日本の歴史に残る最強のボクサー大場政夫 | 荒井英夫(株式会社アルファ・ジャパンプロモーション)
1973年1月2日 両国・日大講堂 
WBA世界フライ級タイトルマッチ
伝説の名勝負
大場政夫vsチャチャイ・チオノイ

http://jp.youtube.com/watch?v=pWaOSRdoCpw

1Rでダウンをするが、後半に盛り返す底力。

この試合を最後に、交通事故で惜しい選手が亡くなった。

日本に3台しかなかった、チャチャイ戦のファイトマネーで購入した

1973型新車白ノシボレーコルベットスティングレイでの事故

こんな選手は2度と出ないだろうと

YOU TUBUをみて、昔懐かしむ私。

年かな~~~

1月13日にその車が届いた。

1月02日のチャチャイ戦激闘の12日後である。
そして車が届いた12日後の昭和48年(1973年)1月25日、23歳での夭折となる。

ギャンブル好きの実父の影響で家計は苦しく極貧の環境で育つ。しかしプロボクシングファンだった実父の影響で、小学生の頃から「プロボクシングで世界王者になり、両親のために家を建てよう」と人生の目標を設定していた。
義務教育が修了した直後1965年6月1日東京・帝拳ジム に入門。

入門当初は身長160cm体重48kgと

貧弱で周りからはプロボクサー向きかどうか疑問視されていた。 

1966年 11月 プロデビュー 

東日本新人王 にエントリーしたが予選で引き分けに終わる。(敗者扱い)

1970年 10月22日 、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ (THA )を13回KOに降し、WBA 世界フライ級王座獲得。 

1971年 4月1日 、ベツリオ・ゴンザレス (VEN )を15回判定で降し初防衛。 1971年10月23日 、フェルナンド・カバネラ (PHI )を15回判定で降し2度目の防衛。 

1972年 3月4日 、花形進 (横浜 協栄 )を15回判定で降し3度目の防衛。 

1972年6月20日 、オルランド・アモレス (PAN )を5回KOに降し4度目の防衛。 

1973年 1月2日 、チャチャイ・チオノイ (THA )を12回KOに降し、5度目の防衛に成功。 

1973年 1月25日 午前10時42分頃、交通事故により死去。享年 25(23歳没) 。

ラストファイト

1973年 1月2日 、日大講堂で行われた5度目の防衛戦の相手は「稲妻小僧」の異名を持つベテラン、チャチャイ・チオノイ(タイ)。初回、いきなりの右ロング・フックをまともに受け大場はダウン。この時大場は右足首を捻挫、以降ラウンド間に氷で冷やしつつ、足を引きずりながらも打ち合いに応じていった。大場は、強気のボクシングで試合中盤から形勢を逆転し、ついに最終12回、チャチャイから1度目のダウンを奪う。タイの老雄はレフェリーに促されるように立ち上がるが、鬼気迫る表情の大場の連打に晒され2度、3度とダウン。大場は逆転KO勝利を収めた。

悲劇の最期

チャチャイ・チオノイ戦から3週間が経過した1973年 1月25日 、大場は帝拳ジムへ向かうべく愛車シボレー・コルベット を運転していた。そして新宿区 新小川町 3丁目の首都高速道路 ・大曲カーブで中央分離帯 を乗り越え、対向車線から走ってきたトラックと衝突。この事故で現役世界王者のまま23歳というあまりにも短い生涯を終えた。