SNSで摩訶不思議な写真を見た

 

 

これはいつもの、俳句茶屋では・・・

どうも、成り行きがおかしい

突貫工事で造られた塀にはこのような張り紙があるらしい。

 

 

どうもガッテンがいかないので

いろいろと聞いてみた。

 

この俳句茶屋については、以前にもこのブログに書き留めてた

俳句茶屋、新しき門出。

 

多くの方がご承知だと思うが

この俳句茶屋は、71番札所弥谷寺境内にある

その昔、弥谷寺の関係者の方が

茶屋兼宿坊として開いたのがその始まり

その後二代目の方が大阪出身の男性の方で

俳句好きだったという

そのことが、今の俳句茶屋の原型をつくった。

 

そして、お遍路でもなし、ただ生きることに疲れ

心の安らぎを求めて

この茶屋にたどり着いた一人の女性がいた

大野姉知子(しちこ)さん。

 

琴平出身の俳人、合田丁字路の句

「山の蝶 飛んで短し 茶屋のれん」

(山の蝶の命は短く儚いが、この茶屋は未来永劫と続いていくだろう。)

大野さんは、この句に惹かれ、心の癒しを得た。

 

 

二代目の主人が

「あんた、この茶屋をやってみんか・・・」

の言葉にうなずき、茶屋を買い取り

自分の生活を捨てて

この茶屋に飛び込んだ。

 

 

 

はっきりと覚えていないが

大野さんが28か29歳頃のことだった

当時、大野さんには家庭があり

職業は公務員だった。

 

それから、これまた生活に疲れた

土井章さんが茶屋を手伝うことになった

二人は親戚の間柄。

 

三代目の大野さんが亡くなり

それを追うように

大病で苦しんだ土井さん

担ぎ込まれた病院が良かった

絶対に元気にしてやる・・・と

言ってくれた主治医に恵まれた。

 

以前のように元気を取り戻し

茶屋に戻った土井さんは

身震いした

生活に必要な物はすべて無くなり

残されていたのは

天井からぶら下がった俳句の短冊だけだった。

 

 

 

その土井さんを

周りは見捨てなかった

多くの地元の方は、米や野菜

そして、海を越えた

韓国の多くのお遍路さんの

援助に助けられた。

 

 

土井さんは

「わたしは負けん、やる!!」

と、私に言った。

 

 

その俳句茶屋が・・・。

これ以上の詳しいことは私にも

計り知れない。

 

ただ、現在弁護士さんが仲に入り

協議中、と聞く。

 

どうか、俳句茶屋の百年の歴史を

そのままに後世に繋げれるように・・・

と、祈るばかりだ。

 

在りし日の大野さんと。

 

 

何回も見させてもらった

四元さんの書いた俳句。

 

 

 

12年前?の時

歩き10巡目のとき大野さんからもらった名刺。

 

 

いま三代目大野姉知子さん亡き後土井さんは

某寺院の通夜堂に生活の場を替えようとしている。

 

 

あまりにも悲しすぎる

遍路の生き証人の一人だから。。。