『나의나라 (私の国)』チャン・ヒョク終放インタビュー(YTN) | 毎日ひょぎひょぎ Everyday... Jang hyuk

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俳優チャン・ヒョクが大好きです
演技する姿を見ている時が一番幸せです

チャン・ヒョク "従来になかった感性イバンウォン、

創作する楽しさ大きかった"


 

当分の間「太宗イバンウォン」と言えば、この俳優の顔が思い浮かぶようだ。

 

時代劇大好きキャラクター「イバンウォンクラブ」に俳優チャン・ヒョク(44)の名前が熱く刻まれた。

多くの俳優たちがイバンウォンを経ながら印象深い演技を披露してきた。チャン・ヒョクは、視聴者の脳裏に再びイバンウォンの名前を刻む新しいキャラクターを誕生させた。

 

全身に血をかぶったまま、朝鮮開国のために力をつくしたが、開国功臣録に名前がなく世子の座も受けられないまま成桂(キム・ヨンチョル)に捨てられたイバンウォン。チャン・ヒョクは欲望にとらわれた「血の君主」という外的な姿よりも、捨てられて捨てられた者たちのための国を立てるための人間的内面を持つイバンウォンだけを視聴者たちに刻印させ、私たちが知らなかったもう一つのイバンウォンを満たすようにした。

 

特にチャン・ヒョクのイバンウォン演技は前作の中、自分が演じたイバンウォンとは解釈がまた違ったという点で興味深い。彼は映画「純粋の時代」に続き、JTBCドラマ「私の国」を介してまた一度イバンウォンの役割を引き受けたが、劇中で自分はもちろん、全作品の影まで全部消す熱演を披露した。

 

すべてを吐き出したような演技をした彼は休む暇もなくすぐに次期作「見たまま話せ」の現場に移る。  休まずに演技活動を続けながらも、毎作品「人生のキャラクター」という好評を得るためにいつも発展しているチャン・ヒョク。  「撮影現場に行くのが自分の再充電の時間」と笑う、魂の演技者だ。

 

 

- 「私の国」を終えた所感は?
俳優たちに本当に多く割いてくれた作品である。それだけ楽しかったし、いろいろな感情がする。今年のほとんどのドラマが事件が中心であった。 そうすれば俳優に与えられたカットがぷつんと過ぎ去ってしまう傾向があるが、ルーズなほど多くの時間を与えた。そうしてみると余裕を持って広げることができ、感情の密度感をより深く持っていくことができた。そのような点で感謝する。

 

-密度の高い感情を持って至ったエンディングシーン。 ついに玉座に座ったときに万感の思いが交差しただろう。
その結末に向かって走っていった。「私の国」の最初の提案受けた時、監督の言葉が「イバンウォンの話で行かない」ということであった。それに対して、私は「以前に知られている野心と権力に向かって走って行くイバンウォンより感性的なイバンウォンをしてみたい。最後に玉座に座ったときに哀れに見えるイバンウォンだったら良いだろう。それだけ描かれることができればしたい」と答えていた。 監督が最後に約束を守ってくれた。玉座に向かって行くところで、他の演技を見せてあげたかった。冠を敵将の頭のように無造作に投げ」私はあなた(玉座)に制圧されない。ただ制圧して座るだけ」という立場に近づいて行ったが、実際に座った後玉座に捕えられてしまうのだ。そんな皮肉を同時に表現したかった。

 

-感性的なイバンウォンをどのように構築したのか?
どんな姿勢、視線処理、人物との距離感。台本が直接であるが行間の余白が多い。明確に見える台詞の裏に複合的暗黙的な意味を考えながら演じしようとした。例えば、父成桂が弟バンソクを玉座につかす口実をずっと唱えたときは、その前にバンソクを可愛く眺めたバンウォンの目の変化とか。そのセリフは「これで満足ですか"だが、心には、父が弱くなった切なさとバンソクを殺すしかないという悲しみとこれによる願望等まで考えて演技をしなければならないということだ。

 

-最近の史劇のトレンドとは異なり、久しぶりに重みが感じられる作品だった。
「純粋の時代」でイバンウォンと初めて接した。歴史教科書には、結果論的な話が多かった。朝鮮王朝実録や記録などを見つけながら、見解や解釈が多かったよ。「純粋の時代」は、1次王子の乱を扱ったが、最終的には愛の話をしている。その背景の中ではイバンウォンという人物の角度がそのように広がることができず、それに対する喉の渇きがあったところに「私の国を」と会うようになった。 トレンドに従ったかどうかは重要ではなかった。「私はこの中でどのような話を広げることができるか」、「他のキャラクターとどのようにぶつかることができるか」を見た

 

-感情、体力的に消耗も大きかったようだが。
 難しいことも創作する楽しさがより大きかった。すべてのキャラクターを演じながらそうだった。 ただ知っているだけにしか私が投げられないと、年齢が少しながら感じるのは、「ああ、私はまだ多く知らないんだな」と。頭では分かる行動することができる部分が少なくなる。

 

 

-実際の歴史と俳優の創作の間の均衡点はどのように探したか。
それは演出の分量である。俳優は演出がガイドラインを定めてくれれば、その中で作成することだ。事実イバンウォンはない死なないじゃないか。 歴史的に世宗が承継をするのは知られている。ところで演技者には「承継した」という事実よりも、「どのように承継したか」が重要なようだ。その過程が重要なのだ。 「私の国」はまた、監督がそのような金型を保持して与え、その中で新たなイバンウォンを作っていく楽しさがあった。

 

-今回の作品で最も悩みをたくさんしたシーンは?
毎場面だ。 すべてのシーンで'ここで回るかでなければあそこで回ろうか','対面するかでなければ背を向けようか','刃物を持って行くか扇を持っていこうか'とする式で絶えず計算をして悩んで演技した。

 

-扇を持ったイバンウォンも新しかった。 元のシナリオの設定なのか?
ただ、どこかから持ってきた。(笑)扇の図は、キム・ギュリさんが描いた。 ギュリさんが「美人図」の時からずっと民話を描いている「イバンウォン心が連想されるほどのことがあれば良いだろう。 絵を描いてくれることができるか」お願いした。 満月があり、竹が風に揺れる光景を叙情的に描いてくれと要請した。 その絵が気に入って小物に使うようになった。

 

-扇を使った場面はほとんどアドリブだったと見られるか? 最後には扇を燃やしたが。
そうだ。 最後に扇を焼く時も'殺せ全部'という台詞を言うが、心の中の全てのものをたたんだことだ。

 

-分かるほど投げるといったが、分かるだけに見えるのもある縁だ。 共に呼吸したヤン・セジョン、ウ・トファン、ソル・ヒョンからどんな点をもらったか?
ヤン・セジョンは良い人だ。 注ぎ込む人だ。 演技で私が与えれば相手が持ち出し満たしてくれる。 それで一緒に行くことができる。 ウ・トファンは鮮明だ。 ホッチキスのような感じだ。 集中して考えてきたことをドンドンつかむ。 ソルヒョンはとても努力する人. ソルヒョンが演技したヒジェが能動的だと魅力的だった。 ある終わり蹴られる。 '私が君のために犠牲にするから'と'私がお前を守るから'という同じ脈絡だが能動性に差がある。 ソル・ヒョンにそのような見解をぷつんと投げたが、何か継続してみようとする試みが見えたよ。

 

-後輩らと演技呼吸をしてみるのでどうだったか。 先輩たちとはまた違う思いであるようなんだけど。
後輩だという考えをしない。 そのまま同僚だと考える。 現場で会う瞬間はすべての俳優がプロじゃないか. その状況中であの人はどのように解釈してきたかもとても緊張にもなってときめいたりいらだっていたり。 知っている台詞でもどんな方法で打つのか互いに約束したことでないと。 後輩が勉強をたくさんして私を当惑するようにさせたり、その反対になったりもする。 5対5だけがアンサンブルだと考えない。 10を作るために6対4,7対3とできる。 その逆になることもある。 そんなことが葛藤と緊張を与えて、シーンを潤滑にさせると考える。

 

 

-そのような現場の躍動感がチャン・ヒョクを休むことなく演技するようにさせる原動力であろうか?
人生の半分以上を現場にあったことと同じだ。 なじむこともあるが、ジャンル的にもそうでキャラクターもそうで常に違う立場で現場に行くことになる。 同じ人々が行って他の人になって会う。 現場が終わった後私的に会えてあれこれ話をしたりそれが本当に良かったよ。 そのような感じがずっと現場に導くのだと思う。

 

-心が引かれる作品に会うことができなくて空白を持つようになる場合も多いが、作品によく会うようだ。
私が事務室に出勤をするからだ。 ハハ。 釜山(プサン)からきた後2~3年を会社で生活した。 毎日行って見たら事務室が楽になった。 デビューの時からあった所だと皆知る人々で、自然に練習空間もできた。 所属俳優が私でなくとも多いから事務室に行けば如何に多い作品があるか。 それをずっと見てみるならば見解が広くなる。 また、いくら忙しくても作品が入ってくれば一日二日の中には無条件取りまとめてみる。

 

-熱心にするだけに視聴者の目によく慣れる. イメージ変身に対する悩みも一つ.
毎回イメージ変身をすると考えて演技する。 その時その時私が分かるだけに投げることで、当時私がすることができる最大限の水準で投げることだ。 どんな作品も軽く臨んだことはない。

 

-ひょっとして他の作品でまた、イ・バンウォンの役割が入ってくるならば?
まだ分からない。 '純粋の時代'を終わらせた後にはもっとしたい考えがあったが、今はよく分からない。 '今はイ・バンウォンを終えた’というのがなく、何かまた見せることができるかと思うからだ。 今その場ではないが、王になった後の
イ・バンウォンの話はまた他のおもしろいことだという考えはある。

 

 

-今年も1ヶ月を残すこととなかったが、年末計画は?
来年度作品(OCNドラマ'見たまま話せ')をすることだ。(笑い) 12月初めから撮影に入る。

 

-旅行や休息など再充電の時間は不要か?
現場行って再充電しようとする。 ハハ。 風変わりではないか、他の現場に行くのだから。 出たことが楽しい。 幸せで気持ち良いことだけ楽しみではない。 いらいらして腹が立って苦しい部分もあるが現場にある時私の一日が太くなる感じだ。 現場で時には壁に会えば苦しいながらもそれを解いていく過程が楽しい。

 

-いつからそんなに現場を楽しむことができるようになったか。
初めからそうしたのではもちろん違う。 壁がなければという時間もあったし、あたれば痛いという感じもあった。 ボクシングを長くしているが、殴るには先に殴られてみなければならない。 苦痛な時間をすぎればある瞬間試合さえもおもしろくなる。 演技も同じように困難を経験して自ら解決して面白みを感じることになるようだ。

 

-次期作では天才プロファイラーオ・ヒョンジェ役を受け持った。 どんなキャラクターになるのか気になる。
'ボイス1'演出したキム・ホンソン監督が提案をくれた。 台本を見ると、事件を解いていく過程もいいキャラクターもおもしろかった。 今回のイ・バンウォンとは対称点にあるキャラクターだ。 動物に比喩しようとするならイ・バンウォンが虎の感じならばオ・ヒョンジェは鷹のようだ。 目標を定めてぐるぐる回って機会を捕らえた時滑降してひったくる人物だ。

 

-この頃ユーチューブやSNSなど演技外でも大衆と疎通する芸能人が増加しているが?
私もSNSはしているが積極的であることはない。自分なりの時間はなければならないことのようで。 見せる職業を持っているが私だけの時間もなくてはならないと考える。

 

-私だけの時間には主にどんな仕事をするか?
会社(所属会社)に出勤する。(笑い)出勤後でボクシングジムに行って練習して、家に行って子供たちを見て、子供たち寝ればビール一カン飲んで映画一編見る、朝末っ子を連れていって。 長男がサッカーをするのに試合あれば付いて回って見る. それが日常だ。

 

-模範的なお父さんの日常のようだ。
模範的なのではない。 ハハ。 私のお父さんが建設業をして幼い時期海外に長く出て行っておられた。 1年にお父さんにお目にかかる時間が長ければ一ヶ月であったし、韓国に来られても地方現場を通われるのに忙しかった。 当時お父さんが大部分がそうした。 お父さんの不在を感じたので、家族とおくる時間が大切だ。 子供たちは少しだけ育てば両親より友達が優先になるじゃないか。 そのような日が遠くなかったので今の日常が幸福だ。

 

-まだ'情熱開拓チャン・ヒョク'か?
'火山高'撮影の時現場の椅子に'情熱','ジャングルジュース'の時'情熱開拓'だと書いた。(笑い)その時と心は今も全く同じだ。 その時はそんな風に表示したかったようだ。 情熱しかなかったから。 今でも同じことであるようだ。 どのように前へ行くか後によく残すかに対する悩み、そして'出来る限り最善を尽くして投げる'という心は全く同じだ。

 

-今椅子に言葉を刻むならばどんな言葉を使おうか?
まあ... ただ'楽しく',としたい。

 

YTN Star チェ・ボラン記者

 

                                   たっぷりのインタビューありがとうございます照れ