名取春仙 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

前に資料整理の途中で一度スルーせざるを得なかった方もようやく登場してもらえます。


名取 春仙 なとり しゅんせん
1886(明治19)年2月7日
山梨県中巨摩郡明穂村(現南アルプス市)生  本名 名取 芳之助

父の事業の失敗により、1歳の時東京に移る
1892(明治25)年 東京市立城東尋常高等小学校に入学
  幼少期より同窓の川端龍子、岡本一平と共に画才を認められていた
1900(明治33)年  久保田米僊に米僊の失明後は、その次男久保田金僊に学び春僊と号す、「春仙」の「仙」は「僊」の略字
1904(明治37)年 東京美術学校日本画撰科に入学するものの、翌年中退するが、後も多くの作品出展し
1906年には日本美術院展にも出品
1907(明治40)年 東京朝日新聞連載の二葉亭四迷の小説『平凡』の挿絵を描く
1909(明治42)年 東京朝日新聞社に入社して『虞美人草』や『三四郎』などの夏目漱石作品に挿絵で認められ、以降、島崎藤村の『春』、泉鏡花の『白鷺』、石川啄木『一握の砂』など手掛ける
1915(大正4)年 小雑誌『新似顔』に役者絵を掲載1916(大正5)年より渡辺版画店より役者似顔の新版画作品を版行し、評判となり以降多くの版画を作成する

戦後は富士山を題材とした風景画なども手掛けている
1958(昭和33)年 長女を肺炎で亡くし、「将来、夫婦のどちらか一人だけが残されることは望まぬ」と娘の墓前で服毒自殺する

1960(昭和35)年3月30日没 74歳

明治の終わりから若くして早くに夏目漱石の挿絵などを描き、当時の浮世絵系の挿絵画家たちと肩を並べる程の活躍ぶりだったようです。
大正期も多くの挿絵を描いていますが、役者絵などの新版画の方に活動の比重を移されていたのか、
現在では新版画などの資料の方が多く残されており、
生誕地の山梨県の南アルプス市にある南アルプス市立美術館で生誕130周年展を開催した際の図録資料などでも役者絵などの比重は高いです。
その役者絵の一部は国立国会図書館のデジタルコレクションで自宅に居ながらも見ることができます。
『春仙似顔画集 : 創作版画』 
…凄い時代になったものです。