なんて豪華で重厚な空間なんだろう。

2021年7月6日、わたしは初めて福岡の博多座さんに足を踏み入れました。

きよしさんのファンになったおかげでそれまでの人生で縁もゆかりもなかった博多をこうして何度も訪れることになるとは!

福岡サンパレスでのコンサートに参加した折、博多座さんの前を何度か通ったことがありましたが、そのたびその風格ある建物を見上げて、いつの日か、きよしさんがこの舞台に立たれることがあったら、来てみたいなあ...。

幾度となくそう思い、その日を夢みておりました。

 

そう、その夢がこの日、叶ったのです。

夢見ていた空間に身をおき、きよしさんの登場を待っていたあの時間の湧き上がる感動をこれからも折々に思い出すことでしょう。

 

 

こんばんは。お時間いただいていましたが、「氷川きよし 劇場コンサートツアー2021 in 博多座」のことを書いてみたいと思います。

ほんとうに仕事も何もかも(きよしさんのこと以外は?笑)投げ出して、PCの前にすわってコンサートのことをずっと書いていたい思いで数日間をすごしていました~。

ようやく自分で気のすむまで書けたかなと思います。

3公演をまとめることにしたので、分けて書くことが難しく、ものすごく長いものになってしまってごめんなさい。

お時間あるときに、お読みいただけたら幸せです。

 

さてさて、その間に嬉しいおしらせがとどきましたね。

7月17日(土)の午後2時から放送される「音楽の日」(TBS系)に出演されますが、きよしさんは岡山県(のどこでしょうね?)から生中継で参加とのことですね。

おしらせには、

岡山県で氷川きよしが花火とのコラボで”限界突破”する!?

と予告が!!!

”岡山県”となっていますが、どこからなんでしょう? そして、どんなスペシャルステージをみせてくださるのでしょう?

先日の川口コンで、”いろいろなところで歌いますので見てくださいね”とおっしゃっていた言葉には、まだ発表できなかっただけで、きっとこのステージのことも含んでおられたのでしょうね。

午後2時から9時54分までの長丁場ですが、楽しみです~!

 

 

そして、日付が変わってすでに今日! 「うたコン」のご出演でございますよ、皆さま!

NHK大阪ホールからの生中継!

HPに曲目が発表されているのをお友達のOさんがいち早くおしえてくださったのですが、超スペシャル!

「無法松の一生~度胸千両入り~」をソロで、そして上田正樹さんとの共演で「悲しい色やね」と「Never give up」を! 

楽しみですね。

 

 

今夜は全国放送で歌ってくださる「無法松の一生~度胸千両入り~」ですが、今回の博多座さんの公演で思い出すのは、6日の夜の部にこの曲を歌われたときのことでした。

”度胸千両”のパートを歌い終えたところだったでしょうか。歓声がきこえてきそうなほどの熱い拍手が起こると、きよしさんは満面の笑みをうかべられたのです。

わたしは演歌・歌謡曲を歌っているときにそんな表情をされたきよしさんをほとんど見たことがなかったのでほんとうに驚き、そして嬉しくなりました。

この記事のなかでも書きますが、大曲と格闘するかのように歌っていた20代のときの歌唱から、その清新さを損なうことなくさらに酸いも甘いもかみ分けた大人の風格と渋みが加わって。

なんとも味わい深く魅力的な”無法松”が表出していたのでした。

あの微笑みから察するに、ご自身でも快心の歌唱だったのでしょう。

故郷・博多、それもデビュー22年目にして初めて立った九州の芸能の殿堂である博多座で、唸りだしそうなほどに感動した観客の熱い拍手に、きよしさんは心のなかで、”よしっ!”と叫ばれたでしょうか。

なぜだかそんな気がしたのです。

 


 

では以下は、博多座さんでの公演のことを。

わたしは6日の昼夜、7日の昼と3公演に参加させていただけたので、初公演となる6日の昼の部を中心にまだ書いていなかったことをふるさと書いてみたいと思います。

 

いよいよ開幕です。

客席の照明が消えると、皆の視線はステージに注がれました。

そこで「恋之介旅日記」のイントロがながれ、嵐恋之介のセリフがきこえると一気に拍手の音が倍増したのです。

嵐恋之介の出で立ちで登場されたきよしさんは「恋之介旅日記」を歌われるとオープニングトークになりました。

「氷川きよし、初の博多座にようこそ!

ありがとうございます。お待ちしておりました。

この日をスタートに、またこの博多座で公演させていただきたいという思いでがんばります。

1番憧れの舞台が博多座! 

今年も飾山笠ですが、この山笠の季節にデビュー22年目にしてこの舞台に立つことができました。

ありがとうございます」

きよしさんは、これまでの座長公演を振り返り、

「初めての座長公演は『草笛の音次郎』でした。山本一力さんの原作で中日劇場でした。次は? ええと何だっけ? いろいろやってるから(笑)。あっ、”森の石松”」

きよしさんは、

「博多座にも来たかったのですが、わんちゃんを飼っているので長期に家を開けられないんです。育児放棄になってしまいますでしょ(笑)」

ともおっしゃって、初の博多座公演ではありますが、そんなふうに自然体トークでの幕開けになったのです。

この日の夜の部では、昼の部で抱いた感慨もおありだったでしょうか?

「座長公演の経験は自分の財産です」

ときっぱりおっしゃっていました。

 

7日の昼の部では、

「22年間、大切にしてきたオリジナル作品をこれでもかっていうくらいお届けします!

近年はジャンルにとらわれずに歌っていますが、このコンサート、定番にしたいですね。

よう来らしゃったですね、3階席までびっしり!

うわあ、ものすごい拍手ですね、ありがとうございます。

”氷川きよし”のスイッチがはいります。ここにそのボタンがあります!」

そうおっしゃると、左胸をポンと叩かれました(笑)。

そして、

「これまで氷川きよしのお芝居を一切合切観たことがない人?」

とおたずねになり、パラパラと拍手がおこると、

「やっぱり博多座でやらんといけんですね~。でも1か月家あけられんとです。わんちゃんいるんです。(わんちゃんは自分の)子どもですたいっ!」

と博多弁さく裂でした。

 

これまでの座長公演のためにつくったオリジナル曲から、「きよしのねずみ小僧」、「きよしの大江戸千両纒」、「きよしの銭形平次」、「きよしの一心太助」、「きよしの森の石松」を熱唱されるとステージは暗転。

 

※こちらは昨年の公演のショットですが

この麗しい嵐恋之介さまにふたたび会えました

 

司会の西寄ひがしさんが下手から登場され、口上を声高らかに!

うーん、これぞ劇場公演ですね~。

夜の部で西寄さんが、

「デビュー22年目にして博多座初の公演。今まで博多座で公演していなかったことが不思議です。

今日はコンサートですが、歌とお芝居の二本立ても期待したいですね~。(とここで拍手が起こると)あっ、この拍手はその時も来てくださるということですね。今、拍手してくださった方、全員お顔を覚えております」

と。

そうですね、地元福岡の芸能の殿堂でなぜ?。まあ、そこにはそれこそ”大人の事情”があったのだと想像しますが、そこはスルーして、きよしさんの”2という数字に縁がある”ということで納得したいと思います。

それにしてもこんな調子で、西寄さんが博多さんでの座長公演を匂わせる発言をこのあとも多々されていたので、近い将来、実現するのではないでしょうか。

 

 

 

つづいてきよしさんは紫に花柄の着流しで颯爽と登場されました。

素足に黒い鼻緒の下駄 紅殻色の番傘をさし、左肩に白い晒をかけを「弁天小僧」を艶やかに歌うと、傘と晒をおいて、「花笠道中」、「大利根月夜」と、時代物の名曲をカバーされました。

7日の昼の部で、暗転したステージを上手へと戻られる際、突然、きよしさんがステージでかがまれたので一瞬びっくりしたのですが、「弁天小僧」を歌われている途中で肩から滑り落ちた晒をご自身で拾われたのです。

本来は「弁天小僧」を歌い終えたら、傘と一緒にステージ後方に置かれるのですが、このときは歌っている途中でハラリと。

 

 

ここで、

「6月8日に『南風吹けば』というアルバムをださせていただきました。自分も作品作りにも参加させていただいて、思いや真心をこめて曲を作りました。

数年前、NHKの『のど自慢』で五島に行ったことがあって、五島うどんを食べにいったんです。黄身とつゆをつけて食べるんですが、おいしかったですね~。そのときにそのお店に来ていた方が『神田川』ですとか名曲を書かれている作詩家の喜多條忠先生のお知り合いの方で、その場で先生に電話してくださって。先生はとても五島がお好きだと伺いましたけど、その時に、”いつか五島の歌も作ってくださいね”ってお願いしていて。できあがった曲なんです」

きよしさんは、各公演で”今日、五島からお越しになった方、いらっしゃいますか?”とおたずねになったのですが、7日の昼の部にいらっしゃって、拍手がおこりました。

「五島の船出」、「玄海竜虎伝」、「無法松の一生」と九州男児の心意気を歌った曲を大熱唱!

個人的にも思いで深い「玄海竜虎伝」では、やっぱり、どこからこんな声が? 人間の出せる声なのかしら? と、とくに6日公演では昼夜ともしびれるほどに感動したのです。

そして、「無法松の一生」は、今や酸いも甘いも嚙み分けた大人の歌になっていて圧巻。

わたし自身が子どもの頃、聴いていた村田英雄さんからうけていた男気と風格に勝るとも劣らないものをこの日のきよしさんから感じていました。

そして、20代の頃、この大曲と真っ向勝負で格闘するように歌っていたきよしさんを思い出して、胸がいっぱいになったのです。

 

※7月6日 昼公演

 

緑のスパンコールのロングジャケットの三つ揃いに着替えて登場。蝶タイと靴はとも布、シャツは黒という出で立ちです。

最初に、「南風」を歌ってくださり、トークコーナーに。

「いやあ、40代になって変わりました、もう、夜はことんと寝てます(笑)。

睡眠が大事、そして自然体が一番!

皆さん、マスクしてくださって、えらかですね~。

ほんまこつ、よく来たね!

博多弁しゃべりだすと八女のばあちゃんがのりうつったみたいになるんです。

M生命で働いていて、福岡で1位の成績だったんですよ。

じいちゃんが働かなかったから(笑)」

意味はわかるのですが、とてもわたしには書きとめられない、きよしさんのハイレベルの博多弁がさく裂して、とまりません(笑)。きよしさんはひとしきりお話しされると、

「普段はこうしゃべってるけんが。今まで猫かぶとったです(笑)。

昨夜は、もう、囂々(ごうごう)寝ました。納豆2パック食べて。

昨日、こっちに来てました」

 

ここで、7月1日から配信スタートした、Spotify Podcast番組「氷川きよし Kiiのおかえりごはん」を西寄さんが紹介されると、

「自分も(出てるけど)ようわからんです。

以前、パソコンを買ったんですけど、パスワードとか入れなさいってなって、電気屋さん電話して”わからん”って聞いたやけど、”わからん”ってなって。”もう、せんです!”って言いました。

せんのが一番いいっ(笑)」

と(笑)。

紹介はするけど、よくわからないことは無理しなくていいんだよというきよしさんの思いを感じた一幕でした。

 

さらに「趣味の園芸」の話題になると、

「土ばいじると心にいいたい。

爪の間に土入るけど。爪グソたまって、それをこうして(髪をとかす仕草をされ・汗)落として、ねっ!」

そんなきよしさんに、

「何の話、してるんですかっ!」

と西寄さんがたまりかねていさめると、

「もう、おばちゃんよ~」

すっかり、自由なきよしさんになっていたのです(笑)。

 

※今年は”飾り山”になりましたが

来年は”舁き山”ができますように!

 

グッズ紹介(朝顔柄の扇子と、魔除け効果のある”きいちゃん人形”)、7月20日に発売される「南風」の新装盤(D・E・Fタイプ)のインフォメーションがあり、夜の部では、カップリング曲3曲がご当地モノになったことについて、

「今、みんな旅行行けんけんがですね、歌で旅できるようにお願いばしたとですよ」

と、お話しされていましたが、この日の博多座さんですでに開演前にカップリング曲がながれているのに気づきました~。

Eタイプのc/wの「哀伝橋」は、”逢いたい”(この表記かな?”を何十連発されていて、コミカルでペーソスあふれる曲。悲しいのに湿っぽくならないことでかえって、あの主人公はどうなるのかな? と親近感を抱き、主人公の悲しみが伝わるといたらよいでしょうか? 

きよしさんのお得意の世界なのではないでしょうか? 

Fタイプの「魚津海岸」も、”愛は蜃気楼”というフレーズがあって、サーっとしか聴けませんでしたが、きよしさんいわく”せつないバラード”。

伊藤薫先生の世界観がロマンチック! Aタイプのc/wの「長瀞舟下り」はまだ聴けなかったのですが、早く3曲フルコーラス聴きたいです。

 

7日・昼の部で、きよしさんが10月公開予定の映画「老後の資金がありません!」の主題歌「Happy」を歌われているという話題になると、

「老後の資金なくて、コンサートに来てもらって。無理せんで! どげんもごげんもならんったい!

映画、えらいおかしかったんですよ。久しぶりに試写室で見せてもらったんですけど、大笑いしました。エンディングに自分の歌が流れるんですよ」

と、お話しされていました。

きよしさんは、ひとしきりハイスピードでお話しされると、

「あーっ、しゃべった~」

そして、こうおっしゃったのです。

「早くしゃべらないと、言おうとしたこと忘れちゃうんですよ~」

わたしには初めてきよしさんが時々早口になるわけがわかりました~。

”アーティスト脳”の持ち主なのですね。

そういえばこの日のグッズ紹介で、

「きいちゃん人形、これつけとってごらん。かわいかろうが。魔除けになるけんが!」

と”きいちゃん人形”を紹介されたきよしさんの博多弁にうっとりしてしまいました~。


 

 

夜の部では、8月24日に発売されるポップスアルバム第2弾「You are you」について、

「(ここ1年半ほど)演歌・歌謡曲と少し距離をおいてみたことで、客観的に見ることができたと思います。

昨年、”Papillon(パピヨン)”というアルバムをだしました。自分らしく、ありのままの自分を伝えたいと思って、情熱がありすぎて14曲も入れてしまいましたけど(笑)。

でも、これまで自分の歌を聴いたことがなかったよっていう年下の人にも(たくさん)聴いていただけました。

年下って、そう、自分、今年44よ、あんたっ!」

と(笑)。

西寄さんが自分は年齢を感じることもあるけれど、きよしさんなんてまだまだだというようなことをおっしゃると、

「みんな、そげんですたい、ほんとっ!

2枚目のアルバムでは人間としての思いを伝えたい。自分の心の中のヘドロのようなものをhappyに変える。

”言いたいことは歌で言えっ!”という思いでつくりました。

自分が44年生きてきた人生を振り返って、これからその年代を生きる人たちに自分の経験や思いを歌で伝えることができたらと思っています。

そのアルバムを出したあと(9月と10月に)、ポップスコンサートをするんですが、激しいものになります~。衣装も思いっきりやります! ってまだ考えてないけど(笑)」

と。

また、7日の昼の部では、
「ありのままに生きていく時代なんだよってことを伝えたいと思っていて。その第2弾が『You are you』なんです。
これから、演歌・歌謡曲のときは、演歌・歌謡曲を思いっきり。ポップスのときはポップスを思いっきりやっていこうって思っています。
だからポップスではハイレグなんてはいちゃったりして(笑)」
と、このながれで、”どっちも好きよ、氷川の歌は という方”と客席に問われ、どちらかそれぞれについてうかがったときより何十倍も大きな拍手がおこって。
きよしさんは投げキッスを嵐のように博多座中に降り注いでくださったのでした(喜)。
 
 

※7月6日 夜公演

 

 

大盛り上がりのトークのあと、「みちのく恋女」、「筑後川」を歌われました。

この歌について、夜の部で、

「大変な思いをした人が一番幸せになるべきだと思います。そういう思いを込めてつくりました。

タイトルを”築後川”の3文字だけでつくってくださいと作家の先生にお願いしました。

皆さん、どんなときも自分の命が一番大切なんだって思って行動してくださいね」

きよしさんの「筑後川」への思いはとても深いものがおありなのですね。

昼の部で、ご自身がおっしゃらなければ大多数の方が気づくかなかったに違いないのに、

「すみません。歌詩を間違えました。この地のためにつくった歌でとても大事な歌なので、もう一度歌わせてください」
と、もう一度歌ってくださいました。

そんなきよしさんの誠実さに多くの方が、あらためて「筑後川」に聴き入ったのです。

また、7日の昼の部では、

「筑後川の近くに住んでいらっしゃる方?」

と客席におたずねになると、わたしから見ただけでも、何十人もの方が挙手されました。

すると、

「この歌は皆さんのためにつくりました皆さんにさしあげます。

自分の歌じゃありません。皆さんのためにつくった歌です」

きよしさんがそうおしゃったときの挙手された皆様の嬉しそうなお顔が忘れられません。

 

 

ここで、これまで歌ってきたオリジナル曲をアコースティックなアレンジで大人の世界をということに。

ステージが暗転すると、きよしさんはセンター階段の真ん中にすわられました。

きよしさんは、上手側の國友さんを見、さらに下手側の五明さんに視線を走らせると、すうっと一呼吸され、無伴奏で「面影の都」を歌いだされたのです。すぐに國友さんのピアノ伴奏がドラマティックにもりあげてくださり、きよしさんの艶やかな歌声が響くのです。

なんて甘くてロマンティックなんでしょう!

先の記事にも書いたのですが、ほんとうに”素肌のような歌声”だったのです。

つづいて立ち上がると、これからどんなドラマが展開するのかしら? と思わせるイントロがながれ、今度は山本さんのアコースティックギター演奏で「みれん心」を歌い、下手で歌い終えるとドラマティックなイントロが奏でられ、きよしさんは下手から上手へとサーッと踊るようになめらかな足取りで移動され、「しぐれの港」を、コーナーの最後は「あの娘と野菊と渡し舟」を歌われたのです。

かつてのきよしさんをよくご存じの方には、”氷川きよし”の歌の世界にはこんな魅力もあったのかと新鮮さを感じるでしょうし、最近ファンになった方には主人公になりきってしまう見事な表現力と圧倒的な歌唱力に感動されるのではないでしょうか。

 

 

ここで次に歌う「出発」と「母」についてお話しされたのですが、思いがこぼれて...。

「本当は東京になんか行きたくなかった。

でも、ここで東京に行かないと自分は弱い自分のまま変われないと思ったんです。

自分の弱さをバネにして強くなりたいって。

(だから)何年経っても故郷に帰ってくるとこみあげてくるものがあります。

両親に可愛がってもらって育ててもらって、自分の一生の恩があります」

とおっしゃり、

「出発」、「母」と歌ってくださったのですが、とりわけ「母」では涙、涙、涙...。

きよしさんが涙で絶句されるたびに熱い拍手がおこったのです。

 

ところで、きよしさんは翌7日の昼の部で「南風」を歌われたあと、上京を決意された”運命の一日”についてお話しくださっていました。

「故郷やけんがですね~。

18歳で東京に上京してぽつんとひとりでがんばっていました。

NHKの歌の勝ち抜き番組に出て、そこで作曲家の水森英夫先生が自分をスカウトしてくれたんです。

ある日、中洲の隣のホテルで水森先生と文化放送の偉い方が来てくれて、両親2人と自分と5人で会ったとです。

あっ、両親ていったら2人ですけんね~(笑)。

あのときは、震えました。演歌を歌い始めたのは16歳!、16歳からなの!

水森先生たちに”どうしますか?”といわれて、うちの親が、”どうすると?”って自分に聞きました。

それで、”東京に行きたいと思いますけんが、よろしくお願いします”と答えました。

今でも東京に行くために実家のドアを開けたときのことは忘れられません。

そげん知らんとこ行って、もう帰って来られないと思ってたけん。

3年半、アルバイトと歌のレッスンをして、2000年2月2日にデビューしました。自分は”2”という数字に縁があるんです。

だからデビュー22年目にしてこうして博多座の舞台に初めて立つことができたことにも深い縁を感じています」

わたしには初めてうかがうエピソードで、以前、高校生のときに「兄弟船」を歌った音源をコンサートでながしてくださっていたことがありましたが、あの歌声のきよしさんが思い出されたのです。

高校生のきよしさんの小さな胸に灯った勇気に、多くの方が力を貸してくださり、応援し、今の”氷川きよし”がここに存在していることをあらためて思いました。

 

ご両親は6日の公演にお越しくださったそうで、

「昨日、両親が観に来てくれたんです。

何がよかった? って父にきいたら、”おまえ、英語の歌、歌えっ”て(笑)。父はポップスや英語に歌が好きなんです。”海外に行け!”っていうのが、父の遺言、まだ生きていますけど(笑)。

それで、母にも”何がよかった?”ってきいたら、『紫のタンゴ』って」

さすがはきよしさんのお母様! 

ここで大きな拍手がおこりました。

「それでね、他には?ってきいたら、『紫のタンゴ』って(笑)。

父にももう一度同じことをきいてみたんですけど、やっぱり、”英語の歌、歌え”って(笑)。マイペースなんですよね」

”もう、やんなっちゃう”という様子でおっしゃったのです。

西寄さんが、

「ご両親のご意見を合わせて、『紫のタンゴ』を英語で歌ったらよろしいんじゃないでしょうか」

とおっしゃると、きよしさんは”パープルタンゴ”とタイトルを英語でおっしゃると、即興英語(にきこえました・笑)で数フレーズ歌ってくださいました。

 

 

※7月7日 夜公演

わたしが参加したのは昼公演なのですが

舞い上がっていて写メを忘れて入場してしまい(笑)

終演後は、すでに夜公演に変わっていました~

 

 

辛子色の着物に茶の袴姿で登場。白い草履で鼻緒も白。白足袋履きで、「浅草人情」、「箱根八里の半次郎」、「大井追っかけ音次郎」を歌われると、

「つづけて3曲。若いころの歌をお届けしました~。

えっ? 

22歳って若いです。まだ子どもですよね。

いろいろ見てきましたね~。

大人の世界ってこういうふうなんだって思うこともありましたけど、自分は純粋さを忘れないでいきたいと思いました。

その思いは今も変わりませんし、一生変わりません」

と。

夜の部では、先の記事にも書きましたが、

「こうして歌っていくと過去の作品も愛しく感じます。

22歳でデビューして演歌歌手としてがんばってきました。

20周年を前にしたとき、20年、自分でやることをやれたと思えたら、ポップスも歌わせていただこう。ポップスで自分の心の中も表現していこうときめていました。

博多座にもまた来させていただきたいですね~。

ただ、長期に家をあけられないんです。うち、わんちゃんがいまして。かわいいっ! 真っすぐなんですよ。人の心は変わるけど犬の心は変わらないなって。あの子たちは親の自分がいないと生きていけませんから。福岡に来るとき、ミルクが鳴いてせつなかったです。ラテはまだよくわかってなかったみたいですけど。

15年ずっと一緒だったココアが2月16日に旅立ちました。こんなに愛しんだ、命っていうのはと思いました。

ニュースで、災害で亡くなられた方が何名と報じられるのを目にすると、それぞれにその方をたいせつに思われる方がおられるて、その方たちはどんなに悲しく辛い思いをされているだろう。自分だったらどうするだろう? 歌えるだろうか? って思います。

これまで自分は何があっても仕事にプライべートを持ち込まないでニコニコして歌ってきました。でも悲しいニュースにふれるたび、やっぱりそう思います」

 

※2日間共通のボードです

 

また7日・昼の部では、

「年齢を重ねていくことは幸せを重ねていくことだと思っています。

20代の頃は勉強、勉強の日々でした。

デビューして恵まれた環境のなか、一流の先生やスタッフに囲まれてとにかく必死でがんばりました。

1曲、1曲に思い出があって、こうして歌っていると愛しくて大事に思えます。

ファンの皆さんと一緒に育ててきた曲もあります」

と感慨をこめてお話しされ、その言葉に胸がいっぱいになりました。

 

※博多座さんの向かいのショップで

欲しかったローズマリーを購入

3年モノだそうです~ 

左はセダム、可愛かったので一緒買いしました

 

 

昼の部のラストで、今日も、こんな状況なので幕が開いたときお客様がいてくださるだろうか? もしかしたら3、4人? と思っていたんです。そうしたら3階席まで! ありがとうございます。

いつも、”私が(皆さんを)守ります!”という気持ちでいるのですが、実際には何もしてさしあげられなくて...。

(どんなときも)命をいちばんに考えて、常に警戒することを忘れずに。絶対に油断しないでくださいね。

皆さんの健康と幸せがただひとつの願いです」

そうお話しされると、このコンサートの締めくくりに、「白雲の城」をセンター階段の上段で歌われ、拍手に包まれて奈落へと...。

ステージは暗転しました。

 

2階席へつながる豪奢な階段の上に!

 

 

いよいアンコールです。きよしさんはオーロラ色に変化する光沢のある白地の衣裳で登場されると、

「星空のメモリーズ」、「紫のタンゴ」、「きよしのズンドコ節」を歌ってくださいました。

 

夜の部では、

「今日は皆さんのおかげで無事に歌えました。大成功です。ありがとうございました。

明日もがんばります。

あとは夢で逢いましょう」

とおっしゃいました。

きよしさんが、自ら”大成功”とおっしゃることは、わたしにはとても珍しいことに感じられ、その回の「無法松の一生~度胸千両入り~」での”よしっ!”というお声がきこえてきそうなほどの満面の笑みとも重なり、幸せがこみあげてきたのです。

わたしなりに葛藤がありましたが、この時期に博多座に行こうと決め、3公演観させていただけたことに感謝の思いでいっぱいになりました。

デビュー曲から最新作にカバーまで、圧巻の全28曲に全身全霊で聴き惚れ酔い痴れて...。

3公演目が進行するなか、この素晴らしいツアーが、東京・明治座、名古屋・御園座とつづき、また参加させていただけることを思って、胸がいっぱいになりました。

 

 

※皆さま、大変長いものになりました。

これでようやくお伝えしかかったことはなんとか書けたかなと思います。

心にのこった言葉を歌唱の合間に書きとめるので(歌っているときは手を休めて歌に全集中します!)ほぼ書きなぐりのメモになっていますがそれを記憶をよみがえらせながらまとめてみました。

博多座公演、もし自分が参加できていなかったら、どんなにその公演に行きたくてその空間に思いを馳せただろうかと思ったのです。

ですので、参加できなかったかもしれなかった”もうひとりの自分”を想像して、公演の様子や貴重なエピソードはもちろんきよしさんのチャーミングな博多弁や大爆笑のリアクション諸々もできる限り書いてみました。

博多弁はほんとうに”さく裂”という感じでしたので、最初からわたしにはメモするのは無理とわかり、心にのこったフレーズだけを音でとにかくしっかりメモすることにしたので、書きとめたかったことの2割くらいにとどまったのではないかと思います(汗)。

 

でも、記事にも書きましたが、”きいちゃん人形”を紹介されたときの、”これつけとってごらん。かわいかろうが。魔除けになるけんが!”のチャーミングな響きにうっとりしませんか?

いつか思いっきり博多弁で話しかけてほしいなあ~。

そうしたら心とろけちゃう!

なんて、まとめあげてハイになっております(笑)。

 

今夜は「うたコン」、楽しみましょうね!

それではまたお会いできますように。