北向八幡宮那須神社は、同じ敷地内にあります^^


この神社への入口は、2つあるらしいのですが、
表口はこの石碑があるところです音譜
宮司さんは裏から、私と奥さまは表から…^^



宮司さんが着替えている間、奥さまからも
神社の神事などについてお話を伺う事ができました^^
奥に見えている、小さな神社が那須神社です。




北向八幡宮、那須神社、荒野神社の
宮司佐治政和さんキラキラ




御祭神は、八幡大御神(応神天皇)
     大神宮(天照大御神)
     春日大神(春日大明神)
     誉田別尊(ほんだわけのみこと)じゃビックリマーク




創建は、文明16年(1484)だと伝えられています。
那須の与一がこの神社を訪れたのは、
一の谷の合戦の時です。その1年後、
屋島の戦いへと望みます。



宗高公伝記(※前半ラピスさん訳)

一の谷の合戦に向かう途中で突然の大嵐に
出くわし、大将義経公が困り果てて
「こんな時には神仏の助けを乞うしかない、
この辺によい神社なないかのー」と
道案内人の基春に問うと、
「近くの妙法寺村に、北向八幡神社あるよ!」と
言う会話を側で聞いていた宗高(那須与一)がソワソワ。
幼少より故郷においても八幡神社を信仰していた
宗高は……

(ここから先は本文そのまま引用になります。)

ことに立派な北向八幡神社と聞くや一層、
崇拝の念を重くして即座に大地にひれ伏して
一心不乱に祈願されると不思議にも神徳が顕われ、
瞬く間に暴風雨が止み、霧も切れ、
辺り一面晴れわたり進むべき道が見えてきたのであった。

そこで宗高は道を東に進み、北向八幡神社に参詣し、
厄除守護の御守を受けて我が甲に収め、
北向八幡神社を守護神として戦場に臨み、
幸いにして一の谷の戦いに勝利を得たのであった。

続く…



という歴史のある神社です。
那須与一の崇拝の仕方の半端なさが…焦
そんなに八幡神社を深く愛してるのね叫び



境内には、南北朝時代につくられた貴重な
神戸市指定文化財があります。




神戸では一番古い石仏なんだとか…ビックリマーク




石造笠卒塔(せきぞうかさとうば)と呼ばれ、
建武4年(1337)の石仏なのだそうですよ。





一度、調査の為に神戸市の関係者さんが
全て掘り起こして調べたらしいのですが…
宮司さん曰く、下が凄かったんだそうです 笑




部屋で見せてもらった、石造笠卒塔の…
『下』の図です。 長っビックリマーク



拓本もありました…キラキラ
いいなぁ…得意げいろんな文化財の拓本ほしいな…音譜



皆さん、那須与一も参拝したと伝えられている
北向八幡神社へ行ってみてはいかがでしょうか^^音譜
確か、屋島の戦いのときもこの神社(八幡神社)を
想いながら祈願したのですよね晴れ