2020/02/27 - 2020/02/27
553位(同エリア680件中)
放浪老人さん
沖縄2日目は雨天だったので、沖縄県立博物館で、ほとんど知識がなかった沖縄の歴史の勉強をしました。私は驚いたのですが、沖縄で稲作が始まったのは12世紀とされています;稲作は中国揚子江流域から沖縄を経由して日本に伝わったイメージを持っていたので驚きました;以前の認識と違い、この時まで、沖縄は、日本はもちろん中国の文化圏の外にあったことになります;結果として、沖縄及び奄美では、縄文時代の次には、弥生時代・古墳時代から平安時代までの古代を飛ばして、中世=武家の時代が来ていました;12世紀から武家に当たる按司と呼ばれる勢力が割拠し、彼らが拠点として、各地にグスクを築きました。
同時代の、中国(明)では焼きレンガをモルタル系の目地材で積み上げた城壁で城を囲み、日本では野面積みの石垣の上に城を築いていました;石灰岩を隙間なく積み上げた石組みは、交流があった東アジアでは、琉球独自の技術でした;各地の按司を尚氏が統一した、琉球王国の最盛期の16世紀までに築かれた、グスク等の琉球独自の石造物が世界遺産に指定されています。
天気が回復したこの日から、路線バスを乗り継いで、沖縄の中部・南部に分布する世界遺産遺跡を巡ります;初日は、東側にある、斎場御嶽と中城城跡を廻ります。
本島中部・南部は、人口密度が大きく、居住地区が続いているので、車の通行が多く気の抜けない運転が続きます;慣れないレンタカーの運転を避けて、路線バスで廻ります;居住地区が続いているので、路線・本数はそれなりに多いですが、小刻みに停留所で止まるので、時間がかかります;結果、レンタカーなら今帰仁城まで2日で回れる所を、今帰仁城抜きで2日必要でした。バスの路線・時刻はGoogle マップナビ(以下Gマ)で網羅されています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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沖縄県の地質図(沖縄県立博物館):
ブルーが第四系(琉球石灰岩)を示しています。が露頭している地域です;細かく見ると、今帰仁城を除く世界遺産が、琉球石灰岩が露頭しているポイントにあることがわかります;今帰仁はジュラ系(本部層群など)、代表的な石は本部石灰岩、のように見えますが、今回は都合により今帰仁には行けませんでした。 -
9:25 バス停[開南]とポークたまごおにぎり(バス停横のローソン):国際通り周辺の牧志公設等のある商業地区の南端にあります;国際通り中央部のホテルに滞在している時、那覇バスセンターから東側へ向かうバスには、ここで乗るのが便利です;朝食は、はやりの、ポークたまごおにぎりを食べ比べます。
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9:35 斎場御嶽行き(338番);7:36、9:36、11:19、13:28;整理券を取る、前乗り前降りです;後ろのドアは締め切りです。
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10:33 [斎場御嶽入口]:斎場御嶽は道路を渡って右に登ったところにありますが、入場券売り場がバス停の左後ろの南城市地域物産館にあります。
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道の駅と南城市地域物産館:道の駅には、斎場御嶽の資料展示とビデオ上映があります。
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国道331号線からの分岐点から外来車通行止めになった”せいふぁの道”を登って行きます。
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10:46 緑の館・セーファ:入場券を渡し、短い紹介ビデオを見てから斎場御嶽に進みます。
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10:50 斎場御嶽入口:林の中を真っ直ぐ進むと久高島遥拝所に出ます;斎場御獄は、正月にブラタモリを見るまで知りませんでしたが、琉球王国一番の聖地です;
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10:53 東の水平線上にほとんど海面と同じ高さのまっ平らな久高島が見えます;日の昇る場所にある、久高島も聖地です;左に進むと御門口で、一般人はそこから先は入れません;門の横には、御嶽内の6つの拝所を表す香炉が並べられていて、一般人はここで、香炉と久高島に礼拝してました。
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10:55 前方が大庫理;手前の御門口からは、相方積みと同じように丁寧に石を組み合わせた石畳道が続いています;この道は、王家関係者のみが入ることが出来ました;路の左の緑の砂袋は石畳を守るために埋められています。
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大庫理:石灰岩の天井が崩れ落ちた鍾乳洞の側壁の下に拝所の石畳があります。
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石灰石の岩の間を通って寄満(ユインチ)へ進みます。
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寄満:ここは 天井部分が残り、つらら石も残っています;行き止まりで、来た道を少し戻り、三庫理(サングーイ)に向かいます。
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左が三庫理へ続く三角形のトンネルで、右側にシキヨダユルアマガヌビーが;
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シキヨダユルアマガヌビーには、残っていたつらら石からしたたる水を受ける壺が置かれています;石灰岩が作り出したこれらの聖なる地形が、この地が聖地になった理由のひとつでしょう。
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11:07 左側の岩盤が崩れ落ちてきて出来た三角形のトンネルを通り、突き当りの三庫理へ向かいます。
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11:08 香炉が並ぶ三庫理から海側を見ると、水平線に久高島が遠望されます;沖縄本島の日が昇る方向の端に立地し、日が登る聖地久高島を目視できることが、この地を聖地とする決めてでしょう。
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11:15 御門口に戻ってきました;正面が最初に久高島を写した、久高島遥拝所です。
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11:16 みそぎ場所のウローカーへの通路は、雨天を理由に閉鎖されていました;斉場御獄を終えて、知念岬に向かいます。
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入場券を買った、南城市地域物産館前の道、”せいふぁの道”を南へ進みます。
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体育館の横を抜けて知念岬の展望台へ;
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11:45 展望台から、さらに橋を渡って、岬の先を目指します。
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サンゴ礁内の美しい海が続く本島の南東海岸:外礁の位置には線状に連なる白波が見えています;
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東方向のサンゴ礁と水平線の外礁上の久高島;歩いて15分程度の安座真港からフェリーが出ています。
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中央の盛り上がっている岩の周りが斉場御獄です;博物館にあった地質図によれば、この周りには、琉球石灰岩が露頭しています。
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岬の北側の海岸:中央の海岸にきのこ岩があります;沖の白く見える浅瀬が、ウガビ砂盛です。
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13:12 南城市地域物産館の向かいの”せいふぁの道”の[斎場御嶽入口]から那覇行き(338番)に乗れます:時刻は9:37 11:13 13:12 15:05。
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13:43 [与那覇]で、東海岸を北に向かう、泡瀬営業所行き(30番)に乗り換えます。
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14:17 [伊舎堂]で下車:右には中城湾=太平洋が見下ろせる、国道329号を200mほど歩きます;
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14:21 左に登っていく道;県道146号まで、きつい坂道を登ります;周りには亀甲墓地が点在しています。
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14:28 正面の山の山頂部に、城跡が見えます;県道146号はなだらかに城の東斜面の下を回り込んで北へ抜けます。
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14:35 城跡の下を通る時、振り返ると中城湾の向こうに斉場御獄があった知念半島が見えます。
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14:41 城の北の峠を通って、北中城村にはいるとすぐに、中城城跡の駐車場があります。
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14:44 中城城跡入場券売り場:
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無料のカートで、城の反対側=城の南西側、にある正門跡まで送ってくれます。
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14:52 カートを降りて、西から見上げた南の郭:下部は自然の崖で、城が、石灰岩の岩山の上に築かれていることがわかります;崖の下の横穴は鍛冶屋の跡と言われています。
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14:53 狭間を備えた石壁の間を城の正門に向かいます。
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沖縄戦時に、日本軍が陣地構築のために爆破した跡;日本軍が守備陣地を南部に集中するため、急遽、撤退した結果、城の遺構は破壊されずに残りました。
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14:54 正門:切り通しに木造の楼門が載っていたのでしょう;通ると西の郭に入ります。
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西の郭から一の郭の城壁;ペリーの遠征隊は、琉球に寄港したときに、この城を訪問しました;彼らは城の遺構の立派さに感動し、同じ画角のスケッチ画を残しています;左側にあるはずの、西の郭の北側の防壁は不明瞭です。
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15:00 南の郭へ登る石段。
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南の郭から正門、遠方は東シナ海です:城の模型を見ると、正門の右側に西の郭の城壁が連なっているはずですが、この部分は取り除かれたようです。
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南の郭には、多くの拝所が並んでいます;歴史的には、古代から地元集落の祈りの場で拝所があったグスクに、12世紀ごろから台頭してきた按司が城塞を築いたようです。
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南の郭から、一の郭の城壁。
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15:05 拝所”雨乞イノ御嶽”:中国の江南風庭園に多く見られる太湖石(風化した石灰岩)の飾りが思い出されます。
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15:07 一の郭へのアーチ門;奥に見えているのが二の郭へ続くアーチ門;他の城と同じで2枚の弓状の石の組み合わせです;城壁の石組みは布積みです。
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15:08 一の郭;左右に修復中の石が並べられています。
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石壁の上の展望所から一の郭:グスク時代には宮殿があり、明治時代にも中城村の役場が置かれていた時期もあったようです。
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15:12 一の郭の南側の城壁:遠方は東シナ海です。
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15:16 曲線を描く一の郭の南城壁:胸壁と武者走りがあり、歩くことが出来ます。
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15:18 一の郭の東城壁から独特の曲線を描く二の郭:この城壁にも、胸壁と武者走りがあります。
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15:20 二の郭へのアーチ門;二の郭の石組みも布積みです。
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15:22 二の郭の城壁上から、一の郭の城壁:首里城と同じような隅がしらがついています。
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15:22 南側には、火力発電所と中城湾そして太平洋。
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15:23 二の郭南城壁の上;右上は中城湾です。
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15:24 二の郭城壁から三の郭:二の郭と三の郭の間の城壁には出入り口がないので、北の郭を通って行くしかありません;三の郭の城壁に登る石段はありますが、石壁の上は修復出来ていません。
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二の郭の北城壁から一の郭;左の海は中城湾です。
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15:25 二の郭の北城壁から北の郭:北の郭の北側石壁は相方積みです;
1430年、琉球の歴史で最も著名な築城家である護佐丸が、第一尚氏王統第2代国王の尚巴志の命で、座間味城から中城城主に移りました。彼が、増築したのが北の郭と三の郭とされています;この2つの郭は、彼の築城を特徴づける、座間味城と同じ相方積みで築かれています。 -
15:26 左下は北の郭と裏門、右下は三の郭と出入りの石段;城跡の入り口から直接登ってくると裏門から郭に入ります。
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15:28 一の郭の東石垣:布積みで、隅がしらがついています。
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15:30 北の郭から三の郭へ登る石段:三の郭の出入り口はここだけです。
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15:31 三の郭:右の二の郭の石垣は、布積みで、隅がしらがついていますが、左側の、三の郭の石壁は、相方積みです;護佐丸が、増築したとされてる部分です。
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15:34 裏門=北の郭へのアーチ門と三の郭の相方積みの石垣。
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15:40 右下の世界遺産の石碑と三の郭の城壁:城壁の頂部は修復出来ていません。
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グスクめぐりん(北中城村観光周遊バス実証実験)の時刻表:無料の巡回バスで、とりあえず3月31日までです;Gマにはリアルタイムの遅延情報も掲載されていました。
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15:49 [中城城跡]:城跡の事務所と駐車場の間にあります。
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16:06 グスクめぐりんバス:Gマの情報の通り5分遅れて到着しました;降りるのも乗るのも私一人でした;このバスがないと30分以上歩く必要があります。
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16:14 北中城村役場:駐車場にバスが停まります:沖縄道に沿って北に進むと;
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16:18 高速バス利用者用の駐車場の奥に、沖縄道バス停入り口があります。
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16:27 [喜舎場]:毎時2本程度那覇市街経由那覇空港行きの高速バスが運行しています。
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16:56 那覇[バスターミナル前]:高速バスは早い!
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18:17 壺屋やちむん通りの東端近くの高台にある、琉球料理命果報(ぬちがふう)。
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夜はコース料理しかありません;5000円のコースの前菜;一品一品丁寧に作られています。
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飲み物は、泡盛の10年級の古酒を3種類もらいました;ストレートで飲んでも美味しい。
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同じ敷地内に、登り窯が残されています。
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メインはラフテー:
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いなむどぅち(沖縄風豚汁):
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紅芋牛乳羊羹:量は老人にはちょうどでした。
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19:51 玄関では毛並みの良い猫達がたむろしています;出迎え・見送りはしてくれません;私の旅では破格の贅沢な食事でした。
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