人生ぶらぶら 穴太寺 彼岸花の里 | 感動はひとつづつ

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2023年9月25日、西国33番霊場21番札所穴太寺周辺で彼岸花が満開を向かえていると知り行ってきました。穴太寺は山号を菩提山と号し、天台宗に属します。創建は寺伝によると慶雲2年(705)天武天皇の勅願により大伴古麿によって、薬師如来を御本尊に安置し建立されたと伝えられています。

穴太寺駐車場に咲く一重の芙蓉の花

芙蓉とコスモスが混じって

穴太寺仁王門は三叉路になった道の傍に建てられおり、門の直前を車が通行するという、一寸珍しい場所にあります

仁王門は京都府登録文化財に指定されています
京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46 ☎ 0771-24-0809

 仁王門をくぐると参道が真っすぐに伸びておりその先に「本堂」。1728年(享保13年)に焼失した本堂は、7年後の1735年に再建されました。

仁王門左側に鎮守社、その左に稲荷明神

鎮守社の隣に多宝塔
文化元年(1804)再建。亀岡市では唯一の木造塔。
釈迦如来と多宝如来の二仏が安置

多宝塔と百日紅の花を見上げる

多宝塔右側に、三十三所観音堂、堂内には西国札所の砂が納められており、このお堂をお参りすることで全ての西国観音霊場をお参りしたことと同じだけの功徳があるといわれています

仁王門右手に鐘楼
宝暦9年(1759)の建立

本堂 本尊の薬師如来
向かって左側には札所御本尊聖観世音菩薩立像、右側に御前立札所本尊聖観世音菩薩立像の三尊がお祀されています。薬師如来は完全な秘仏で、今まで御開帳した記録はありません。

念仏堂・彼岸花 本尊:阿弥陀如来坐像
念仏堂は寄棟造りで、宝永2年(1705)に建立

地蔵堂

彼岸花の先に、「宇治宮成」のお墓があります

石造物の前に咲く彼岸花

境内に数本咲く彼岸花をアップで

境内に咲く彼岸花を・・・

円応院(表門)府登録文化財
表門は宝永2年(1705)建立の藥医門

円応院・書院造りの建物。延宝5年(1677)造営、本堂とは渡り廊下で繋がっています

書院の南面にある庭園を座敷から
(府指定名勝)

多宝塔を借景として取り入れ、これに合わせて築山を設け、石組みを配して庭園美を一層引き立てています赤い毛氈に座りながらゆっくりとした時の流れを感じたい。(江戸時代中期に作庭)

座敷から、西面の庭園を

縁から西面の庭園を・・・

護摩堂へと続く露地庭園

書院内部を・・・襖絵が見事

西面庭園縁から書院正面玄関を・・・

主座敷を後に、本堂へと進みます

本堂へと続く渡り廊下

渡り廊下から多宝塔を

釈迦如来大涅槃像(鎌倉時代)
お釈迦さまがインド クシナガラの地で生涯を閉じ涅槃に入られるお姿です。この穴太寺には、お布団をかぶっている「釈迦如来涅槃(ねはん)像」があります。このお釈迦さまは撫で仏としても知られ、自分の患っている場所を撫でると病を取り除いてくれると深く信じられています

 

このお釈迦様に関する詳しい由来は不明ですが、不思議な逸話が残っています。それは大阪の天満に住む女性の孫娘が難病になり、病気平癒を祈り続けていると夢の中に仏さまが現れ「穴太寺の釈迦如来像に祈れば快癒する」とお告げがあったそうです。そこで住職に相談するが当時の穴太寺には釈迦如来像は無く、不思議に思った住職が皆を集め寺の中を調べると本堂の屋根裏から釈迦如来涅槃像が見つかり、堂内にお祀りし祈ると孫娘さんの難病は治ったと言う――これは明治29年のお話です。

本堂前から仁王門方面を・・・

 仁王門から一直線に伸びる道路を彼岸花が咲く田んぼへと・・・

亀岡の名木 原田邸のセンダン(仁王門から100m程)落葉高木。この木は京都府下のセンダンでは今の所最大とみなされています

穴太寺周辺の彼岸花 (亀岡彼岸花の里)
秋のお彼岸の頃になると、一斉に咲きだす彼岸花。墓地や田んぼの畔に多く咲き、球根に毒を持っていることからダークなイメージを持たれることもありますが、放射状に広がる真っ赤な花が咲き乱れる様子は思わず見入ってしまうほどの美しさです。

のどかな田園風景に彼岸花の赤色が映える ( ◠‿◠ ) 

畔に沿って咲く彼岸花と、稲刈りをするおじさん

子どもの頃、彼岸花を持ち帰ると火事になると云われた事を思い出す

「稲わら干し」というらしく、刈り取った後の稲を藁で縛り、田んぼに天日干しするそうです。これどまさしく農村の原風景・秋の風物詩!!

穴太寺周辺の彼岸花観賞終了。

 帰路途中375号線沿いのススキ (丹波篠山付近)

「しきしまコスモスえん」と案内板が・・・丁度見頃です

ちょっぴり秋を感じながら