History of Einsteins Piano

奈良ホテル待合室にあるピアノを弾くアインシュタインの写真額

1922年(大正11年)11月17日~19日奈良ホテルに宿泊された際に写されたもの

西堀栄三郎の写真

当時旧制第三高等学校生だった西堀栄三郎は語学に堪能であり、滞在中のアインシュタインに同行し観光案内をしている

京都帝国大学理学部卒業、京大講師、助教授を経て東芝に入社

真空管「ソラ」を開発するなど日本の飛躍的な工業発展の礎となった

京大に教授として復帰してからは、第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長や日本山岳会会長を務める

70歳の時にネパールの未踏峰・カンチェンジュンガの登山隊長となっている

夫人は今西錦司(京大名誉教授・日本山岳会会長)の妹

雪山参加の作詞者としても知られる

1909年10月、奈良ホテルは日本鉄道院によって設立され、ピアノが置かれた

第二次大戦後、米軍が接収、1952年解除される

1992年旧国鉄大阪管理局の倉庫からピアノが発見される

2008年8月、日本近代文学館で写真の原板が発見される

2009年1月、奈良ホテルのロビーへ移送される

人にとって最も恐ろしいのは、惰性で日を送ることである。向上心があれば、飽きることがない。仕事・生活の中に、向上の道を残さねばならない。向上を求めねばならない(西堀栄三郎名言集より)

時代は進み第12次南極越冬隊の記録「氷海に閉ざされた1296時間」より抜粋

7月13日、待ちに待ったサンライズを迎える。その時間が迫ると、隊員はその瞬間を撮ろうとカメラを北に向けて待ち構える。・・・中略・・・

17日になってようやく晴れた。太陽が地平線上に顔を出し、眩しい光があたり一帯を染め、その真っ赤な日輪を見た時シャッターを切った。その瞬間、体一つひとつの細胞が歓喜の雄叫びを上げ、その雄叫びが足のつま先から頭のてっぺんまで、さざ波のように伝わって五体を満たし、自然に顔がほころぶのだった。50日続いた夜だけの生活が開け、久々に見た太陽がこんなに根源的な喜びをもたらすものとは知らなかった。人間もこの地球上の生命体の一つであり、他の動植物と同じように太陽の恩恵に浴しているのだと無条件に感じた瞬間だった。太陽は少し上がって水平線上を転がるように西に動いて沈んでしまった。その間15~20分位か。

たまたま、この記事を書いている時に手元に昭和基地の本(山田知充編=師匠の知人)を開いていたので、西堀栄三郎も同じ体験をしたであろう、と思い掲載した