詩は音楽にならなかった言葉であり、音楽は言葉にならなかった詩である。 ヘルマン ヘッセ | ことのは 心を言の葉にのせて 時に音楽も

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ふとした気づきを

ヘルマン ヘッセ

高校生から大学生の時に日本語訳はほとんど読んだ偉大な詩人であり小説家のヘルマンヘッセ。

フェイスブックの友達が話題にしたので、何十年ぶりだろう、ヘッセについて考えたというか感じた。

【車輪の下】を読んだ時は衝撃が走りました

いうまでもなく ヘッセ自身の姿を投影した小説であり100年も昔に書かれていた小説なのに 現代においても同じような苦悩や道を感じる時が青春時代に訪れるのは不思議です。

エリートの道を捨て 心を病み 詩人になりたい どうしたらなれるのか最後は物語の中の少年は行方不明か死んでしまうのだったと思いますが、現実のヘッセは母親のおかげで立ち直りノーベル文学賞 ゲーテー賞を受賞する。

確か 新島襄とも面識がある人だったと思います。

ヘッセが本屋の見習いの時に小説を書いて 巨匠に送り、原文がなくなるほど赤で修正されて戻ってきた。そういうのを 何かで読んだことがあります。

 何かを必死に 多分 本来の自分だと思います それを探し 文学や詩に独特の感性で表現は洗練されすぎて痛さを感じるほどの名文だと思います。

【感性】という言葉を思い出させてくれたフェイスブックの友達というか 尊敬している写真家というか芸術家さんに感謝します。

 

車輪の下というのは神学校の校長のセリフ

「それじゃ、結構だ、疲れきってしまわないようにすることだね、そうでないと、車輪の下敷きになるからね。」によく表れています。

 

ヘッセの小説の中で一番読まれている小説だと思います。

そして50を過ぎてもう一度ヘッセのこの小説を感じる時

自分の目指すべきものが感じられてきたように思います。

 

今日も最後までお読みくださりありがとうございます