岸部 四郎 天国へ | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング

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GS(グループサウンズ)やフォ-ク。映像や音楽を紹介します。

 

 

俳優、司会者、ミュ-ジシャンとして活躍した 「岸部 四郎」 が8月28日に亡くなった。

 

 

今の若い人は、ひょっとして名前も知らないかも知れない。

 

年齢層によって 「ザ・タイガ-ス」 の岸部シロ-。

西遊記の 「沙悟浄」 の岸部シロ-。

「ルックルックこんにちは」 の司会者である岸部シロ-。

「岸部一徳の弟」 である岸部シロ-。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイドルだったと言うより、お笑いのイメージがあるかも知れない。

 

実際、あの関西弁で多くの人を笑わせてきた。

「西遊記」 は、子供も大人も楽しめた伝説の番組であった。

 

 

 

「西遊記」 の少し前、1970代前半は歌手や役者として存在感を示していた。

その頃、バラエティ番組に出演し歌も披露していました。

 

 

1981年 「日劇最後のウエスタンカ-二バル」 が開催されました。

ザ・タイガ-ス解散の10年後。

偶然にも1971年1月24日から10年、1981年1月24日開催でした。

 

テレビ放送では、岸辺シロ-はゲストみたいな形でMCのみ短時間の出演。

しかし、実際にはMCも長く、タイガ-スの演奏で 「ワ-ズ」を熱唱。

カットされたのが、少し惜しい感じです。

 

 

 

西遊記としての役者のイメージが強いが 「電車男」 のイメージも強烈でした。

2003年に入院して心配したが、役者として2005年に復帰。

この時は、完全復帰と思ったので演技に注目していました。

あぁ~~さすが岸部シロ-!演技は最高だ!

 

このドラマでは、主役の 「伊藤敦史」 の父親役。

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

 

15年ぶりのドラマ出演だったようだが、存在感が凄かった。

奧さん役は 「戸田恵子」 

 

 

その後、体調が悪化しメディア出演は減った。

しかし 「沢田研二ライブツアー2012」 の、日本武道館公演に車椅子姿で登場。

「若葉の頃」 を熱唱。

1971年の 「解散時のメンバー」 が全員揃った、記念すべき日となった。

 

 

千葉の老人ホ-ムに入居しているのは聞いていたが、体調面の情報があまり聞こえなかった。

そんな中、2013年のザ・タイガ-ス再結成のラストで登場したのであった。

「イエスタデイ」 を熱唱。

涙したファンも多かっただろう。

 

 

ファンにとっては、ザ・タイガ-スには 「なくてはならない存在 」なのだ。

 

 

あれから7年。

最近のような気もするが、確実に7年が過ぎてしまった。

情報も少なく、ファンは心配をしていた中、今回の訃報が流れた。

昔の70歳と違い、今の時代の70歳は若い。

昔で言う50代のような気がする。

戦国時代は、50歳を超えたら長寿だった。

 

岸部シロ-が加入して、ザ・タイガ-スの雰囲気が変わったと思う。

青年から、大人のバンドになったのかも知れない。

 

どこまでが真実かわからないが、新メンバーに3人の候補がいました。

当時の雑誌では 「トラになりそこなった3匹のネコくん」 と紹介されていた。

 

 

 

 

 

アルファ-ドの丸山氏が、岸部シロ-の思い出を日記に書いています。

紹介しますので、読んでみてください。

 

 

シローちゃんの訃報

 

 

 

長い間入院していたので、きっと疲れてしまったのでしょう。

彼は、ボクより1才年下です。

のっぽ時代(サリ-の店) のクセで、いつもシローちゃんと呼んでいました。

初めての出会いは、ザ・タイガースの楽屋だったと思います。
彼はステージを見るわけでもなく、黙々とメンバーのお世話係などの雑用をこなしていました。

そんな時、ボクはシローちゃんに聞きました。

 

ビートルズの 『アビーロード』 と 『ヒューマン・ルネッサンス』 の、どちらかを買おうと思っているんだけど、どっちを買ったほうがいいかな?

シローちゃん、間髪おかずに言いました。


「そんなもんビートルズに決まってるやないか。タイガースなんて買わんでええ」

自分がそのタイガースのメンバーになるなんて、夢にも思っていなかったでしょうね。

文子姉さん (シロ-の姉) とは、新宿駅前の三峰まで、ショッピングのお手伝いをしました。
ボクの体型が、サリーやシローちゃんに近い、ほっそりタイプだったからです。
その時は、茶系のタートルネックのシャツを買いましたっけ。

ある日、シローちゃんが 「のっぽ(サリ-の店)」 に来ました。

 

文子姉さん (シロ-の姉) と3人で、目黒ハイツ (ザ・タイガ-スのメンバ-が住んでた) まで、タクシーで行きました。

文子姉さん (シロ-の姉) とシローちゃんが住んでいる部屋しか行きませんでしたが、ここにメンバーが住んでいると聞いて、別世界にいるような気分でした。

アメリカに行っていたシローちゃんが、トッポの代わりにメンバーになるというのは、驚きましたが、それもありかなとも思いました。

あまり練習期間もない中でステージにたったシローちゃんを、のっぽのメンバーで、池袋のドラムまで応援にいきました。

この時はギターを抱えていたけど、持っているだけだったような気がします。
そんなに簡単に弾けるようになるわけありませんよね。


後々、彼はライブで 「トーク・コーナー」 と言う、独自の世界を造り出して、岸部シローという存在感をアピールすることができましたが、このころは、女の子たちからの批判も厳しく、つらい時期だったろうなと思います。

アルファードの初代ドラマーのよしのりは、タイガースの付け人時代もあったので、色々な情報を話してくれました。

ボクが 「ラ・レーニア」 を歌うようになったのも、よしのりが 

 

「アニキねえ、シローさんが歌っている 『ラ・レーニア』 が、すごくいい曲だから、うちでもやろうよ」

 

と言って勧めてくれたからなのです。

解散後、司会者、俳優として人気がでましたが、一時、ネットに書いていたシロー・マンションというブログが好きで、よく見ていました。

彼のとぼけた味がよく出た文章が書かれていましたが、途中で消滅してしまったのは残念でしたね。

トッポの高音とは、また違った味の高音で、さわやかな声を聴かせてくれましたが、一番印象に残っているのは、「ラ・レーニア」です。
シローちゃんの名唱だと思います。   丸山

 

 

 

話しを戻します。

 

ギターが弾けないまま、無理やり 「ザ・タイガ-ス」 に加入させられてメンバーとして参加。

解散コンサートでは、しっかりしたギターを弾いていたが、相当の努力があったと思う。

時には 「音の出ないタンバリン」 を使ったとか。

 

 

この映像のギタ-音を聴くと、岸辺シロ-のギターを練習した努力が伝わります。

(CDなどの音源とは違う未発表バ-ジョンです)

 

 

1970年の浅草国際劇場・ライブでは 「帰って来たヨッパライ」 を熱唱。

一徳のセリフがユニ-クだ。

 

 

 

1970年に 「サリ-&シロ-」 と言うLPを兄弟で発売。

「羊大学」 と言う歌は、いかにも岸シロ-らしい曲です。

ライブでは、ファンの手拍子で、盛り上がったようだ。

 

 

 

伝説の 「田園コロシアム・ライブライブ」 では、ギター1本で熱唱。

 

 

岸辺シロ-加入後、雑誌で座談会が行われました。

 

 

 

 

 

 

あまり知られていないが、1993年に 「ザ・タイガ-ス・マニア」 を結成。

「涙のロマンス」 を発売。

1度だけテレビで観かけ、運良く映像を録画しました。

 

メンバー 加橋かつみ ・ 森本太郎 ・ 岸部シロー ・ 岩本恭生

 

 

 

自分は一度だけ、岸部シロ-を見たことがある。

「ルックルックこんにちわ」 の頃だろうか。

 

駅前のデパートで、芸能人のチャリティーオ-クションが行われ、司会が岸部シロ-であった。

平日の昼間、ケチな愛知県人がオ-クションに参加?

予想通り、集まったのは30入程度であった。

自分はオ-クションには興味がなく、ただひたすらに 「岸部シロ-」 が見たかっただけである。

 

今でも思い出すのは、スタッフと一緒に普通に一般のエレベータ-から降りてきた岸部シロ-の姿。

思ったより背が高く驚いた。

 

そして帰る時に、一緒にエレベータ-に乗り込んだ。

残念ながら、話しかける勇気はなかった。

きっと優しい人だから、声をかけたら反応してくれただろう。

 

 

岸部シロ-の事を書いたが、ゴ-ルデン・カップスのマモルマヌ-も9月1日に亡くなった。

二人とも71歳。

 

 

1960年代のエレキブ-ム、GSブームのおかげで、現代の音楽があると自分は思う。

直立不動で歌う音楽が、見ても楽しめるようになったのだ。

 

元GSたちが集まったドラマのシ-ンでは、本当に楽しそうな雰囲気が伝わる。