昔: 広尾ふる川

 🖼この絵は古川に架かった四の橋 、俗称相模殿橋から上流左方にあった広尾原を望んでいる。江戸の南西に広がる丘陵地で、四季折々の花や虫の声が人々を楽しませる名所だった。左奥の台地が白金、古川を挟み右手が麻布の高台、絵の左の建物は「狐鰻」(尾張屋)といわれた鰻屋である。

 

 📙絵は、四の橋から現在の白金三丁目付近を望んでいる。橋の下を流れているのは港区を流れる唯一の川古川であるが、渋谷区を流れているときは渋谷川と呼ばれ、港区へ入ると古川と名前が変わる。

 今: 四之橋を見る

📷 白金高輪駅から古川橋を左折、川沿いから「四の橋」を撮影した。川は高速道路に覆われ、川は護岸工事がなされ、まさに、鉄とコンクリートで固め尽くされた。絵が描かれてから170年、風情は全く変わってしまったが、これもいまの東京の一段面である。橋を右へ進むと「御薬園」(絵の170年前に小石川に移転)があった「薬園坂」となる。

ところで、老舗鰻料理店「野田岩」の初代岩次郎は、絵の尾張屋で修行し、

寛政年間現在地の飯倉四丁目に独立して野田屋を立ち上げた。

看板の野田岩の右に「狐うなぎ」とある。