴もうとしていた2013年、2014年。

インドネシアのプロデューサーにご飯奢らされたり、約束ドタキャンされたり、その上で何にも繋がらないなんてこともしょっちゅうだったなー。懐かしい。

 

#COWCOWさんの後ろでダルダルのネクタイしてるのが通訳の僕です。

#マツコさん顔怖い

 

でも、この当時からCOWCOWさんはいつでも「加藤ひろあきさんの素晴らしい的確な翻訳のおかげでここまでヒットしました」って日本インドネシア問わず、どのメディアでも言ってくれてて、涙が出るほど嬉しかったです。

 

COWCOWさんには本当に感謝ですし、これからも恩返し出来るように頑張っていきたいと思います。COWCOWさんとは今もいい関係を続けさせてもらっているので、また何か新しいものも作りたいですね。

 

 

そして、話題は妻のアリーナへ

 

 

アリーナはインドネシアで日本の番組が見れるケーブルチャンネル「WAKUWAKU JAPAN」でマツコさんの番組を欠かさず見ていて、ずっとファンでした。

その番組は「マツコ会議」ではなかったのですが、その頃から「いつか会ってみたい!」とアリーナは言っていて、オンライン上ではありますが、それが叶った瞬間でした。

実際に会ってみたら、画面を通してでも迫力が伝わったみたいで、緊張してました(笑)

 

ちなみに僕のマネージャーの一人は日本の留学時代にファンクラブに入っていたほどの「嵐」ファンなのですが、僕のマネージャーになってからも「会いたい、会いたい」とずっと行ってたら、嵐のジャカルタでの記者会見の司会を僕が担当することになって、マネージャーの願いがまさか叶いました。

嵐のファンで、生きてる間に実際に嵐と会える人はどのくらいの割合なんでしょうか。しかも、インドネシア人で、インドネシアで、ですよ。

どんな巡り合わせだよ(笑)

 

ということで、他人の夢を叶えてあげられる活動ができてるみたいです!

人を笑顔にするのは好きなので、良かったです!!(笑)

 

 

そして、妻のバンドMOCCAも日本のお茶の間に届けることができました!!

最近、通算6枚目のアルバム「Day By Day」を発売したMOCCA。

そのアルバムは日本のインディーレーベルから日本でも発売されることが決定しているので、少しでもこうして名前を届けられて良かったです。

 

と思っていたら、Twitterの反応の中に「MOCCA?!自分が好きで日本からアルバムを探して買ったのを思い出した!そのボーカルの旦那さんが日本人だなんて!」といった呟きをされている方がいて、MOCCAの音楽のファンが国境を越えて日本にもちゃんといることに改めて感心しました。流石です。

 

ここで、これまでの話の全ての合点が入ったマツコさん。

 

「そういうことかー!!!!」と(笑)

 

そして、出てきたのがこの言葉。

 

 

マツコさんの優しさ(笑)

 

 

それを訳して伝えます。

そして、アリーナは一言。

 

 

これにマツコさん、スタジオ大爆笑で、加藤ひろあきのコーナーは幕を閉じました。

 

 

放送されなかったマツコさんからの言葉

 

実はこの放送ではカットされてしまっていますが、僕ら3人とも放送よりもっと長い時間マツコさんとお話しさせて頂いてました。

 

他のお二人は45分くらいだったのですが、僕は1時間くらい話をさせてもらいました。興味を持ってもらったのか、トップバッターだったからかはわかりませんが、すごく有り難かったですし、マツコさんとじっくりお話しすることが出来ました。

 

1時間話終わって、最後の方にマツコさんが、

 

「今までの話を聞いてわかったわ。隣にいる奥さんもそう、一緒にデュエットしてくれた有名な歌手の方もそう、COWCOWさんもそう、その他のこともそう、みんなこの人を助けたいと思うんだろうね。」

 

「あんたを助けたいとみんなが思うのよね。ってことは、あんたがそうしたいと思わせてるってことで、そういう生き方をしてんのよ。」

 

「あんたは絶対的に出会いに恵まれて、それを繋いでここまできてるのよ。だから、大切にしなさい。応援してくれる人たちを。」

 

という言葉をくれました。

 

これがマツコさんとお別れする直前の言葉だったのですが、それまでのバラエティーのトーンとはちょっと違って、真面目にというか諭すように言葉を掛けてくれました。

もしかしたら、放送されないってわかってて掛けてくれた言葉なのかもしれないですね。

 

そして、こうも言ってくれました。

 

「あんたを応援してくれてる人たちの為にも、あんたもっと頑張って成功しなさい。あんたみたいな人がインドネシアにいるって、私たちにとっても大切なことになるはずよ。」

 

と。「私たちにとっても大切なことになる」というのは、その直前で僕がインドネシア人と日本人を繋ぐハブのような存在になりたいと話ことを受けて、伝えてくれた言葉です。

恩返ししたいですね。

これを読んでくれている人たちに、応援してくれてる人たちに。

 

そして、僕はマツコさんにこう言いました。

 

「ここインドネシアで腰を据えて、根を張ってやっていくつもりです。だから、長いスパンで活躍できるように…」

 

という言葉を遮るように、

 

「そんなに猶予はないわよ。そんなに時間かけないでもっと成功しなさい!」

 

と叱咤激励頂きました!(笑)

 

これが、放送されなかった部分で僕がとっても印象に残ったマツコさんからの言葉です。すごく胸に響きました。

 

特に「人と出会って、その人たちが助けたいと思ってくれる人生」ってマツコさんから言ってもらえたことが、「これでいいのかな?」「おれは誰かの役に立っているんだろうか?」と日々自問自答している自分に一筋の光を当ててくれました。

 

「マツコ会議」に出演できたこと自体もとても大きなことだったのですが、僕としてはこの言葉をマツコさんからもらえたことと、この出演を自分事のように喜んでくれる、応援してくれている皆さんの反応が何より嬉しかったです。

 

こんな僕でもここまでこれるんだから、みんなに出来ないことなんてないよって思ってます。

何度も「やめたほうがいいよ」「才能ないんだから、やるだけ無駄でしょ」って言われたことも思い出しながら、負けなくて良かったなと思います。

 

でも、これからも落ち込んだり、凹んだり、自分の無力さに絶望したりしながら活動をしていく修羅の道であることには変わりないんですが、それでも昨日喜んでくれたあなたと、また一緒に歩いていきたいと思います。

 

これからも、加藤ひろあきをどうぞ宜しくお願い致します。

 

長々と書いてしまいましたが、以上が「マツコ会議」の出演の模様と裏話でした。

ここまで読んで頂いた方、テリマカシ!大好きです。

 

それでは、

みなさんにとって、今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。

 

僕は昼ごはんを食べたら、エゴサーチ時間に入ります!(笑)

 

ひろ。