ベトナム戦争真っ盛りの1960年代の後半、アメリカでは、それまでだったらヒーローとして描かれなかったような人間を主人公に、必ずしもハッピーエンドで終わらないような映画が製作されました。所謂、「アメリカン・ニューシネマ」です。

 今回のブログは、その「アメリカン・ニューシネマ」の代表作の一つ、『真夜中のカーボーイ Midnight Cowboy』を取り上げます。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 テキサスのレストランで働くジョー(ジョン・ボイト Jon Voight 1938-)は、ニューヨークに行って一旗揚げようとお気に入りのカウボーイ姿で長距離バスに乗った。ご婦人方のお相手をするジゴロになって金を稼ごうというのだ。

 ニューヨークについてホテルに落ち着いたものの、肝心の仕事のほうはさっぱりだった。有閑マダムと思った女が実はコールガールで、金をもらうどころか逆に取られてしまった。また、金欲しさからホモの若者の相手をしたけれども、その若者は金を持ってなく、踏んだり蹴ったりの毎日が続いた。

 そんなある日、ジョーは酒場で知り合ったリコ(ダスティン・ホフマン Dustin Hoffman 1937-)をマネージャーにすることにした。片足が不自由なリコは取り壊し寸前のアパートに住んでいて、二人はそこで一緒に暮らすことになった。リコは風邪をこじらし日に日に体調が悪化していったが医者に診てもらうことを拒否し、そのかわり、フロリダに行きたいとしきりにジョーに話した。

 なかなか客が見つからない二人だったが、ある日、ファストフードの店にいたら見知らぬ男女がジョーの写真を撮り、パーティーのチラシを置いていった。二人で会場に行くとマリファナパーティーをやっていて、ジョーはマリファナでハイになった女性から声をかけられ彼女の部屋に行くことになった。リコはタクシー代をもらって帰っていった。

 翌朝、ジョーは女性から金をもらった上、別の客も紹介してもらって、意気揚々とリコの待つアパートに帰っていった。しかし、リコは高熱を出して立つこともできなくなっていた。そんなリコをジョーはフロリダに連れていくことにし、二人は長距離バスに乗った。  

 しかし、リコの体力はますます衰え、途中、バスの中で失禁してしまった。ジョーはリゾートウエアを二人分買って、リコと自分の衣類をごみ箱に捨ててフロリダでやり直そうと考える。しかし、目的地に着く少し前にリコは息を引き取ってしまった。

 

ジョン・シュレシンジャー監(John Schlesinger 1926-2003)

アカデミー作品賞・監督賞・脚色賞受賞

1969年のアメリカ映画

 

 

<ジョン・ヴォイト Jon Voight 1938-

 『帰郷 Coming Home 1978アカデミー男優賞を受賞するほどの名優ですが、やはり個人的にはアンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie 1975-)の父親というイメージが強いですね。しかしこの親子、ジョン・ヴォイトがアンジェリーナ・ジョリーの幼いころに彼女の母親と離婚したこともあってあまり仲が良くないみたいです。アンジェリーナ・ジョリーは、ブラッド・ピット(Brad Pitt 1963-)との結婚式にも父親を招待しなかったということです。

 いずこも大変ですね。

 

                                                                               アンジェリーナ・ジョリー

                                             (wikipediaより)

 

<ダスティン・ホフマン Dustin Hoffman 1937-

 『クレイマー、クレイマー Kramer vs. Kramer 1979『レインマン Rain Man 1988で二度、アカデミー主演男優賞を受賞していますが、あらためて『真夜中のカーボーイ』を観て思ったのは、なんでこの映画ではノミネートどまりで主演男優賞を受賞しなかったんだろうということでした。それくらい見事な演技だったと思います。特に2年前に公開された『卒業 The Graduate 1967』(去年4/23投稿)で演じたベンと『真夜中のカーボーイ』のリコのキャラクターの違いを考えると、ダスティン・ホフマンの役作りにかける情熱がよくわかります。

 数々の名優を輩出したニューヨークのアクターズ・スタジオの出身で、デビュー以来、今に至るまで息の長い活躍を続けています。

 

<「アメリカン・ニューシネマ」>

 1960年代後半から1970年代前半にかけて、アメリカではベトナム戦争の影響で社会が混とんとし、反戦運動やヒッピーに代表されるようなカウンターカルチャ―が盛んになりました。こうした時代の空気を反映して、映画も社会の矛盾を包み隠さずに描く作品が増えました。これら一連の作品を、アメリカでは「New Hollywood」「The Hollywood Renaissance」「American New Wave」。日本では「アメリカン・ニューシネマ」と呼んでいます。

 具体的には、主人公はけっして従来型のヒーローではなく、どこか屈折したところのある人間が多く、映画もハッピーエンドではなく悲劇的な結末で終わるものがほとんどでした。

 

<主な作品>

 主な作品としては、『俺たちに明日はない Bonnie and Clyde 1967卒業』 、『真夜中のカーボーイ』、『イージー・ライダー Easy Rider 1969(去年2/11投稿)などで、『タクシードライバー Taxi Driver 1976(去年1/10と今年7/10投稿)も「アメリカン・ニューシネマ」の作品とされています。

 このうち『俺たちに明日はない』と『イージー・ライダー』は、主人公の二人組がいずれも最後は殺されてしまいます。花嫁を奪って二人で路線バスに飛び乗り、一見ハッピーエンドで終わったかのように見える『卒業』も、バスの中のベンの表情から未来への不安が読み取れます。

 ベトナム戦争は1975年にアメリカの敗北という形で終わり、それを境にアメリカ社会も徐々にではありますが一時の混迷から抜け出していきます。それは映画の世界にも表れ、1976年には『タクシードライバー』の一方で『ロッキー Rockyも公開され、アメリカン・ドリームを高らかに歌い上げました。そして翌年には、『スター・ウォーズ Star Warsシリーズの第一作が公開され、アメリカン・ニューシネマの時代は終わりを迎えました。

 

<そして私は>

 1960年代後半は私はまだ小学生でしたので、「アメリカン・ニューシネマ」の一連の映画をリアルタイムで観ることはありませんでした。中学生の時も「まだ早い」と思ったのか、敬遠していましたが、高校生になってからは、映画館やテレビでよく観るようになり、『卒業』や『イージー・ライダー』などの作品に夢中になりました。『真夜中のカーボーイ』もそうした作品の一つで、退廃的な夜のニューヨークやドラッグが生み出す幻想的な世界に妖しい魅力を感じました。

 今回あらためて『真夜中のカーボーイ』を観て、また、「アメリカン・ニューシネマ」について調べて思ったのは、星の数ほどあるアメリカ映画の中でも、「アメリカン・ニューシネマ」の作品群に私の好きな作品がけっこう集中しているな、ということです。

 それはもちろん作品自体が面白いことが大きいのですが、それに加えて、私が本格的にアメリカ映画を観始めた時期にテレビや映画館でよく上映されていたこと。さらに昔からベトナム戦争のころのアメリカに興味を持っていたからだと思います。

 たとえば、『トップガン Top Gun 1986のような、正統派のヒーローが出てくるスカッとした映画も嫌いじゃありませんが、どうも私は、混沌とした時代を刹那的に生きる人間たちの狂気や不安を描いた作品に強く惹かれるようです。それはやはり、程度の差こそあれ、いつの時代も社会は矛盾に満ちているし、そこで生きる人間は、私も含めて心に闇を抱え、それとなんとか折り合いを付けながら生きているのに違いないと思うからです。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。