星花火 夏目雅子
夏目雅子  なつめまさこ 女優
1957年12月17日~1985年9月11日(27才没)
ジェイジェイ雑誌の切り抜き
ザ ポートレート 夏目雅子
写真・文 立木義浩
時の映るのは早いものである。ついこの間のことのようなのに、夏目雅子が逝って、もう三回忌がめぐってくる。改めて、彼女の死が哀惜されてならない。
夏目雅子とは、彼女がカネボウのモデルとして登場してきたすぐのころから、女性誌の着物の仕事で、ずいぶん顔を合わせていた。
最近の若い人にして珍しいことだが、彼女の着物の着こなしは堂に入っていて、
─ああ、この人は育ちがいいんだナ。という印象をもったのを覚えている。
一緒に仕事をしだしてしばらくすると、自分は立木さんに嫌われているらしい──と、夏目雅子がいっているという噂が伝わってきた。
─嫌ってる?バカいっちゃあいけませんよ。嫌ってるどころか、オレは夏目雅子の大ファンだぜ。とぼくはいった。
考えてみると、彼女が誤解をしたのも無理はないという気がした。というのも、ぼくは撮影の仕事で、モデルとはほとんど言葉をかわさないからだ。もちろん、シャッターを押す階段では、モデルのポーズや表情にダメを出したり、指示したりはするし、緊張の度がすぎる相手によっては、冗談めいたことをいって表情をゆるめさせたりもする。が、これはとても私的な会話などとはいえない。
これは、ぼくの性格からきている。写真の対象となる相手の人となりはあまりわかっていないほうが、ぼくの場合は緊張感があっていい写真が撮れるような気がしているのだ。
そういうわけで、夏目雅子ともほとんど親しく口をきいたことがなかった。撮影の準備がととのうまで、彼女とふたり、スタジオの隅で長いこと待っていたこともあるが、毛布を膝にかけて黙ったままうずくまっている彼女の横で、ぼくも椅子に座ったまま黙ってタバコばかりすっていた。

(星花火 夏目雅子)

しかし、最初に仕事をしたときから、ぼくは夏目雅子のファンだった。被写体として素晴らしい美質をもった人だ──と思っていたのだ。
──それじゃあ、一度、彼女と一緒にめしでも食って、酒でも飲んでみたらどうですか?と、噂を伝えてくれた人がいった。それで、いつであったか、仕事が終わった後で、彼女と盃を酌み交わすこととなったのだが、ぼくはたちまち、夏目雅子の密かなるファンから、熱狂的な顕在ファンへと変わってしまったのである。
(星花火 夏目雅子)

夏目雅子は、じつに開けっぴろげだった。
バカバカしく気どりすますようなところが、かけらもない。盃はぐいぐいほす。こちらの駄ジャレやジョークに、大口あけてゲラゲラと笑いころげる。機転のきいた相槌はうつ。が、決して出すぎたりすることもない。座持ちが巧く、相手をいい気分にさせるのだ。要するに、夏目雅子は美しいだけでなく、天性賢い女なのだった。以来、ぼくは彼女のファン・クラブの代表にでもなったように、雑誌の編集者・広告代理店の担当者などに、
─おい、夏目雅子の仕事、ちょっとセットしてくれよ。とか、
─彼女を呼んで、一杯やるか。とか公私ごちゃまぜになって、彼女に声をかけるようになってしまった。
(星花火 夏目雅子)

いい大人をそうやって夢中にさせる魅力をもった人だったのである。

美しい、賢い女であるかたわら、夏目雅子は女優として限りない才能を秘めていた。
『鬼龍院花子の生涯』や『時代屋の女房』、さらに『南極物語』でその才能の広さ、深さを示したところで、人生の春を駆けぬけたまま逝ってしまった。天命だったのだろうが、いまもなお、その死は惜しく、悲しい。

好きなもの─冬、白、ひまわり、スパゲッティ、越路吹雪、歌は「愛の讚歌」、
ドミニク・サンダ、映画は「カッコーの巣の上で」、安部公房、京都の河原町とか、東京の谷中。言葉では一期一会。
(星花火 夏目雅子)