今日の投稿は、オタクのお出かけ日記です。
 
昨日の東京、あいにくの雨模様でしたが、お出かけしてきました。
晴れではないものの東京より雨の始まりが遅いという予報を信じ、一路茨城県へ。
 
道中何度も桜の花を見かけました。

 

 

 

 

なぜ茨城県へ行ったのか。

 

それは、推しキャラの好物を食するため。

あんこう鍋を食べに行くだけの小旅行です。

 
エ…?
と思った方、ですよね、様子がおかしいですよねw

この日記読まなくていいですのでねあせる

 

 

何度も書いてますけど、私はゴールデンカムイという漫画が大好きで、中でも尾形百之助というキャラが好きです。

その尾形の好物が、あんこう鍋なんです。

 

尾形ファンとしては一度食べてみなければ…という謎の使命感をずっと持っていたんですけど、今行かなければ、と思い立ちました。

 

というのも

このたびの連載の最終局面で彼が最期を迎え、物語から退場。

その喪失を自分の中で咀嚼し受け入れるために

彼の内面に深くかかわるあんこう鍋を食べてもっと彼を理解したい、

解像度を高くしたい…!と思ったのです。

第三者にしてみたらわけのわからないロジックですね。

オタクにはそういうところがあるんです。

 

それに、あんこう鍋のシーズンは冬で、お店も出すのは3月中まで、長くて4月半ばということを教わり、これはもう尾形への思いが溢れる今を逃してはいかん、となった。

 

(尾形とあんこう鍋のことについては語りだすと長いので最後のおまけに書きますね。)

 

いつもながら私のオタク衝動に付き合ってくれる親切な夫とともに訪れたのは、

ひたちなか市にある海鮮レストラン『浜辺』です。

教えてくださったのはNさん、モニター診断のときから来てくださって、その後も漫画のことなどやりとりさせていただいています。本当にありがとうございます…!

 

(↑新入りの愛車くん、今後仲良くしていきたいです)

 

あんこう鍋、ギリギリやってました。ほかのあんこう料理はもう終わりかけでした。

 

注文したのはあんこう鍋2人前。それだけ!

 

 

私、全く予備知識なかったのですが、あんこう鍋っていうのは、白身とかあん肝だけでなく他の内蔵や皮も入っているものなのですね。

 

 

 

 

身も蓋もなく正直なところを申し上げますと、私、魚の内臓系がどちらかというと苦手なほうなのです。

あん肝も、食べられるけどすごく美味しいと感じるかというと実はそうでもないし

北海道でよく食べるタラの白子もその美味しさがあまりわからないし

どんなに新鮮なサンマ焼きでも内臓は取り除きたいし

ホタテはできれば貝柱だけ食べて周りの黄色や緑のところは残したい子ども舌。

(お肉のレバーもいまだに食べられるときとそうでないときがある)

 

そんな私ですが、あんこう鍋は臭みが全然なく、とてもおいしかったです…!

皮とかエラの部分はブルブルしててたくさんはいらいな…と思っちゃったけど

白身は弾力があってタラよりおいしく感じたし、あん肝もおいしかったし、意外にも胃袋が肉厚で癖がなくて食べやすかったです。

(癖がないことに重きを置いてしまう残念な舌で申し訳ない)

 

隣のテーブルのグループの一人がどうもこのあたりのあんこう料理に詳しい(?)みたいで

「あんこう鍋もよくないお店だと小骨が多く食べにくいが、ここはそれがない、おいしい」みたいに話してるのが聞こえてきて、へえ~となりました。

 

そしてNさんおすすめの雑炊も本当においしかった。

全部食べちゃいました。

 
この日はかなり気温が低めだったのに油断して薄着してしまったので、あんこう鍋であったまれてよかったです。
 
百ちゃん(←幼少期尾形をファンはこう呼びがち)、
冬は毎日このお鍋を食べていたんだね。
いくらおいしくても、毎日はつらいよね、速攻で飽きるよね。違うお鍋を食べたくなるよね。
でもその気持ち、お母さんにわかってもらえなかったんだね。つらかったね。
 
うわーん!!えーん
 
ってなる、あんこう鍋でした(涙)
 
この日の別のお出かけネタ振り返りは、別に書きますね。
 
 
 
 

 

 

おまけ

ここから先はゴールデンカムイを本誌でも追うような人にしか通じないオタクの気持ち悪いつぶやきです。

ネタバレもありますので注意してください。
 
 
 
 

・・・・・・・

 
尾形の過去にフォーカスを当てるエピソードのひとつ、『あんこう鍋』回。
単行本11巻に収録されている103話です。

 

地元の茨城ではあんこう鍋は庶民的な食べ物で、自分も好きで食べていた、と語ります。

 

(ゴールデンカムイ11巻103話より引用、以下同)

しかしその後に続くのは、

父に捨てられて頭がおかしくなった母親に毎日あんこう鍋を食べさせられたという悲しい話。

 

 

 

こんなことがあったら、普通はあんこう鍋を嫌いになると思うのですよ。

 

でも、好物を思い浮かべるときにとっさに「あんこう鍋」と言ってしまうし(樺太の流氷のとこ)

作者公式の人物プロフィールにも「好物=あんこう鍋」と書かれているので、

「そうかあ、それでも好きなんだあ…」と複雑な気持ちになります。

 

単純に言うと、尾形、お母さんのことが大好きですよね。

 

つらい思い出の味のはずなのに

お母さんに作ってもらったというその事実だけで、特別な食べ物になってるという。

 

私はこれまで、幼い尾形がお母さんを殺しちゃったのは(そう、殺しちゃうの)

どこかで「自分を見てくれないお母さんならもういらない」と思う気持ちがあったのでは、と感じていたのだけど、

304話とか310話を経てみると

ただ純粋に「お母さんの望みをかなえてあげたい」それだけだった可能性もあるな…と思う気持ちが出てきました。

もしそうだとしたら、お葬式に父親が現れなかったとき、百ちゃんがどんな感情になったのか想像するとつらすぎて無理だからあんまり考えたくないんですけどね。

 

 

「おっ母はお父っつぁまに会いたいんだよね、じゃあ殺してあげる」

「父の愛を確かめるには弟を殺せばいい」と

たびたびサイコパスムーブをかましてきて、

 

「母が憧憬していた“立派な将校さん”という肩書などくだらないものだと証明するには?俺が師団長になればいい」と斜め上のソリューション見出してくる、

 

そんなイっちゃってる系のヤバい奴が、

 

実は必死に「自分はサイコパス(欠けた人間)だから傷ついたりしないんだ、後悔なんてしない人間だ」と自分に言い聞かせて、罪悪感に潰されそうな心を必死に保ってきたなんて。

しかも実は弟の愛は自覚できていたなんて(説明一コマの破壊力…!)

 

そんなこと今になって知らされたら、

 

そりゃもっと好きになっちゃうでしょうが!

 

という話ですよ。

 

冷静沈着さと狙撃の腕を武器に、たった一人で金塊(権利書)にあと一歩まで迫った優秀な尾形がさ、いや、これまでもちょっと宇佐美とのからみで幼いところあるな~とは思ってきたけども、予想以上に脆い部分を抱えた超二面性のある人物だったなんてさ…くうう、好き。

 

彼の人生を

『生まれが不運だったせいでハンデを負わされた人物が、頑張ったけど結局報われず何も得ずに若くして自死してしまった悲劇』

とだけ読む人もいるでしょう。救いがなさすぎる、と。

わかる。思った。

 

でも、作者が

「彼は愛を知ってた、祝福されていた、彼の半分はそれを自覚して救われ、もう半分は自我崩壊を拒否して決して負けなかった」

と描いたなら、私はそれを受け入れるまでです。

孤高のスナイパー、自分の生き死には自分で決める、完璧な自己完結。

 

いろいろな思いはあるけど…祝福の意味を考えるときりがないけど…

 

「尾形、やっぱ重要キャラだわ。ファンの欲目じゃなく、トリックスターの彼のおかげでゴールデンカムイが2倍くらい面白くなったわ」というメタな気持ちで雑にくるんでたたんで心の棚に収納し、物語の結末まで楽しもうと思います。

 

 

 

おまけ2

ゴールデンカムイのスピンオフ作品に、『シルバーカムイ』というお話があるんですけど

(ヤンジャンアプリにもあり)

そこの尾形プロフィールの好物に「赤飯」が加えられていてですね、

祝福の食べ物といえば赤飯だよね、ってこと?

 

道の駅で売ってたので買ってきて、朝ごはんに食べました。おいしかったです。