宇治川の網代考

 

源氏物語の第45帖橋姫に網代(あじろ)が出てくる。

 

網代のけはひ近く、耳かしましき川のわたりにて、」(P.214)

(林望訳)「滔々と流れる宇治川の瀬に魚を取るための網代が仕掛けてある様子が近々と感じられ昼となく夜となくざあざあという川音が耳にやかましい河辺の山荘で、」

 

網代はひとさわがしげなり。」(P.258)

(林望訳)「おお、網代のあたりがずいぶんと人騒がしい様子でござるな。」

 

網代をこそこの比は御覧ぜめ。」(P.270)

(林望訳)「今の季節は、ぜひあの宇治川の網代をご覧くださいませ。」

 

この他にも出てくる。

 

九月から十二月、琵琶湖で生まれた鮎の稚魚「氷魚(ひお)」は宇治川を下って大阪湾に至る。氷魚は供御される朝貢品であった。その氷魚を獲る漁法が網代である。川瀬に竹や木を編んだものをV字型に立ててその端に簀を張って魚を獲るしかけ。杭などを網代木といった。

 

古来より宇治の網代木、川風、川霧、筒車(水車)、柴舟は宇治の名所の歌枕になっていた。

 

私は宇治市の南の城陽市に住んでおり京都には近鉄京都線で宇治川を越えるので宇治川には馴染みがあるが宇治川の網代は見たり聞いたりしたことがなかった。1964年に天ヶ瀬ダムができて現在では鮎の稚魚はいないのではないか。(訂正。気になって後日調べたところ、宇治川漁業協同組合が毎年、鮎漁解禁前の5月に琵琶湖産稚鮎を宇治川や宇治川の支流の志津川に放流されていた。宇治川や志津川では鮎の友釣りができる。参考に、稚鮎は6センチ、若鮎は15センチ、成魚は25センチほどである。)

 

宇治市ホームページ、宇治市観光協会、ウィキペディアを調べてみたが網代に触れたものは見当たらない。宇治川の鵜飼いはあまりにも有名であるが。

 

藤原道綱母「蜻蛉日記」上巻の65節にも宇治川の網代が出てくる。初瀬詣でに行く途中、宇治川を渡る場面。

 

川に向かへて、簾をまきあげて見れば、網代どもさしわたしたり。行きかふ舟どもあまた、見ざりしことなれば、すべてあはれにをかし。

(坂口由美子訳)「宇治川に向かって簾を巻き上げて見ると、網代が一帯に仕掛けてある。行き交う舟も、こんなにたくさんは見たことがなかったので、すべてが趣深くしみじみとおもしろい。」

 

百人一首に宇治川の網代木が載っている。

 

「64 朝ぼらけ宇治のかはぎりたえだえにあらはれわたる瀬々の網代木(権中納言定頼)」

(島津忠夫訳)「夜明けがたになって、あたりがうっすらと白んでくると、立ちこめていた宇治川の川霧がとぎれとぎれになって、その間から点々と現れはじめた川瀬川瀬の網代木よ。」

 

万葉集264に柿本人麻呂の和歌がある。

 

もののふの八十宇治川の網代木にいさよう波の行く方しらずも(柿本人麻呂)」

(訳)「宇治川の網代木のところで漂っている波の行方のようにどこへ行くのかどうしたらよいかもわからないことよ」

 

斎藤茂吉はこの歌を人麻呂一代の傑作の一つにあげている。

 

宇治川の網代木は万葉の時代から詠まれて有名であった。網代木に簀を取り付けるのは九月から十二月の漁する時だけで、そのほかは簀を取り外しているので、川の浅瀬には網代木だけが立っていて見方によってはわびしい景色かもしれない。

 

宇治川の網代はいつごろまであったのだろうか。

 

調べてみたら浮島十三重石塔に手がかりがありそうだ。

 

浮島十三重石塔を見に行ってきた。宇治川の塔の島に有り高さ15mと立派なものだ。基礎の石に橋寺放生院の銘版がある。

 

石に彫っているので読みづらいが意訳すると、

 

宇治川大橋は大化2年(646)に僧道登が架設した我が国最古の大橋であった。宇治川は激流であり屡々(しばしば)流失した。鎌倉時代後期、弘安9年(1286)奈良の西大寺の高僧叡尊が再建復興した。橋の流失は魚霊の祟であると考え宇治川の殺生禁断令の発布を朝廷に要請した。網代などの漁法を禁じたのである。網代や漁具を埋めて十三重石塔を建て魚霊の供養と宇治橋の安全祈願して法要を営んだ。宝暦6年(1756)の大洪水で崩壊して河底に埋没したのを明治41年(1908)に掘り出して再建した。

 

朝廷から禁止されたので鎌倉時代後期ごろから網代はなくなったのだろう。お茶が伝わったのがちょうどその頃なので漁師には茶の木の栽培を推奨したかも知れない。宇治川の朝霧は茶の木に霜が降るのを防いだので環境も合っていたのかもしれない。それが宇治茶の今日の隆盛につながっていったのではと勝手に想像して楽しんでいる。

 

中央にみえる島が十三重石塔がある塔の島(川の上流側)と朝霧橋(左側の橋)のかかる橘島(川の下流側)。舟形の島が二つ縦に連なっている。右手に平等院、左手に宇治神社と宇治上神社がある。

台風が近づいているので天気が悪い。宇治川は天ヶ瀬ダムがあっても水量が豊富で流れも速い。

 

宇治橋。平成8年に架け替えられた。長さ155メートル。橋のなかほどに張り出した「三の間」がある。