住吉大神

 
住吉大神は和歌の神として知られている.
後鳥羽上皇は熊野行幸の時に詠われた.

      
かくてなお かわらずまもれ よつをへて

此みちてらす、住吉の神や


藤原定家は、
「あいおいの ひさしき色も 常盤にて

君が世まもる 住吉の松」

有名な歌である.
昔の歌詠みたちは一首でも良いから、
一生に一度でも良いから『勅撰和歌集』
に載る歌を詠うのを夢見て「住吉大社」
へ参詣したそうです.

歌では
住之江の~難波の裏の~住吉の松~
津守の神~和歌の浦~
玉津嶋姫~住吉大社に関係する言葉です.

また『源氏物語』でその功徳を知られたとも言われている.
紫式部は石山寺の観音様がかかって
源氏物語を作成したそうです.
源氏物語では、明石入道の『住吉信仰』
によって明石の姫君は東宮妃となって
実子は皇太子となったそうです.
光源氏も朧月夜内侍の逢瀬で失脚するが、
見事異例の出世となったそうです.
物語とはいえ、
住吉大神の功徳を物語っています.










住吉大神の姿は頭巾を被って
白髭のジイサンの姿である.
七福神の寿老人にそっくりである.
それでも住吉大神はどうも
七福神の筆頭格の地位があるようでして、
七福神を使役する権限を大神霊から与えられているようです. 

この住吉大神は他にも書かれていますが、
おおよそジイサンであること、
寿老人そっくりの服を着ていること、
白髭か黒髭であるようです. 

住吉明神を見た人物として、
白楽天と神功皇后と、出口王仁三郎が挙げられる.


  
本足跡














『住吉大神の神使「兎」』


住吉大神、住吉神社と
兎・卯は密接につながり、
神功皇后が住吉三神のご神託を受けた
三韓征伐の凱旋後に、
住吉(澄んだ水)の地に大神を祀った
のが卯年・卯月・卯日とされています。

卯つまり兎とは深い関係にあり、
住吉大神の神使とされました。

住之江(澄の江)の「住吉大社」にも
兎像は見られます。






『住吉大社と海の関係』

神社の丘陵を境に、古には南下に海が広がっていたとされています。

氏地からは、現在もしじみやはまぐりが出土しています。

つまり、以前は住之江(澄の江)と海で当地はつながっていました。




『住吉信仰の証』

当神社が住吉大神の創祀の故実
・卯年・卯月・卯日に御鎮座されたことや、
兎像が残されているのは、
この海(澄の江)との深い関わりにあります。

神功皇后所縁の住吉神社の一部に、
こうした兎像が見られます。
当地周辺では当神社にのみ残されるものです。

住吉信仰を正当に受け継いだ若宮と
当神社が称えられたのも、こうした経緯とつながります。


当神社に残される兎像は、いつ頃のものかはわかりませんが、元文年間に社殿のご造営があり、その頃のものだと思われます。

火災による崩落で、一部に損傷はあるものの、ほぼ原形をとどめ奇跡的に破却を免れています。

神性を帯びた神兎として、神域に大切に保存しています。








本足跡