26年をグレース・ケリーとして、後半の26年間をグレース公妃として捧げ華麗に生きた人生。
1981年亡くなる前
夫のレーニエ大公とはお互い利害の一致のみで歩み寄ったなどと報道されたりもしました。
ヨーロッパの上流社会・公室の窮屈さ、所詮、アメリカから来た庶民であるという偏見、レーニエ大公には愛人がずっといたという噂、奔放な娘たちなど始終平たんではなかったのは確かだけれど、グレースには清々しいまでの潔さと静かな強さがありました。
どんな時も"優雅さ"を兼ね備えていた稀有な女性で何があっても沈黙を守りぬきました。
オスカーを手に入れ、才能もあり機知に溢れたこの誇り高い女性の生涯の話をするとき、人はシンデレラストーリーと悲しい不幸な結末を口にするけれど...
もしグレースが天国で何か聞かれたとしても彼女は「色々あったけれど、楽しかったわ」と凛と答えるような気がします。
グレースの言葉
大切なのは、悔やまず前に進むこと。痛みのない人生は価値のないものです→●
落胆することも人生の糧です。大切なのは悔やまず前に進むことです→●
悲しみは、自分ひとりの物とすべきです。悲しみは、他人に知られてはならないのです→●
幸せとは、自分に平和を感じることだと思います→●
慎ましく、思いやりある人間だったと、みなの記憶の中に残しておいてほしいのです。
1982年 葬儀ではお互いを支えるように手をつなぎ合っていました。
その後泣き崩れたレーニエ公が子供たちに両脇を抱えられるようにして亡き妃の棺の側を歩きます。
反抗し反抗し、母の反対を押し切り結婚し失敗し...母が亡くなった1年後新しいパートナーのステファノ・カシラギ氏に出会い親となるも7年後死別。
わがままを愛してくれる人、耳の痛い言葉を投げかけてくる相手がそばにいてくれることを煩わしく重たく思ったり、ただ当たり前の環境が実は当たり前ではなく、とても大きな存在で損失だった...
悲しい写真が最後に多くごめんなさい。
お正月は未来だけではなく、過去や命をつないできた祖先にも思いを馳せるよい機会だという言葉を聞き、作ってしまいました。
1962年、父ジャックの死の知らせを受け「一度でいいから父に愛されたかった」→●
【モナコ公室】グレース妃 美貌の中に隠された情熱と苦悩、夫の愛人問題、奔放な娘たちが「果実を見れば木がわかる」といわれても...そしてファザーコンプレックス→●
Princess Grace of Monaco photographed by Philippe Halsman.
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