今回のタイトルは、1947年のヒット曲「港が見える丘」から採りました。
「♪あなたと二人で来た丘は 港が見える丘…
…ちらりほらりと花片(はなびら) あなたと私に降りかかる 春の午後でした♪」
と続きます。


「港が見える丘」が何処かには諸説ありますが、横浜市中区山手町の高台に、この曲にちなんで命名された、1962年開園の「港の見える丘公園」があります。
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左の鉄塔に掲げられた、国際信号旗による4文字の旗旒信号は「AHHW」。
昔の港湾コードによる「横浜信号所」を今も示しています。

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昔の横浜港への入港目標には、
鳥ヶ埼信号所(AQTV 横須賀市)⇒富岡沖灯浮標(ブイ)⇒北1.2マイル本牧鼻(岬)-外防波堤灯台-横浜信号所(AHHW)-内防波堤灯台とあったようです。



かつての内防波堤灯台(東水堤白灯台)。
山下埠頭の拡張により1958年に灯台としての役目を終え、「氷川丸」を見守る現在の場所に移設されました。
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氷川丸について詳しくはこちらの記事で (その1)  (その2)



港の拡張や横浜ベイブリッジの建設により、港の見える丘公園からの眺望は海がやや遠ざかってしまいました。
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この公園には、国際信号旗による旗旒信号がもうひとつ掲げられています
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横浜を舞台にしたジブリ映画に登場した、
「貴船の安航を祈る-Bon Voyage!」を意味する、2文字の「UW」旗。
「UW」に語源的な意味は無く、この旗を掲げる事が「Bon Voyage!」を意味します
現物は… お出かけになった際にでも探してみてください(^^ゞ



今回は此処から、山手の古い洋館を眺めに出掛けます。(UW1)←「UW」への返答



港の見える丘公園の敷地内、イングリッシュガーデン越しの「イギリス館」。
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イギリス館は1937(昭和12)年に、英国総領事公邸として建てられました。
コンサートホールや集会室として、今でも現役です。

イギリス館周辺は「イギリス山」と呼ばれますが、1859年の横浜開港直後の1864年、自国民保護の名目で、イギリスがここを軍の駐屯地とした事に由来します。



イギリス山の北側は「フランス山」と呼ばれています。
こちらも、1863年にフランスがここを軍の駐屯地とした事に由来します。
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フランス山に残る遺構は、1930(昭和5)年に建てられたフランス領事館官邸。
残念な事に、戦後すぐの1947(昭和22)年に焼失してしまいました。



イギリス山に戻り、
イギリス館の南側に建つのは、南欧風の外観の「山手111番館(ラフィン邸)」。
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玄関前の3連アーチのパーゴラ(日陰棚)が特徴的な、1926(大正15)年の建築です。
米国人実業家ラフィンさんの自宅として、横浜の建築にとても縁の深い米国人建築家J.H.モーガンが設計を担当しました。

鉄筋コンクリート造地下1階+木造地上2階建。
地下の一部は現在喫茶室になっていて、バラ園を望むとても素敵な休憩所です。




「AHHW」旗旒信号の西南西側に戻ると、存在感のある「横浜地方気象台」。
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1927(昭和2)年に竣工した、モダニズムとアールデコが交差する建築です。
訪れた時は残念ながら公開時間外で内部を見学出来ませんでしたが、シャープな外観に対し、曲線を多用した優しいアールデコ調の室内が独特の趣きです。




横浜地方気象台から山手本通りを南に進むと、緑の外壁が特徴的な小さな洋館、
「山手資料館」があります。
1909(明治42)年に本牧に建てられた牧場の応接室を、1977(昭和52)年にここに移築しました。
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「山手資料館」の現在地での保存に大きく貢献したのが、「山手資料館」のすぐ隣に建つ、横浜ではとても有名なレストラン「山手十番館」です。
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山手十番館は、1927(昭和2)年創業の「勝烈庵」、こちらも横浜では有名なカツレツの老舗の流れを汲みます。
この建物自体は1967(昭和42)年の建築ですが、今や山手の他の洋館群に引けを取らない風格を保っています。



山手資料館の南に建つ大きな教会は、「横浜山手聖公会」。
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上述の山手111番館と同じJ.H.モーガンの設計による、1931(昭和6)年の建築。
大谷石を用いた外壁が、ちょっと独特な雰囲気を醸し出します。
この教会は1945年5月の横浜大空襲、2005年1月の火災と、二度に渡り大きな被害を受けましたが、その度に修復され今に至ります。




街路樹の緑の中に建つのは「山手234番館」。
関東大震災の復興事業として、1927(昭和2)年に立てられた共同住宅です。
1階が展示スペース、2階はギャラリーなどに利用されています。
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山手234番館の南西、元町公園の一角に、1926(大正15)年に山手町127番地に建てられたスイス人実業家の自宅、「エリスマン邸」が移築されています。
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この建物が元々建っていた山手町127番地は、現在地から南東に約400m。
再開発による解体が決定した際、ここに移築保存しました。
直線的でモダンなデザインは、現代の住宅に通じるものがあります。

この家の一角はカフェになっていて、醤油ベースのプリンとかサンドイッチといった、ちょっと変わった美味しいメニューが楽しめます。




エリスマン邸-元町公園の西に建つのが、横浜山手の洋館住宅の中では最も大きな、1930(昭和5)年建築の「ベーリック・ホール」。
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英国人貿易商ベリックさんの自宅として、上述の「山手111番館」や「横浜山手聖公会」を手掛けたJ.H.モーガンが設計しました。
大きな住宅なのに、南欧風の軽快さが特徴的です。

訪れた時には結婚式が行われていて、内部を見学する事が出来ませんでした。
ここまで眺めてきた「イギリス館」、「山手111番館(ラフィン邸)」、「山手十番館」、「エリスマン邸」、ここ「ベーリックホール」、更にはこれから登場する「外交官の家」、「ブラフ18番館」では、結婚披露宴やパーティーを行う事が出来ます。

歴史ある西洋館でのイベント、一度くらいは誰か招待してくれないかなあ(^^ゞ



ベーリックホールから西に約500m、山手イタリア山庭園の一角に建つのが、1910(明治43)年に渋谷区南平台に建てられた旧;内田邸、「外交官の家」です。
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1997年に南平台からこの地に移築されました。
この家の一角も喫茶室になっていて、絶好の休憩スポットです。



「外交官の家」から少し下ったところに、関東大震災直後の1923(大正12)年に山手町45番地にオーストラリア人貿易商、バウデンが建てたと云われる「ブラフ18番館」。
この名称は、現在この建物の建つ場所(旧山手町18番地)に由来するものです。
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こちらの建物、正確な竣工年などは不明なのですが、震災前から山手町45番地に建っていた建物を、バウデンが震災直後に再建したものと考えられています。
1991年までカトリック山手教会司祭館として使われた後、現在地に移築されました。



何だかカタログみたいになってしまいましたが、横浜山手の洋館群は、殆どが関東大震災後、大正末から昭和初期の建築なので、意外な程軽快でモダンな趣です。
また、個人の住宅が多く、往時の暮らしを感じる建築が多いのも見所でしょうか。

ただ、これだけの建物群を順に見て歩くと、かなりの時間がかかります。
なので今回はここ迄に。



「♪あなたを想うて来る丘は 港が見える丘…
…うつらとろりと見る夢は あなたの口許 あの笑顔 淡い夢でした♪」

「港が見える丘」のエンディングは、少し淋しかったりします。



それでも「UW」旗でも掲げ、
人生の荒波ってやつを、何とか乗り切ってゆきたいものです。
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改めて
「Bon Voyage!」