ハゲワシと少女 | 5番の日記~日々好日編~

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気の向いた時に気の向いた事を勝手に書いています。
よってテーマは剛柔バラバラです。

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フリーカメラマンのケビン・カーター氏(当時33歳)が撮影したこの写真は1994年度にピュリッツァー賞を受賞しました。

※毎度の事ながら、無教養なアホがからんで来るとうっとうしいので先にお断りしておきます。
「引用して感想を述べる」行為に関しては写真を貼ろうが絵を貼ろうが著作権侵害にはなりませんからね。


さて、
この写真は、内戦と飢餓に苦しむアフリカのス-ダン南部で撮影されたもの。
同じ地球上で起きている残酷な現実を切り取った写真ですが、この写真が1993年3月にニュ-ヨ-ク・タイムズ紙に掲載されると、「なぜカメラマンは少女を助けなかったのか」という非難の声が巻き起こりました。

日本でも当時、NHKがカーター氏本人へのインタビューをはじめ、多くのジャーナリスト、学者らの意見を集めてこの1枚の写真が提起した問題を検証。
人間の尊厳を優先するのか、それともプロ意識の徹底か、ジャ-ナリズムの根幹を問う番組を放映してます。

カーター氏曰く(長いですがそのまま引用します)
「国連の食料配給センタ-から500メ-トル離れたところで1人の少女に出会った。こんな風にうずくまって(真似をして見せる)必死に立ち上がろうとしていた。その光景を見た後、一旦はその場を離れたが、気になってもう一度引き返した。すると、うずくまった少女の近くにハゲワシがいて、その子に向かって近づいていった」

「その瞬間、写真家としての本能が『撮れ』と命じた。目の前の状況をとても強烈で象徴的な場面だと感じた。ス-ダンで見続けてきたものの中で、最も衝撃的なシ-ンだと感じた。自分はプロになりきっていた。何枚かシャッタ-を切ってからもっといい写真を撮るのにハゲワシが翼を広げてくれないかと願った。15分から20分ひたすら待ったが、膝がしびれはじめ諦めた。起き上がると急に怒りを覚え、ハゲワシを追い払った。少女は立ち上がり、国連の食料配給センタ-の方へよろよろと歩きだした」

「この後、とてもすさんだ気持ちになり、複雑な感情が沸き起った。写真家としてものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと多くの人にインパクトを与えると確信した。写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、少女が歩き始めると、また、暗澹たる気持ちになった。私は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。木陰まで行き、しばらく泣き続けていた事を告白しなくてはならない」


この村は1日に15人から25人が飢えで死んでいく状況だったそうで、カーター氏は歩き出したこの少女がその後どうなったかは見届けていません。


そして翌1994年4月、この写真が200点の候補の中からピュリッツァー賞に選ばれると、ジャーナリズム論が再燃します。

批判派の声は、
「少女を見殺しにしたカメラマンこそ本当のハゲワシだ」
「ピュリッツァー賞は取材の倫理を問わないのか」
「この写真はジャ-ナリストに必要な良心が感じられない。写真を撮る事が大切なのか、目の前で起きている事が大切なのか、それが問われている」


一方の肯定派
「ジャ-ナリストは倫理的に考えて、取材しようとしている状況を変える事は出来ないという責任がある。カメラマンがハゲワシを追い払うべきだとは思わない。少女の命を救う事は彼の仕事ではない。彼は粘って、少女が死んでハゲワシが肉をついばむところを見届けるべきだった。残酷に聞こえるかもしれないが、それがジャ-ナリストの役割だ」
「ジャ-ナリズムは、誰かが不幸になっている、惨事に巻き込まれている、その上に成り立つ職業。自分が同じ状況に置かれたらどうするか。やっぱり撮る。鬼になって絶対に目の前に起きている事から目をそむけない。人としておかしいじゃないかと言われるが、『可哀相だ』という情緒的反応を起こさないように努力する。怒り、暗澹たる気持ち。一体、飢餓は何故起きるのか。問いつめていくうちに、やがてそれを撮る事が飢餓の現実を変える確信につながるならば、ジャ-ナリストとしての自分の倫理観との緊張関係の中で仕事をする。苛酷な現実を見た時、誰も強制しないのだから、確信が持てなければ撮らない」


世界中で大議論を巻き起こしたものの、同じような状況に遭遇した場合、どうすべきかの明確な指針はないまま。

そしてケビン・カーター氏は1994年の今日・7月27日、ヨハネスブルグ郊外で自分の車の中で遺体となって発見されました。
自殺とみられています。


自分が写真家だったらどうするでしょうか?

その職業でなければできない事をまず優先するのは当然です。
この1枚の写真で何かが変わるかもしれないと思えば撮ります。
が、阪神大震災の直後、ほぼ全壊の家に「こっちや、こっちや」と言いながら土足で入り込んで来たどっかのテレビ局のアホや、「お前ら、人の不幸がそんなにおもろいんか!」とカメラマンに殴りかかった兄ちゃんを見てると、

こんなのは報道じゃない…

と思いますね。

なので、明確な答が出せません。
批判している人たちは「安全地帯」でコーヒー飲みながら批判してますし。

…そして8月1日、現地で行われたカ-タ-氏の葬儀には数百人が参列したそうです。