箱根路石仏群を歩くPart3
箱根関所~恩賜箱根公園~元箱根港~箱根神社(三の鳥居)
◉芦之湯からバスで、先ずは「箱根関所」迄行きました。
箱根関所から歩き始めて箱根神社を参拝、湖畔を箱根ロープウェーまで歩きました。
今回は・・・箱根神社「三の鳥居」までの記事です。
■箱根関所
箱根は木がたくさんあるので、木工細工が盛んですね。
特に戦国時代、後北条氏が木工を奨励したことで盛んになったのだそうです。 お土産屋さんも寄木細工のお店が多いですね。
<箱根関所>
箱根に関所が設けられたのは江戸時代初期、元和5年(1619)。
その役割は主に「入り鉄砲と出女」の取り締まりだったと言われていますが、箱根は特に出女の取り締まりが厳しかったようです。
管理運営は小田原藩が行っていました。 武器として鉄砲や弓が並んでいましたが、殆どが旅人を脅すためのもので、鉄砲には火薬がつめられておらず、弓はあっても矢がなかったことなどが分かっているそうです(Wikipedia)。 面白いですね。
箱根関所周辺には5か所の脇関所もあって、これらも小田原藩が管理していたそうです。
箱根関所は慶応年間に規模が縮小され、明治2年に撤廃されました。 昭和58年、伊豆韮山町の「江川文庫」で関所資料が発見され、「関所」の全貌が明らかとなり、平成19年(2007)に関所が復元されたとのことです。
現在、箱根関所を通るためには通行手形500円(一般大人)が必要です。
遠見番所に登ってみましたが、なかなか結構な眺めです
景色良好。富士山もよく見えました。
<箱根関所資料館> 館内写真撮影禁止
関所を抜け、箱根神社に向かいますが、できるだけ湖畔を歩こうということで、回り道ですが、恩賜公園越えを選択しました。
恩賜公園・・・明治時代に皇室の避暑と外国の賓客のために造られた「箱根離宮」の跡地。
湖畔の遊歩道の方へ下ります。
UpDownはありますが、きつくはありません。
<駒ケ岳:標高1,356m>
■恩賜箱根公園
恩賜箱根公園は、明治19年(1886)に造られた箱根離宮とその庭園の跡地に作られた公園。 大正12年(1923)の関東大震災、昭和5年(1930年)の北伊豆地震などの影響で倒壊。 再建計画もあったそうですが、戦争などのため断念、昭和21年(1946)神奈川県に下賜されたとのこと。 下賜の翌年から県立公園として一般に公開され、車道や駐車場、展望広場、園路などが整備されてきました。
<湖畔展望館>
<館内からの眺め>
急な階段が続きます・・・下山・・・という感じ。
◉「二百階段」という石段です。
振り返ってみれば急な登り坂・・・こちらから登るのは結構大変でしょうね。
<芦川橋という橋から・・・元箱根港方面を望む>
◉箱根旧街道杉並木
短い距離でしたが旧街道を歩きました。 ここもいい散歩道です。
旧街道から国道に戻ります。「一の鳥居」が見えて来る。
■元箱根港周辺の石仏
<身代わり地蔵と石仏・石塔群>
宇治川の先陣争いで名高い梶原景季(かげすえ)は、ある年箱根を通りかかった時何者かに襲われたといいます。 讒言で悪名高き梶原景時と間違われたのだそうです。その時身代わりとなって景季を助けたのがこのお地蔵様。
以来、このお地蔵様を「景季の身代わり地蔵」と呼んだそうです。
<一の鳥居>
◉箱根「賽の河原」
一の鳥居の傍らに「賽の河原」と呼ばれる石仏群があります。
傍らの説明板によれば・・・
この地は地蔵信仰の霊地として江戸時代には東海道を旅する人々の信仰を集めた場所で、たくさんの石仏や石塔があったといいます。
ご多聞にもれず、多くの石仏が明治維新の廃仏毀釈で壊されたといいます。
現存する石仏・石塔の中には鎌倉末期と推定される貴重なものもあるとのことです。
説明板中で紹介されている「東海道箱根山中図」には、芦ノ湖畔に沢山の石仏が並んでいたことが描かれています。
■箱根神社へ
<二の鳥居>
奥へと進んで行くと右手に「日吉神社」があり、その先に「三の鳥居」があります。
<日吉神社>
<三の鳥居>
ここから箱根神社の境内へと入って行きます。
次回へ・・・
ありがたく御礼申し上げ候