甘き死よ来たれ/Komm, süsser Tod バッハ ストコフスキー 新世紀エヴァンゲリオン | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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クラシック音楽を中心にした好きな音楽と読書感想、日々の雑感などを思いつくまま気まぐれに書き綴ります



J.S.バッハ:甘き死よ来たれ BWV 478


ゆったりしたテンポ、静かに音楽は始まります。濃厚なロマンティシズムの香り。オーケストラがむせび泣くように・・・。まるでブラームスの時代の音楽みたいです。

ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で1933年録音。たぶんストコフスキー自身が編曲した物だと思います。

ストコフスキーという人は教会のオルガニストとして音楽家としてのキャリアをスタートした人だそうですから、バッハには親近感があったのでしょう。彼が編曲し演奏したレパートリーにバッハが比較的多いのも頷けます。

ストコフスキーという人は一般にスターとして認知されたほとんど最初の指揮者だと思います。戦前からディズニーの「ファンタジア」をはじめ映画などにも出演しまたレコードもクラシックとしては異例のヒットメーカーでした。

反面、多くの楽譜に改変を加えたことなどが批判されることも多く音楽学者や批評家などからはあまり好意的な評価は与えられなかった人でもありました。

たしかに楽譜に忠実にと言う行き方があるのは自然なことでしょう。そこから、作曲された時代の楽器や演奏法を探るのも悪いことではありません。(ある意味、無ければいけないことでもあるはずです。)

しかし、そう言った方向にすべてが行ってしまうことは正しいのでしょうか?

音楽をより美しく演奏すること、音楽をもっと気軽に味わうこと、難解な曲を分かりやすく聴かせること、色々な行き方があって良いのでは無いのか、そんな気がします。

戦後のクラシック音楽の流れの中で、主観的なテンポルバートを多用するメンゲルベルクや楽譜に多くの改編を加えたストコフスキーなどは「悪い演奏家」の見本(?)のように扱われ否定的な評価が多くを占めました。

「楽譜に忠実に」と言い続けていたトスカニーニだって楽譜に改変を加えているじゃ無いか。

大分後になってから、そんなことを大袈裟に言う人が出てきます。

当たり前のことなんです。

いくら楽譜に忠実にといっても、楽譜なんて完全な物ではないのですから。
まったくその通りにしようとすると無理が出てくるのは避けられない。

たぶん本職の演奏家でしたら、「何を今更」と言う事でしょう。

トスカニーニだって、そんなことは分かった上で「楽譜に忠実に」と叫んだはずです。

後になってそんなことを新しい大発見のように言われると、天国で苦笑いしているに違いありません。「何を今更」って(笑)


いま、ストコフスキーやメンゲルベルクの演奏を割合良い状態で聴けるのはありがたいことです。
ここで聞こえてくるバッハは時代とは関係なく大きな音楽になっています。

この動画の演奏は、バッハの時代とはまったく関係ないようなロマンティックでぶ厚い響きを身に纏いながらも、バッハの深い祈りを変わらず感じることができます。これは、ひとつはストコフスキーのセンスでしょうし、それ以上に大きいのはやはりバッハの音楽の強靱な骨格なのでしょう。

そういえば、こちらの音楽も同じ曲が基になっているようです。

新世紀エヴァンゲリオン - Komm, susser Tod / 甘き死よ、来たれ


クラシックとは関係なくなりましたが、これも良い音楽ですね。



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