大正8年8月 帝国劇場 四代目河原崎国太郎&三代目尾上菊次郎最後の舞台 | 栢莚の徒然なるままに

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今回はいよいよ市村座の衰退を決定付けてしまった運命の公演の筋書を紹介したいと思います。

 

大正8年8月 帝国劇場

 

演目:

一、那智滝祈誓文覚

二、大刀盗人

三、怪異談牡丹燈籠

四、教草吉原雀

 

以前に3回紹介しましたがすっかり恒例となった市村座の引越公演となります。

 

過去の市村座の引越公演にこちら

 

 

 

 

今回も一見すると何の変哲もないいつもの公演になる予定であり事実公演も中日に差し掛かろうとする11日までは至って普通でした。

先ずは公演内容の紹介から始めたいと思います。

 

那智滝祈誓文覚

 
一番目の那智滝祈誓文覚は竹柴其水と川尻宝岑によって書かれた文覚上人勧進帳を竹柴其水が書き換えて明治22年6月に中村座で初演された活歴の演目となります。
内容としては源平時代、後に文覚上人となる遠藤盛遠が渡邊左衛門亘の妻である袈裟御前に横恋慕し彼女の母である衣川を脅迫し、母の命の為になくなく盛遠の謀略に応じ袈裟午前の手引きで亘を暗殺した…と思いきや実際は袈裟午前が身替りとなり、その事実にショックを受けると同時に深い悔恨の情を覚えた盛遠は亘の所に赴き自らの命を差し出すも生きて贖罪する道を選ぶように諭され修行の末に文覚上人と名乗り滝行中の彼を襲った平家方を怪力でなぎ倒し遂には不動明王の加護を獲るまでに至るという話になっています。
 
遠藤盛遠後に文覚上人と不動明王を吉右衛門、渡邊左衛門亘を菊五郎、袈裟御前を菊次郎、矜羯羅童子を三津五郎、渡邊保と制多迦童子を東蔵、侍女小里を国太郎、菊池奥方玉琴を時蔵、村越奥方音瀬を男女蔵、老女衣川を松助がそれぞれ務めています。
俗説に九代目の芸統を受け継いだとされる吉右衛門ですが、意外にも新歌舞伎十八番の中で演じているのは
 
・地震加藤

 

・船弁慶 

 
・酒井の太鼓

 

・義経腰越状

 

位で実はかなり少なくこの那智滝祈誓文覚も今回が初演でした。
そんな吉右衛門の盛遠ですが劇評では
 
吉右衛門の盛遠が馬上で出て来て袈裟御前の後姿を見送るところは若々しくてよし、併し恍然見とれるといふよりは不思議さうに見送る様であった。
 
と初役だけにかつての團十郎の様にまではいかなかった部分はあったものの、彼なりに演じたらしくそこの部分は評価されています。
 
吉右衛門の遠藤盛遠

 
 
また二役の不動明王についても
 
那智の滝の場で吉右衛門の不動明王、三津五郎の矜羯羅童子、東蔵の制多迦童子皆よし
 
とこれまた生涯最初で最後であったであろう早替わりで演じた不動明王も評価されています。
 
吉右衛門の遠藤盛遠、菊次郎の袈裟御前
 
そんな吉右衛門と正反対だったのが渡邊左衛門亘を演じた菊五郎で劇評には
 
菊五郎の渡邊亘はホンのお付合といふだけで情合更になし、そのくせ白く塗り立てながら袈裟と話が済むと奥の座敷へ逃げ込む様であった、暑い故でもあらうし、後は自分の受持の故でもあらうが袈裟に対して気の毒といふべし
 
と完全に舞台を投げている様子を厳しく批判されています。菊五郎にしてみれば次の大刀盗人と怪異談牡丹燈籠が控えていただけにここで大車輪をしている余裕は無かったのでしょうが、この様な傲慢な態度が吉右衛門との関係に徐々に皹を入れていたのは疑う余地もなく確執を深める結果となりました。
 
この様に菊五郎こそ投げていたものの、他の役者はそれなりに評価されていてまた見物の層もいつもと違う事もあって活歴に抵抗が無かった為か比較的好意的に受け止められたそうです。
 

大刀盗人

 
中幕の大刀盗人は国立劇場の観劇や市村座の筋書でも触れた新作舞踊となります。
 
市村座の筋書  

 

国立劇場の観劇の記事

 

今回は初演と同じくスリ九郎兵衛を菊五郎、万兵衛を三津五郎、従者藤内を男女蔵がそれぞれ務めた他、丁宇左衛門を初演の彦三郎に代わり東蔵が務めています。
こちらは踊りに関しては折り紙付きの菊五郎と三津五郎とあってか出来については言うまでもなく劇評も
 
菊五郎の九郎兵衛、その巧妙さ真に芸道の曲者といふべし、その面付まで曲者面を仕居って一番目の亘を投げる抔は以の外なり叱り置くと申し渡したいがこれでは褒置くと申し渡すより外はなし
 
三津五郎の田舎者万兵衛も克明らしくて大いによし
 
と菊五郎は一番目を投げた分(?)めい一杯に演じたらしく、劇評も苦言を呈しつつも評価しています。

 

怪異談牡丹燈籠

 
二番目の怪異談牡丹燈籠は以前歌舞伎座でも触れた様に落語の大看板である初代三遊亭圓朝の落語を基に作られた怪談物の演目となります。
 
歌舞伎座で羽左衛門が演じた時の筋書

 

菊五郎にとっては明治45年7月に新富座で演じて以来7年ぶり2回目の上演でした。

今回は伴蔵を菊五郎、お峰を菊次郎、萩原新三郎を三津五郎、お米の霊を国太郎、おつゆの霊を時蔵、松本志丈を松助、源次郎を吉右衛門がそれぞれ務めています。

今回の上演に当たっては怪談物が苦手な六代目の意向もあってか初演と同じくお米の役を国太郎に譲った他、歌舞伎座では羽左衛門が兼ねて演じていた孝助の出演場面を省いて伴蔵のみを演じる他、怪談物が苦手な事もあり自身の出る場面では写実風味に演じるという六代目独自の演出で上演されました。この演出ですが劇評は

 

孝助は何時も現はれていたのを今度はその件を省いて伴蔵お峰のみとなったのは今回が始めてであるが、平左衛門孝助の件は何方かといへば時代向きで趣向が堅く今日の眼で見ればお芝居に過ぎてゐる、今回の刈込は寧ろ当然でこの狂言が後世迄残るとしたらこの形式だろう。

 

と不慣れな演目において慣れない時代物の影響が強い部分を削り、世話物色の強い伴蔵の場面のみを演じたのは正解だと評価しています。

また、演技についても

 

今度の菊五郎の伴蔵は流石に逸品である序幕(書卸しの二幕目返し)の幕切れで親父が工夫した「既う出やがった」といって裾を捲って蚊を叩く気の替り方等は軽いもので次の家の場で幽霊から金を貰ふ約束をしたと女房に咄す呼吸のよさは菊次郎のお峰と共に滅法もないいい出来である

 

と序幕から評価されていて件の写実に一人芝居で演じる場面については

 

金を貰ふ所で新富座の時には書卸し通りに独吟を使って幽霊の提灯を現はしたが今度は純写実に一切を改め幽霊は観客のイリュウジョン(イリュージョン)だけに任せて舞台に出さず自問自答で幽霊に挨拶する等教育?ある帝劇のお客様の失笑を買ふやうな事もなく平易に演じて居るのは賢い遣方だ。

 

と2回目にして早くも父親のコピーから脱却して自身の芸に合った演じ方に変えている事を絶賛されました。

しかし、劇評ではその一方で

 

然しながら精神に於いても外形に於いてもその程写実を尊んで居る菊五郎が何故三幕目佐川屋でお峰に嫌味を言はれ、「何をしやがる」でキッパリと居直る所へ合方を入れて居るのだらう

 

と自他ともに写実志向であるにも関わらず、所々で旧来のやり方のままで演じている部分に関しては苦言を呈されています。

 

そしてとことん写実重視にこだわった菊五郎に合わせてお峰を演じた菊次郎も

 

菊次郎のお峰も菊五郎の伴蔵に劣らぬ立派な出来で、家の場も面白く佐川屋の場で伴蔵をやり込めるヒステリックな演出が殊に妙だった、そして初日にはアア口惜しいと持った團扇を引ちぎる手順が少し故意らしいと思ったが三日目の時には全然團扇を使わなかったその方がよい。殺しでは初日には大車輪の余りにお国とお峰を間違えて自分の名を呼んだりした、然し南北流の詭弁を以ってすればそこが怪談の怪談であらう。

 

と初日には思わぬミスが見られたものの、直ぐに演出を直すなどしてミスを克服し見事に菊五郎の伴蔵に対等に渡り合っているとこちらも絶賛されています。

 

菊五郎の伴蔵、菊次郎のお峰

 

また、萩原新三郎を演じた三津五郎も

 

三津五郎の新三郎は脚本が左う(新三郎が喜んでおつゆと連れ立って冥土に行った)は解釈して居ない故もあらうが只既(ただも)う死霊をビクビクと恐ろしがってゐて情愛とか未練とかいふ趣きは少しも見えず殊に像の紛失に驚きノコノコと逃げ出して死霊の連理引に逢ひじたばたして到達冥土へ連れて行かれるなどは(尤も書卸しからの事ではあるが)寧ろイイ気味位なものである。

 

と劇評家の期待せんとする役の解釈はしていないものの、三津五郎は寸分違わず新三郎をきっちり脚本通りに演じたらしくその点はきちんと評価されています。

 

三津五郎の萩原新三郎、国太郎のお米の霊、時蔵のおつゆの霊

 
また、6月の加賀鳶に続いてまたも初演以来の持役である松本志丈を演じた松助も
 
松助の志丈は書卸し以来の持役でワキとして老巧無類で三幕目伴蔵と再会してからはこの優の持味に持って行かれた。
 
と親子二代の伴蔵相手に志丈を務め上げて六代目を支える演技を評価されています。
 

松助の松本志丈

 
 そして一番目の菊五郎が投げたのに対して、引き立て役に近い源次郎を演じた吉右衛門は
 
吉右衛門の源次郎は大詰へ島渡(ちょっと)顔を出し強請損ねて何突を喰ひ這々の体で逃げ帰るといふ気の毒な程栄えない役だが役所をよく理解して演じて居るのは流石である。
 
と損な役にも関わらず場を弁えて神妙に演じて一番目の菊五郎と違って場をぶち壊す事なく演じた事を誉められています。
 
この様に六代目の独自色を出した冒険的な部分もあった牡丹灯篭でしたが蓋を開ければそれが吉と出て主役、脇役共に高評価される当たり演目となりました。
しかしながら、これだけ工夫を重ねたにも関わらず菊五郎は後述する理由が原因で牡丹灯篭はこの後大劇場では大正15年に1回だけ演じたきりで封印する事となりました。
 

教草吉原雀

 
大切の教草吉原雀は若手3人による舞踊演目となります。
今回は鳥買千代八を米蔵、女房おすずを時蔵、鳥差笛六を男女蔵がそれぞれ務めています。
 
若手3人の舞踊についてはこちらもご覧下さい。 

 
残念ながらこちらは詳しく触れた劇評が見つからずどうだったのか詳細は不明です。
この様に個々の演目の出来栄えはいつも通りであった市村座連に最初の悲劇が襲ったのは中日に程近い8月12日の事でした。それは菊五郎、彦三郎の義弟であり今回侍女小里とお米の霊とお国を演じていた四代目河原崎国太郎が倒れた事でした。
 
彼の事についてはこちらをご覧ください

 

実は彼は7月に群馬に新しく出来た劇場である富岡座に呼ばれて杮落とし公演中に風邪を患い、帰京後も満足に静養しないまま帝国劇場に出演した事で病状を悪化させてしまい、11日までは何とか出演したものの、12日にとうとう倒れてしまい、翌13日に容態が急変して義兄の菊五郎と彦三郎が駆けつけるも間に合わず急性脳膜炎により急逝しました。

 

国太郎の命を奪う原因となった7月の富岡座で新版歌祭文のお染を演じる国太郎

 
彼は常に菊次郎の次の立場に甘んじながらも演目によっては良い役を務める事も増えていた矢先の死であり、市村座連に大きな衝撃が走りました。そして国太郎の死から僅か2週間後の27日、今度は菊五郎の長年の女房役者であった三代目尾上菊次郎が急逝しました。
 
菊次郎についてはこちらもご覧下さい。

  

菊次郎は国太郎と同じく7月の富岡座で当時流行していた流行性脳膜炎を患ったらしく公演中も万全の状態では無かったそうですがそれでも途中2日ほど休演したものの千秋楽まで務め上げましたが25日に行われる市村座の9月公演の顔合わせに赴こうとした所、高熱を発して倒れ意識の無いまま26日に入院し、翌27日に回復する間もないまま急逝してしまいました。
義弟に続いて長年の女房役にまで先立たれた菊五郎の衝撃は凄まじく
 
また(市村座の9月公演)初日が出てから、私がそこの段梯子を上ってくると、隣の部屋には何うも岡田(菊次郎)がゐるやうに思はれてならないのです。岡田が亡くなってからは、私はまるで中気(突然半身不随)になった心持ちです。岡田がゐた時は、「それを取ってくれ」の、「それ」だけをいへば取れたものが、この頃では、すっかり「それを取ってくれ」どころか、幾度それを繰返へしても、一向に取れないやうな心持ちです。
 
岡田は、死ぬまで私にも、三十八だといってゐました。それが死んでから、本当は丁度四十だといふことが分かりました。これは、私などに対して、二つでも年を若くしたいと思ふところから、さういふ嘘を吐いてゐたものらしいが、私はその用意がうれしくてたまりません。」(演芸画報大正8年9月号より抜粋)
 
と最愛の女房役者である菊次郎に先立たれた気持ちを吐露しています。
また菊五郎のみならず一番目で共演した吉右衛門もまた
 
岡田君はうまい役者でした。岡田君の舞台には滴る様な情愛がありました。岡田君の舞台は、何方かといふと、写実の勝った舞台でしたが、それだけに何時も真剣な心持がありました。岡田君は非常に凝り性で、どんな役でも投げてかかるといふ様な事がありませんでした。何時も舞台では汗をかいて居ました。一番目物もうまかったですが、殊に二番目物がよくって、息もつけない程うまうござんした。」(演芸画報大正8年9月号より抜粋)
 
岡田君が悪くなってからでした。私は其の日揚幕のところで、岡田君に今日は頭としっぽ(セリフの途中を抜く事)だけいふ事にしやうぜといひますと、岡田君はありがたうございますといってゐました。それから舞台へ行って私が、二桁ばかりも飛ばして其の先へとつづいてしゃべると、岡田君は私の台詞が耳へ入らぬのか、自分は前から順々にいふといったやうな始末なのです。少しも抜かさずにしゃべるのです。ですから私も相手につられて新規にいひ直すといふ風でしたが、其の日のことが、未だに私には不思議です。岡田君は病み出してゐるのです。それに私が、揚幕のところで台詞を飛ばすからといって打合わせて置いたのに、自分は苦しいのも構わず、不断通り克明に運ぶのですから、何うにも私には分かりません。私は岡田君がやり納めに、少しも抜かずにやったのではないかと思ひます。」(演芸画報大正8年9月号より抜粋)
 
と亡くなる直前まで芸に妥協を許さなかった彼に対して惜しみない賛辞を送っています。
この様に一座になくてはならない立女形とその次に控える若手女形を一遍に失なってしまった市村座は致命的な打撃を受け、特に菊五郎は出す演目においても制限を掛けられる等して被害は大きくしばらくは四代目市川米蔵を相手に演じる事を余儀なくされ、その米蔵も急逝した事を受けて彼が後任と言える女房役者である五代目市川鬼丸を小芝居から迎えるのは2年後の大正10年の事になります。
そしてそれまで双方の相手役を演じて一座の安定を保ってきた菊次郎の死は残された菊五郎と吉右衛門の間の緊張関係を更に硬化させる事に繋がり、市村座の運命の歯車は大きく狂っていく事となります。