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≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之参~三日日:本島南部再訪編~<br /><br />一年間の沈黙の期間を経て実現した今回の来沖。エアーチケットとレンタカー・常宿の手配は1月の半ばには済ませています。しかしその後『資格試験』や『合格祈願』、そして『お礼参り』に加えて『戦争を辿る旅』にかまけていた結果、6月初旬まで計画を見直すことすら出来ませんでした。結果いつもながらではありますが『Special No Planの旅』で出かけることに…。足の向くまま気の向くままで恩納村から北上し、名護市内をドライブしてから八重岳経由で本部町へと向かいます。僅かな時間で美ら海水族館を巡り、再び時間切れで訪れることができなかった『伊江島』の景色だけを堪能し、今回の旅最長の約100kmの移動を無事クリア。本島の常宿のひとつである奥武島の『ゲストハウスりゅうかく』に到着したのはチェックインギリギリの22:45…。ゆっくりしたいけどゆっくり『できない』行程で3回目の宿泊となりました。そして旅3日目の朝を迎えます。慰霊の日前日の今日、宿替えの移動は大したことはないのですが、明日に繋がるイベント見学が夜に待ち構えています。さぁどんな一日になったのでしょうか?<br /><br />平成29(2017)年6月22木曜日<br />ゲストハウスりゅうかく 12:55 《0.0km・0.0km・169.0km・0.0km/h》<br />奥武島休憩所 12:57  《0.3km・0.3km・169.3km・9.0km/h》<br />       13:15<br />奥武簡易郵便局 13:17 《0.8km・1.1km・170.1km・24.0km/h》<br />        13:22<br />百名簡易郵便局 13:30 《4.3km・5.4km・175.5km・32.3km/h》<br />        13:37<br />親慶原簡易郵便局 13:42 《2.4km・7.8km・177.9km・28.8km/h》<br />         14:11<br />津波古簡易郵便局 14:19 《3.8km・11.6km・181.7km・28.5km/h》<br />         14:35<br />与那原郵便局 14:38 《2.5km・14.1km・184.2km・50.0km/h》14.1<br />       14:51<br />西原我謝郵便局 14:56 《2.2m・16.3km・186.4km・26.4km/h》 16.3<br />        15:00<br />西原郵便局 15:05 《1.8km・18.1km・188.2km・21.6km/h》 18.1<br />      15:12<br />琉球大学病院内簡易郵便局 15:18 《3.0km・21.1km・191.2km・30.0km/h》<br />             15:40<br />西原坂田郵便局 15:52 《2.1km・23.2km・193.3km・10.5km/h》<br />        16:03<br />サンエー西原シティ店 16:15 《4.1km・27.3km・197.4km・20.5km/h》<br />           18:52<br />糸数アブチラガマ 19:23 《14.6km・41.9km・212.0km・28.3km/h》<br />         19:37<br />平和祈念公園 19:51 《9.8km・51.7km・221.8km・42.0km/h》 <br />       20:30<br />みん宿ヤポネシア 20:34 《2.4km・54.1km・224.2km・36.0km/h》<br />※Night Driving to Gushichan-PostOffice《12.5km・66.6km・236.7km・0.0km/h》<br /><br />3日目の朝も目覚ましなしで起きられました。8:00に朝食をお願いしておいたのでそれに合わせて行動します。まずは寝起きの一服。仕事の朝とは違い『義務感』で吸うという感じはありません。元喫煙者のおじぃにも『ヘビーですね♪』なんて言われちゃいます。でも事実なので仕方がありません(笑)。同宿の台湾&カナダのカップルさんと食堂で顔を合わせます。『?胃早』と口を滑らせてしまったのは、完全にガードを緩めている証拠です♪<br /><br />見慣れてはいるけどやはり内容は違うご自慢の朝食を頂いてから、荷物をまとめます。同宿さんたちはこのゲストハウスに二泊するためだけに台湾から来沖し、今日帰るとのこと。とにかく何事にも前向きなおじぃとおばぁ、増え続ける外国人観光客のために今度はハングルを勉強中とのこと、本当に頭が下がります。そしてこういう人柄が訪れたものの『口コミ』となって、その口コミに触発された観光客が訪れる『正の連鎖』が続き、集客も年々増えてきているとのことでした。素晴らしい宿と紹介した私にとっても嬉しい限りではあるのですが、泊まりに来るときはできれば泊めてね~♪なんていう冗談も交えながらちょっぴり寂しい気持ちにもなりました…。<br /><br />このゲストハウスりゅうかくを利用する理由は勿論おじぃとおばぁに会うためなのですが、実はもうひとつ忘れてはならないものがあります。看板犬『銀次』、前回宿泊したときにも何枚も写真を載せたのですが、じつは今回それができませんでした…。今年1月に出て行った切り帰ってきていないそうです。犬は最後を見せずに消えてしまうこともありますが、どうなのでしょうか…。ご夫婦も最初はそのうちに帰ってくるだろうと思っていたそうですがそれっきりになってしまったそうです。一周1.7kmの奥武島ゆえ、すぐに見つかるだろう…それから早や5ヶ月が過ぎてしまっています。でもこの『銀』、結構『男』であり、東京在住の頃には、コンビニで繋がれて待っているときに『髪の長いお姉さん』に尻尾を振ってついて行ってしまったことがあるそうです。女性に弱い『銀』ゆえ、てんぷらを買いに来たどこぞのお姉さんに連れて帰って貰って、何食わぬ顔で『看板犬』を演じているんじゃないかとおじい・おばぁそして私とでしみじみ語り合ってしまいました。こんな話に乗っかる一旅行客も如何なものか?と思われるのかも知れません。しかし『銀次』目当てに韓国から子供がやってくる『実話』もあり、少数限定の話題にはなるもののこれが宿の『強味』でもあることがわかります。いつもそうなのですが、本当に話し始めると話題が途切れないおじぃとおばぁ。今回も時間が過ぎるのを完全に忘れてしまい、気付いたらお昼を回っていました。1年前の出発時には『いつ来るかわからないけど、さよならも言わないよ!』の言葉を残しました。自分自身もまさか1年あいてしまうことは考えてもいませんでしたが、今回も同じような言葉を残していきます。『いつ来るかわからないけど、部屋が空いているときにやって来ます』と。<br /><br />いつもながら名残惜しいのですが、ヒマな私と違って仕事の邪魔することも悪いので出発することにします。どこかで『銀ちゃん』に会えるんでは…という気持ちと共に…。そしておじぃとおばぁに見送られて、周回道路を走って行きます。途中奥武島最南端の場所にある『休憩施設』に立ち寄り、一服をしながら今日の行程をさっと作ろうとしましたが…思うようなルートが得られず、結局No Planのままで出発します。<br /><br />少し走ると車道に停車する車と群れを成す人間の姿が見られます。大城てんぷら店、奥武島というと『てんぷら』が有名ですが、島入り口付近にある『仲本てんぷら店』とここ『大城てんぷら店』があります。どちらもだいたい11:00頃からの開店であり、なかなか立ち寄ることもないのですが、初めて今回オープンしている時間に遭遇しました。しか~しあの『人の列』はどうも近付く気になりません。そうこうしているうちに時間は経過するので、また次回のミッションとして先を急ぐことにします。そして進むこと数分で本日最初の立ち寄り地である『奥武簡易郵便局』に到着します。<br /><br />この奥武島簡易郵便局には何回か訪れてはいるのですが、ATMがないので旅行貯金ができませんでした。そこで今回初めて局内へと入ります。一般の住宅を改造したっぽい簡易郵便局の造りは他の簡易郵便局と大差はありません。そして念願の局印が押された通帳を受け取り、次の目的地へと向かいます。<br /><br />そして奥武島を後にして、国道331号線を南東へと進んで県道へと入った場所にある『百名簡易郵便局』に到着します。ザ・簡易郵便局といっても過言ではない百名簡易郵便局は『お店』が併設されています。そういった場合『お店』側に声を掛けることが多いのですが、今回は局内におられました。旅行貯金を済ませるとミッションは終了なのですが、この『百名』という集落は、知る人ぞ知る有名な場所でもあります。南城市で宿泊先を探すと必ず検索に引っ掛かる『百名伽藍』というホテルがあります。1泊RCが70,000円/1人ととんでもないプライスが目に入ります。リゾートに泊まろうという気持ちがない私ですが、何となくこの百名伽藍にはいつか宿泊してみたいな…なんていう思いもありました(笑)。<br /><br />という訳で先へと進みます。琉球ゴルフ倶楽部隣にある『親慶原簡易郵便局』、こちらへは昨年2月に立ち寄っていますが、やはりATMがないため、旅行貯金はしていません。そのために再訪となりました。前回立ち寄った時には『CoCoストア』が目印なんて言っていましたが、ファミリーマートによる吸収のこともあるのか既に閉店されていました。その分目立つようになった親慶原簡易郵便局にて再び旅行貯金をして旅を続けます。<br /><br />南城市の内陸部から海側へと向かって走り『津波古簡易郵便局』。この辺りは元々の佐敷町だったところですが、平成18(2006)年の大合併によって南城市ができてそこに吸収をされ、現在に至っています。そういった理由もありヒトコトに南城市といってもかなりの広さがあります。取りあえず『後戻り』をしないルートで走っているため、津波古局を南城市最後にして、与那原町へと向かいます。そしてやってきたのは『与那原郵便局』。島尻郡与那原町唯一の郵便局になります。ただ人も多く若干の待ち時間が生じたのは仕方がありません。とにかく用事を済ませて再び車を走らせます。<br /><br />徐々に残り時間も減っていく中で西原町へと入り『西原我謝郵便局』『西原郵便局』『琉球大学病院内簡易郵便局』『西原坂田郵便局』まででタイムアップとなりました。1日9局はおやじ殿の付き合いに比べると格段に少ないのですが、あくまで『道沿い』に走っていて見つけた局に立ち寄っているため、効率では比較できるわけがありません(笑)。<br /><br />西原坂田局を出て、これまたほぼ必ず訪れている『サンエー西原シティ店』へとやって来ました。お土産の購入は今回はしませんが、フィルムカメラで撮影した『ネガ』の現像とデータ化をパレットプラザサンエー西原シティ店にて頼む理由のためになります。デジタル化の時代にあえてフィルムを使う理由があるのか…と聞かれると返答に困りますが、同一シーンの撮影には、オートで撮影データを調節してしまうコンデジよりも『それらしく』写る特徴をとりたいと考えた結果です。ただネットでは結構安くできるものではありますが、店舗では27枚撮り1本現像とデータ化で1,200円ほどかかります。経済的ではありませんが、昨日撮影した『戦跡』の写真を確認したいため、出向いてきました。<br /><br />3~40分で出来上がるとのこと。ならばということで遅い昼食を摂ることにします。店内のピザハットに立ち寄り『ポテマヨソーセージピッツアとコーラ』をオーダーします。グルメでない私にとって、手軽に食べられる『ファーストフード』は利便性が高いです(笑)。食べ終わってパレットプラザに立ち寄ってネガを受け取ります。フィルムならではの露出アンダー気味の写真ゆえ画像修正をしないとということとなり家で処理することにします。<br /><br />結局なんだかんだとウィンドーショッピング(古っ)して19:00前となり、平和祈念公園の『慰霊の日前夜祭』を見学して、本日の宿であるみん宿ヤポネシアへと向かうルートに出発しますが、途中『糸数城跡』の行先表示板を見てふと思うことがあり、再び路線を外れます。<br /><br />そして到着したのは『糸数アブチラガマ』。昨年2月に壕内見学で訪れた場所ではあるのですが、以前南城市役所大里庁舎隣の大里農村環境改善センターに置かれていた『大里の大砲(加農砲)』が平成28(2016)年3月に移設されたとの情報を確認するためでした。戦中に使われていた『平川壕』を破壊し、約60年の眠りから覚めたこの八九式十五糎加農砲は埋没時にともに壕内に残された兵士の遺骨収集にも繋がっています。そして同じ場所に保存されていた九四式三十七粍砲、なぜこれが一緒に展示されていたのか?その理由はわかりません。また旧佐敷町で発見され、南城市老人福祉センターで展示されていた93式酸素魚雷も同じ場所に於いて展示されています。新しく移設情報を付け加えた説明板が建立されていました。また一年四カ月ぶりの再会となった八九式十五糎加農砲、大里農村環境改善センター前に置かれている時には、長年放置されていたこともあり『赤サビ塗れ』になっていたものが、モノの見事に『靖国神社の展示品』と同じカラーリングがされていました。しかし一目見るだけで明らかに『手抜き塗装』だとわかるのは、保存という概念はあまりないのではと思わざるを得ませんでした。また説明もなく盗難防止のチェーンが掛かった状態でちょこんと置かれている『九四式三七糎砲(速射砲)』も大里農村環境改善センター前に置かれていた時と変わりません。なにかで読んだ記憶があるのですが、これも平川壕を取り壊した際に壕内から出土したものだったと言われています。そして旧佐敷町で見つかった『九三式酸素魚雷』は、津波古にあった≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之参~三日日:本島南部再訪編~<br /><br />一年間の沈黙の期間を経て実現した今回の来沖。エアーチケットとレンタカー・常宿の手配は1月の半ばには済ませています。しかしその後『資格試験』や『合格祈願』、そして『お礼参り』に加えて『戦争を辿る旅』にかまけていた結果、6月初旬まで計画を見直すことすら出来ませんでした。結果いつもながらではありますが『Special No Planの旅』で出かけることに…。足の向くまま気の向くままで恩納村から北上し、名護市内をドライブしてから八重岳経由で本部町へと向かいます。僅かな時間で美ら海水族館を巡り、再び時間切れで訪れることができなかった『伊江島』の景色だけを堪能し、今回の旅最長の約100kmの移動を無事クリア。本島の常宿のひとつである奥武島の『ゲストハウスりゅうかく』に到着したのはチェックインギリギリの22:45…。ゆっくりしたいけどゆっくり『できない』行程で3回目の宿泊となりました。そして旅3日目の朝を迎えます。異例の日前日の今日、宿替えの移動は大したことはないのですが、明日に繋がるイベント見学が夜に待ち構えています。さぁどんな一日になったのでしょうか?<br /><br />平成29(2017)年6月22木曜日<br />ゲストハウスりゅうかく 12:55 《0.0km・0.0km・169.0km・0.0km/h》<br />奥武島休憩所 12:57  《0.3km・0.3km・169.3km・9.0km/h》<br />       13:15<br />奥武簡易郵便局 13:17 《0.8km・1.1km・170.1km・24.0km/h》<br />        13:22<br />百名簡易郵便局 13:30 《4.3km・5.4km・175.5km・32.3km/h》<br />        13:37<br />親慶原簡易郵便局 13:42 《2.4km・7.8km・177.9km・28.8km/h》<br />         14:11<br />津波古簡易郵便局 14:19 《3.8km・11.6km・181.7km・28.5km/h》<br />         14:35<br />与那原郵便局 14:38 《2.5km・14.1km・184.2km・50.0km/h》14.1<br />       14:51<br />西原我謝郵便局 14:56 《2.2m・16.3km・186.4km・26.4km/h》 16.3<br />        15:00<br />西原郵便局 15:05 《1.8km・18.1km・188.2km・21.6km/h》 18.1<br />      15:12<br />琉球大学病院内簡易郵便局 15:18 《3.0km・21.1km・191.2km・30.0km/h》<br />             15:40<br />西原坂田郵便局 15:52 《2.1km・23.2km・193.3km・10.5km/h》<br />        16:03<br />サンエー西原シティ店 16:15 《4.1km・27.3km・197.4km・20.5km/h》<br />           18:52<br />糸数アブチラガマ 19:23 《14.6km・41.9km・212.0km・28.3km/h》<br />         19:37<br />平和祈念公園 19:51 《9.8km・51.7km・221.8km・42.0km/h》 <br />       20:30<br />みん宿ヤポネシア 20:34 《2.4km・54.1km・224.2km・36.0km/h》<br />《12.5km・66.6km・236.7km・0.0km/h》<br /><br />3日目の朝も目覚ましなしで起きられました。8:00に朝食をお願いしておいたのでそれに合わせて行動します。まずは寝起きの一服。仕事の朝とは違い『義務感』で吸うという感じはありません。元喫煙者のおじぃにも『ヘビーですね♪』なんて言われちゃいます。でも事実なので仕方がありません(笑)。同宿の台湾&カナダのカップルさんと食堂で顔を合わせます。『?胃早』と口を滑らせてしまったのは、完全にガードを緩めている証拠です♪<br /><br />見慣れてはいるけどやはり内容は違うご自慢の朝食を頂いてから、荷物をまとめます。同宿さんたちはこのゲストハウスに二泊するためだけに台湾から来沖し、今日帰るとのこと。とにかく何事にも前向きなおじぃとおばぁ、増え続ける外国人観光客のために今度はハングルを勉強中とのこと、本当に頭が下がります。そしてこういう人柄が訪れたものの『口コミ』となって、その口コミに触発された観光客が訪れる『正の連鎖』が続き、集客も年々増えてきているとのことでした。素晴らしい宿と紹介した私にとっても嬉しい限りではあるのですが、泊まりに来るときはできれば泊めてね~♪なんていう冗談も交えながらちょっぴり寂しい気持ちにもなりました…。<br /><br />このゲストハウスりゅうかくを利用する理由は勿論おじぃとおばぁに会うためなのですが、実はもうひとつ忘れてはならないものがあります。看板犬『銀次』、前回宿泊したときにも何枚も写真を載せたのですが、じつは今回それができませんでした…。今年1月に出て行った切り帰ってきていないそうです。犬は最後を見せずに消えてしまうこともありますが、どうなのでしょうか…。ご夫婦も最初はそのうちに帰ってくるだろうと思っていたそうですがそれっきりになってしまったそうです。一周1.7kmの奥武島ゆえ、すぐに見つかるだろう…それから早や5ヶ月が過ぎてしまっています。でもこの『銀』、結構『男』であり、東京在住の頃には、コンビニで繋がれて待っているときに『髪の長いお姉さん』に尻尾を振ってついて行ってしまったことがあるそうです。女性に弱い『銀』ゆえ、てんぷらを買いに来たどこぞのお姉さんに連れて帰って貰って、何食わぬ顔で『看板犬』を演じているんじゃないかとおじい・おばぁそして私とでしみじみ語り合ってしまいました。こんな話に乗っかる一旅行客も如何なものか?と思われるのかも知れません。しかし『銀次』目当てに韓国から子供がやってくる『実話』もあり、少数限定の話題にはなるもののこれが宿の『強味』でもあることがわかります。いつもそうなのですが、本当に話し始めると話題が途切れないおじぃとおばぁ。今回も時間が過ぎるのを完全に忘れてしまい、気付いたらお昼を回っていました。1年前の出発時には『いつ来るかわからないけど、さよならも言わないよ!』の言葉を残しました。自分自身もまさか1年あいてしまうことは考えてもいませんでしたが、今回も同じような言葉を残していきます。『いつ来るかわからないけど、部屋が空いているときにやって来ます』と。<br /><br />いつもながら名残惜しいのですが、ヒマな私と違って仕事の邪魔することも悪いので出発することにします。どこかで『銀ちゃん』に会えるんでは…という気持ちと共に…。そしておじぃとおばぁに見送られて、周回道路を走って行きます。途中奥武島最南端の場所にある『休憩施設』に立ち寄り、一服をしながら今日の行程をさっと作ろうとしましたが…思うようなルートが得られず、結局No Planのままで出発します。<br /><br />少し走ると車道に停車する車と群れを成す人間の姿が見られます。大城てんぷら店、奥武島というと『てんぷら』が有名ですが、島入り口付近にある『仲本てんぷら店』とここ『大城てんぷら店』があります。どちらもだいたい11:00頃からの開店であり、なかなか立ち寄ることもないのですが、初めて今回オープンしている時間に遭遇しました。しか~しあの『人の列』はどうも近付く気になりません。そうこうしているうちに時間は経過するので、また次回のミッションとして先を急ぐことにします。そして進むこと数分で本日最初の立ち寄り地である『奥武簡易郵便局』に到着します。<br /><br />この奥武島簡易郵便局には何回か訪れてはいるのですが、ATMがないので旅行貯金ができませんでした。そこで今回初めて局内へと入ります。一般の住宅を改造したっぽい簡易郵便局の造りは他の簡易郵便局と大差はありません。そして念願の局印が押された通帳を受け取り、次の目的地へと向かいます。<br /><br />そして奥武島を後にして、国道331号線を南東へと進んで県道へと入った場所にある『百名簡易郵便局』に到着します。ザ・簡易郵便局といっても過言ではない百名簡易郵便局は『お店』が併設されています。そういった場合『お店』側に声を掛けることが多いのですが、今回は局内におられました。旅行貯金を済ませるとミッションは終了なのですが、この『百名』という集落は、知る人ぞ知る有名な場所でもあります。南城市で宿泊先を探すと必ず検索に引っ掛かる『百名伽藍』というホテルがあります。1泊RCが70,000円/1人ととんでもないプライスが目に入ります。リゾートに泊まろうという気持ちがない私ですが、何となくこの百名伽藍にはいつか宿泊してみたいな…なんていう思いもありました(笑)。<br /><br />という訳で先へと進みます。琉球ゴルフ倶楽部隣にある『親慶原簡易郵便局』、こちらへは昨年2月に立ち寄っていますが、やはりATMがないため、旅行貯金はしていません。そのために再訪となりました。前回立ち寄った時には『CoCoストア』が目印なんて言っていましたが、ファミリーマートによる吸収のこともあるのか既に閉店されていました。その分目立つようになった親慶原簡易郵便局にて再び旅行貯金をして旅を続けます。<br /><br />南城市の内陸部から海側へと向かって走り『津波古簡易郵便局』。この辺りは元々の佐敷町だったところですが、平成18(2006)年の大合併によって南城市ができてそこに吸収をされ、現在に至っています。そういった理由もありヒトコトに南城市といってもかなりの広さがあります。取りあえず『後戻り』をしないルートで走っているため、津波古局を南城市最後にして、与那原町へと向かいます。そしてやってきたのは『与那原郵便局』。島尻郡与那原町唯一の郵便局になります。ただ人も多く若干の待ち時間が生じたのは仕方がありません。とにかく用事を済ませて再び車を走らせます。<br /><br />徐々に残り時間も減っていく中で西原町へと入り『西原我謝郵便局』『西原郵便局』『琉球大学病院内簡易郵便局』『西原坂田郵便局』まででタイムアップとなりました。1日9局はおやじ殿の付き合いに比べると格段に少ないのですが、あくまで『道沿い』に走っていて見つけた局に立ち寄っているため、効率では比較できるわけがありません(笑)。<br /><br />西原坂田局を出て、これまたほぼ必ず訪れている『サンエー西原シティ店』へとやって来ました。お土産の購入は今回はしませんが、フィルムカメラで撮影した『ネガ』の現像とデータ化をパレットプラザサンエー西原シティ店にて頼む理由のためになります。デジタル化の時代にあえてフィルムを使う理由があるのか…と聞かれると返答に困りますが、同一シーンの撮影には、オートで撮影データを調節してしまうコンデジよりも『それらしく』写る特徴をとりたいと考えた結果です。ただネットでは結構安くできるものではありますが、店舗では27枚撮り1本現像とデータ化で1,200円ほどかかります。経済的ではありませんが、昨日撮影した『戦跡』の写真を確認したいため、出向いてきました。<br /><br />3~40分で出来上がるとのこと。ならばということで遅い昼食を摂ることにします。店内のピザハットに立ち寄り『ポテマヨソーセージピッツアとコーラ』をオーダーします。グルメでない私にとって、手軽に食べられる『ファーストフード』は利便性が高いです(笑)。食べ終わってパレットプラザに立ち寄ってネガを受け取ります。フィルムならではの露出アンダー気味の写真ゆえ画像修正をしないとということとなり家で処理することにします。<br /><br />結局なんだかんだとウィンドーショッピング(古っ)して19:00前となり、平和祈念公園の『慰霊の日前夜祭』を見学して、本日の宿であるみん宿ヤポネシアへと向かうルートに出発しますが、途中『糸数城跡』の行先表示板を見てふと思うことがあり、再び路線を外れます。<br /><br />そして到着したのは『糸数アブチラガマ』。昨年2月に壕内見学で訪れた場所ではあるのですが、以前南城市役所大里庁舎隣の大里農村環境改善センターに置かれていた『大里の大砲(加農砲)』が平成28(2016)年3月に移設されたとの情報を確認するためでした。戦中に使われていた『平川壕』を破壊し、約60年の眠りから覚めたこの八九式十五糎加農、埋没時にともに壕内に残された兵士の遺骨収集にも繋がっています。そして同じ場所に保存されていた九四式三十七粍砲、なぜこれが一緒に展示されていたのか?その理由はわかりません。また旧佐敷町で発見され、南城市老人福祉センターで展示されていた93式酸素魚雷も同じ場所に於いて展示されています。<br /><br />新しい説明板には移設記録を付加したものとなっており、大里農村環境改善センター前に置かれていた時には放置され『赤サビ塗れ』になっていたものが、一応『靖国神社仕様』のものに合わせたカラーリングが施されていました。しかし一目見るだけでも『塗装の雑さ』がわかるものは、到底劣化を防ぐためという意図ではないと感じます。また説明板もなく盗難防止のチェーンが掛かっている『九四式三七糎砲(速射砲)』は、由来すらわからないとは書かれていますが、確か平川壕を取り壊した時には加農砲とともに出土したものと聞いています。沖縄戦の『秘密兵器』のひとつと言われる二門の加農砲。平川壕が攻撃された際に壕とともに埋没し、一門は掘り出されて砲兵隊と運命をともにしました。幾度か展示場所を変えながら、今は靖国神社に奉納されています。それに対しこの『大里の大砲』は掘り出すことすら断念され、約60年もの間地中に埋まっていました。しかし掘り出されるも10年以上展示という『放置』がされていました。また旧佐敷町津波古の射堡(しゃほ:陸上から魚雷を発射するための基地)跡から平成3(1991)年5月に発見された8本のうちの1本になります。この一本は佐敷町が、二本は沖縄県が所有し、残り五本はスクラップとなりました。その後佐敷町は南城市となり、佐敷老人福祉センター敷地内に於いてやはり『展示』という名の『放置』がされていました。その取り扱いを巡っては賛否両論ありなかなか話が進まない結果となりますが、さすがに『放置』による『劣化』があまりにも酷かった事実が移設に繋がってはいるようです。<br /><br />しかしこの『九三式酸素魚雷』あまりにも不自然なところがありました。弾頭と信管が外されていたのは掘り出された時の話ですが、佐敷老人福祉センター敷地内にあったものは錆びによって動力部の鉄板がぼろぼろになっています。もちろん修復と塗装作業時に修復は行っているにしろ、どうも上手く繋がっていないように見えて仕方がありません。おそらくこの動力部は『九三式酸素魚雷』のものではなく、他のものの動力部分を持ってきて、内部が見えるようにして飾ってあるのでしょう。この『九三式酸素魚雷』に人を乗せたものが『回天』であり、回天の模型はヤマトミュージアムや回天記念館等で見ることができるため、動力部を写真で見比べて見ると・・・わかりました。九三式酸素魚雷には横型並列ニ気筒のレシプロピストン機関が用いられているのに対し、今目の前にあるものは放射状になっていることから星型四気筒機関のものだと思われます。屋内と屋外で保存するには大いなる違いが生じますが、かといってジグソーパズルのように組み立てれば良いというものでもありません。既存の姿を知っていればキレイに修復できる『はず』がないことは一目瞭然ですが、沖縄戦の『負の遺跡』として残すには意味があるのでしょうか?<br /><br />以前に比べると『安住の地』を確保したようにも見えますが、その背景にあるにある『作為的な要素』には憤りを感じずにはいられません。移設されてどのようになったかを確認するのが目的でしたが、なんとなく『煮え切らない気持ち』だけが残った再会でした。<br /><br />iPhoneのカメラは優秀過ぎて『明るさ』を調節してくれるためわかり辛いのですが、既に時刻は19:30を過ぎ、西の沖縄でもさすがに夜の帳に支配される時間になりました。沖縄県道48号線から何度となく通っている『奥武入口交差点』から国道331号線を西進し、八重瀬町具志頭を経由して15分程で平和祈念公園へと到着します。<br /><br />3年連続慰霊の日を沖縄で過ごすこととなり、明日6月23日はいつも場所場所で行われている『慰霊祭』の『巡り方』に頭を悩ませていますが、前日夜の6月22日は『沖縄戦全戦没者追悼式前夜祭』と称する『光の祭典』がここ沖縄県営平和祈念公園にて行われています。展開としては例年と大差ないものが繰り返し行われているだけに過ぎませんが、その『かわり映え』がないことがやはり前夜祭の『コンセプト』だと勝手に思って訪れています。明日の式典会場は、摩文仁の丘を背景とした『平和の丘』をバックにした『式典広場』。その直線上には『エントランス広場』の『時計塔』、そして『平和祈念堂』が並んでいます。前夜祭だから訪れる方もそれ程いないのでは…ということが言われているようですが、そんなことはありません。車を停めるのにも結構時間を要します。ただ式典当日とは違って『散歩』的に楽しんでおられる方が多いので、ひとつの場所に人が群がっているわけではありません。それに加えて『かわり映えのない展開』であれば、写真で切り取ったとしてもそれ程変わらない『はず』なのですが、今年は何となくしっくりこない…。最初はなぜかわからなかったのですが、どうやらキャンドルサービスで作り出されている『平和』の文字の『位置』がズレているみたいです。元々この『平和』の文字が作り出されている場所は、高さのある『平和祈念堂』から色々なやり方を用いてメディアの『表紙』を飾る写真が撮られています。しかし今回はその距離があり過ぎてまともな『写真』が撮れない様子。そのため手持ちの脚立とかを使いながら、アングルを変えて撮影したものをパソコンで逐一確認しているもののうまくいかないようでした。<br /><br />ちなみに式典の時もそうなのですが、『報道』と書かれた『腕章』が『葵の御紋』のごとく、人前に割り込んで視界を遮るマナーの悪さは一部で問題視されているにも関わらず、そのことを自社の『記事』にすることが自らの首を絞めるかの如く考えている沖縄の新聞社が実在します。都合の悪いことを記事にせず自分たちの行為が『報道の自由』に基づいた当たり前の『権利』だと話をすり替える人達に『作為的なもの』がないとは到底思えません。そんな輩が準備不足で『写真が撮れない』ためアタフタしている姿を見て、胸がスカッとしたのは私だけでしょうか(笑)。<br /><br />まぁどうせイチアマチュアカメラマンの一人である私には、『日記』の題材として使える『写真』があればそれだけでいいので、平和の文字とキャンドルの火とライトアップに映える『平和祈念堂』の写真が撮れればそれでOKですから♪ただ三回目にして初めて分かった『光の祭典』もありました。上空に向かって真っすぐに伸びている『光の柱』。これは『平和の礎』の中心である『平和の火』。それを取り囲むように光源が置かれ、上空に向かって『光の柱』を作っているということです。今回は偶々雲がそれほど高くない位置にあったため、そこに投射されている『光の点』が確認できたことによるのが理由でした。上空で収束するように投光されているものは、別に沖縄に限らず全国で見ることはできますが、やはり『慰霊の日前夜祭』でのものであるから『特別』なものに見えてしまうのは事実でしょう。ただこの『慰霊の日前夜祭』の取り組みには是非論があるようで、夜空を照らす『投光』が、船舶の乗員をされておられた方にとって『探照灯』を思わせるのではないか?元々何のコンセプトでお金を使うのか?などという『手厳しい意見』があるのも事実です。これは私自身の考えですが、慰霊碑や慰霊塔・組織に於ける慰霊祭に参列される人数と、沖縄戦全戦没者追悼式典に参列される人数とは比較ができるものではありません。小規模の慰霊祭に於いて往時を髣髴されるものを行えば、多くの参列者がその惨劇を思い出してしまうことによって『フラッシュバック』を起こし、式典どころではなくなるのは容易に想像ができます。しかし数万の観光客を含む参列者が集う全戦没者追悼式では、戦争を直接知らない者が自ら考えた『やり方』で『慰霊』を行い、それが参列者を集めることに結果として繋がっているのであれば、それはそれで理には適っているように思います。結局のところ、大仕掛けのものに対して納得がいかないのであれば参加しなければ良いだけのことであり、それをただ『憶測論』だけで批判するのは如何なものか…と思えてなりません。<br /><br />個々が考えて行っている慰霊の仕方があり、結果として参列者から異論が出ないものであるならばそれはひとつの『慰霊の方法』になることは今更言うことでもありません。しかしその『慰霊式典』に於いて『人が集まる』ことを利用して『政治的利用』を考える不届き者に対し、『慰霊の気持ち』があるのかどうなのかの真意を聞く必要があることは、3年間毎年言い続けてきました。使えるものは何でも使えの号令の下に『作為的』な手法を用いて『抗議活動』を続けていると『自慢げ』にマスコミに語っている者が今年もいたようです。真の慰霊の気持ちを持てない『馬鹿者達』に何を言っても始まりません。色々と勉強になることも多いのですが、その反面『作為的』に行われているものがどんどんエスカレートしている現実もあります。これも時代の流れなのでしょうか…。そんな残念な気持ちにも駆られて、今日一日のアクティビティーを終えることにします。<br /><br />20:30となるもかなりの人々がいる平和祈念公園を後にして、本日の宿である糸満市大度のみん宿yapoksへと向かいます。この3年間の6月22日は必ず泊まっていることにも気付きます。平和祈念公園から2.0km程、大度交差点から海側へと走り道沿いに真っすぐ走ると見慣れた建物が…。20:34無事みん宿ヤポネシアに到着します。前夜祭に立ち寄ってから来るので21:00前後の到着が殆どです。今年も遅くてゴメンチャイ…。<br /><br />到着時間のこともあり、さっそく夕ご飯です。ボリューミーではありませんが、庭で取れた作物をふんだんに取り入れた『品の良い』お食事は、ヤポネシアならではです♪おいしく頂いてから宿内を探索します(笑)。といっても5回目で7泊目となる『みん宿ヤポネシア』、変な話知り尽くしています(笑)。4部屋ある客室にはすべて泊まったことがあり、あくまで旅行記の記録のために写真を撮っています。3年連続6月22日の宿泊になったこの日、1年ぶりの方もおられたりと、定宿者の集い化している面白さもありました。4人の宿泊者はすべて1人旅で、国内色々な場所から色々な想いを持って来られた方ばかりの『濃い~面々』でした。あ、勿論私もその一人ですが…(笑)。<br /><br />今回は入り口から数えて二部屋目の洋風二段ベットのお部屋が二泊の寝床です。以前も泊まったことがありますが、ソファーベットも置かれているので、3名定員でも行けそうです。とにかく荷物を降ろして一服し、情報交換の場に挑みます。今回は『No Plan』の旅ゆえ、仕入れる『ネタ』が多いようには思っていましたが、さすがに3回目ともなると個々の慰霊碑に於ける『慰霊祭情報』等は『情報提供者』となる立場になったようです。朝〇〇時頃から人が集まるなどという情報は、webで調べてもウケない内容としてメディアが取り上げない情報でもある事実もあるという理由もあったようなので…。結局は人それぞれ『バス』『タクシー』『レンタカー+シャトルバス』と言った自分なりの交通手段を取って、沖縄中で行われる『慰霊祭』に参列することが決まり、消灯時間23:00を持って解散し、翌日へと備えることになります。ただ普段から行動時間が遅いたかティムさんは、消灯時間が過ぎてからシャワーを浴びることが既に知られており、今回も『終いシャワー』を浴びて、やっと翌日計画時間と相成ります。<br /><br />旅3日目の今日は結局『No Plan』の旅そのもので、時にどこに行く訳でもなく、ドライブしながら『郵便局巡り』をしていたに過ぎません。まぁそれゆえドライブルートにある史跡にふと立ち寄ったりできることがメリットなので、明日もこのパターンでいくことにします。そう思うと別に『どこへ行く』といった具体的な行程を組む必要がないこともあり、体力が落ちている状態を少しでも回復すべく横になります。Wi-Fi接続専用のタブレットで『新たな情報』を仕入れようと頑張っているうちに記憶が遠のいて行きます…。そんな感じで旅4日目にして、今回の旅の『メインイベント』である『慰霊の日』を迎えることになりますzzz。そして時間は静かに流れて行きました…。<br /><br />《次編に続く》

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之参~三日日:本島南部再訪編~

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2017/06/22 - 2017/06/22

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之参~三日日:本島南部再訪編~

一年間の沈黙の期間を経て実現した今回の来沖。エアーチケットとレンタカー・常宿の手配は1月の半ばには済ませています。しかしその後『資格試験』や『合格祈願』、そして『お礼参り』に加えて『戦争を辿る旅』にかまけていた結果、6月初旬まで計画を見直すことすら出来ませんでした。結果いつもながらではありますが『Special No Planの旅』で出かけることに…。足の向くまま気の向くままで恩納村から北上し、名護市内をドライブしてから八重岳経由で本部町へと向かいます。僅かな時間で美ら海水族館を巡り、再び時間切れで訪れることができなかった『伊江島』の景色だけを堪能し、今回の旅最長の約100kmの移動を無事クリア。本島の常宿のひとつである奥武島の『ゲストハウスりゅうかく』に到着したのはチェックインギリギリの22:45…。ゆっくりしたいけどゆっくり『できない』行程で3回目の宿泊となりました。そして旅3日目の朝を迎えます。慰霊の日前日の今日、宿替えの移動は大したことはないのですが、明日に繋がるイベント見学が夜に待ち構えています。さぁどんな一日になったのでしょうか?

平成29(2017)年6月22木曜日
ゲストハウスりゅうかく 12:55 《0.0km・0.0km・169.0km・0.0km/h》
奥武島休憩所 12:57  《0.3km・0.3km・169.3km・9.0km/h》
       13:15
奥武簡易郵便局 13:17 《0.8km・1.1km・170.1km・24.0km/h》
        13:22
百名簡易郵便局 13:30 《4.3km・5.4km・175.5km・32.3km/h》
        13:37
親慶原簡易郵便局 13:42 《2.4km・7.8km・177.9km・28.8km/h》
         14:11
津波古簡易郵便局 14:19 《3.8km・11.6km・181.7km・28.5km/h》
         14:35
与那原郵便局 14:38 《2.5km・14.1km・184.2km・50.0km/h》14.1
       14:51
西原我謝郵便局 14:56 《2.2m・16.3km・186.4km・26.4km/h》 16.3
        15:00
西原郵便局 15:05 《1.8km・18.1km・188.2km・21.6km/h》 18.1
      15:12
琉球大学病院内簡易郵便局 15:18 《3.0km・21.1km・191.2km・30.0km/h》
             15:40
西原坂田郵便局 15:52 《2.1km・23.2km・193.3km・10.5km/h》
        16:03
サンエー西原シティ店 16:15 《4.1km・27.3km・197.4km・20.5km/h》
           18:52
糸数アブチラガマ 19:23 《14.6km・41.9km・212.0km・28.3km/h》
         19:37
平和祈念公園 19:51 《9.8km・51.7km・221.8km・42.0km/h》
       20:30
みん宿ヤポネシア 20:34 《2.4km・54.1km・224.2km・36.0km/h》
※Night Driving to Gushichan-PostOffice《12.5km・66.6km・236.7km・0.0km/h》

3日目の朝も目覚ましなしで起きられました。8:00に朝食をお願いしておいたのでそれに合わせて行動します。まずは寝起きの一服。仕事の朝とは違い『義務感』で吸うという感じはありません。元喫煙者のおじぃにも『ヘビーですね♪』なんて言われちゃいます。でも事実なので仕方がありません(笑)。同宿の台湾&カナダのカップルさんと食堂で顔を合わせます。『?胃早』と口を滑らせてしまったのは、完全にガードを緩めている証拠です♪

見慣れてはいるけどやはり内容は違うご自慢の朝食を頂いてから、荷物をまとめます。同宿さんたちはこのゲストハウスに二泊するためだけに台湾から来沖し、今日帰るとのこと。とにかく何事にも前向きなおじぃとおばぁ、増え続ける外国人観光客のために今度はハングルを勉強中とのこと、本当に頭が下がります。そしてこういう人柄が訪れたものの『口コミ』となって、その口コミに触発された観光客が訪れる『正の連鎖』が続き、集客も年々増えてきているとのことでした。素晴らしい宿と紹介した私にとっても嬉しい限りではあるのですが、泊まりに来るときはできれば泊めてね~♪なんていう冗談も交えながらちょっぴり寂しい気持ちにもなりました…。

このゲストハウスりゅうかくを利用する理由は勿論おじぃとおばぁに会うためなのですが、実はもうひとつ忘れてはならないものがあります。看板犬『銀次』、前回宿泊したときにも何枚も写真を載せたのですが、じつは今回それができませんでした…。今年1月に出て行った切り帰ってきていないそうです。犬は最後を見せずに消えてしまうこともありますが、どうなのでしょうか…。ご夫婦も最初はそのうちに帰ってくるだろうと思っていたそうですがそれっきりになってしまったそうです。一周1.7kmの奥武島ゆえ、すぐに見つかるだろう…それから早や5ヶ月が過ぎてしまっています。でもこの『銀』、結構『男』であり、東京在住の頃には、コンビニで繋がれて待っているときに『髪の長いお姉さん』に尻尾を振ってついて行ってしまったことがあるそうです。女性に弱い『銀』ゆえ、てんぷらを買いに来たどこぞのお姉さんに連れて帰って貰って、何食わぬ顔で『看板犬』を演じているんじゃないかとおじい・おばぁそして私とでしみじみ語り合ってしまいました。こんな話に乗っかる一旅行客も如何なものか?と思われるのかも知れません。しかし『銀次』目当てに韓国から子供がやってくる『実話』もあり、少数限定の話題にはなるもののこれが宿の『強味』でもあることがわかります。いつもそうなのですが、本当に話し始めると話題が途切れないおじぃとおばぁ。今回も時間が過ぎるのを完全に忘れてしまい、気付いたらお昼を回っていました。1年前の出発時には『いつ来るかわからないけど、さよならも言わないよ!』の言葉を残しました。自分自身もまさか1年あいてしまうことは考えてもいませんでしたが、今回も同じような言葉を残していきます。『いつ来るかわからないけど、部屋が空いているときにやって来ます』と。

いつもながら名残惜しいのですが、ヒマな私と違って仕事の邪魔することも悪いので出発することにします。どこかで『銀ちゃん』に会えるんでは…という気持ちと共に…。そしておじぃとおばぁに見送られて、周回道路を走って行きます。途中奥武島最南端の場所にある『休憩施設』に立ち寄り、一服をしながら今日の行程をさっと作ろうとしましたが…思うようなルートが得られず、結局No Planのままで出発します。

少し走ると車道に停車する車と群れを成す人間の姿が見られます。大城てんぷら店、奥武島というと『てんぷら』が有名ですが、島入り口付近にある『仲本てんぷら店』とここ『大城てんぷら店』があります。どちらもだいたい11:00頃からの開店であり、なかなか立ち寄ることもないのですが、初めて今回オープンしている時間に遭遇しました。しか~しあの『人の列』はどうも近付く気になりません。そうこうしているうちに時間は経過するので、また次回のミッションとして先を急ぐことにします。そして進むこと数分で本日最初の立ち寄り地である『奥武簡易郵便局』に到着します。

この奥武島簡易郵便局には何回か訪れてはいるのですが、ATMがないので旅行貯金ができませんでした。そこで今回初めて局内へと入ります。一般の住宅を改造したっぽい簡易郵便局の造りは他の簡易郵便局と大差はありません。そして念願の局印が押された通帳を受け取り、次の目的地へと向かいます。

そして奥武島を後にして、国道331号線を南東へと進んで県道へと入った場所にある『百名簡易郵便局』に到着します。ザ・簡易郵便局といっても過言ではない百名簡易郵便局は『お店』が併設されています。そういった場合『お店』側に声を掛けることが多いのですが、今回は局内におられました。旅行貯金を済ませるとミッションは終了なのですが、この『百名』という集落は、知る人ぞ知る有名な場所でもあります。南城市で宿泊先を探すと必ず検索に引っ掛かる『百名伽藍』というホテルがあります。1泊RCが70,000円/1人ととんでもないプライスが目に入ります。リゾートに泊まろうという気持ちがない私ですが、何となくこの百名伽藍にはいつか宿泊してみたいな…なんていう思いもありました(笑)。

という訳で先へと進みます。琉球ゴルフ倶楽部隣にある『親慶原簡易郵便局』、こちらへは昨年2月に立ち寄っていますが、やはりATMがないため、旅行貯金はしていません。そのために再訪となりました。前回立ち寄った時には『CoCoストア』が目印なんて言っていましたが、ファミリーマートによる吸収のこともあるのか既に閉店されていました。その分目立つようになった親慶原簡易郵便局にて再び旅行貯金をして旅を続けます。

南城市の内陸部から海側へと向かって走り『津波古簡易郵便局』。この辺りは元々の佐敷町だったところですが、平成18(2006)年の大合併によって南城市ができてそこに吸収をされ、現在に至っています。そういった理由もありヒトコトに南城市といってもかなりの広さがあります。取りあえず『後戻り』をしないルートで走っているため、津波古局を南城市最後にして、与那原町へと向かいます。そしてやってきたのは『与那原郵便局』。島尻郡与那原町唯一の郵便局になります。ただ人も多く若干の待ち時間が生じたのは仕方がありません。とにかく用事を済ませて再び車を走らせます。

徐々に残り時間も減っていく中で西原町へと入り『西原我謝郵便局』『西原郵便局』『琉球大学病院内簡易郵便局』『西原坂田郵便局』まででタイムアップとなりました。1日9局はおやじ殿の付き合いに比べると格段に少ないのですが、あくまで『道沿い』に走っていて見つけた局に立ち寄っているため、効率では比較できるわけがありません(笑)。

西原坂田局を出て、これまたほぼ必ず訪れている『サンエー西原シティ店』へとやって来ました。お土産の購入は今回はしませんが、フィルムカメラで撮影した『ネガ』の現像とデータ化をパレットプラザサンエー西原シティ店にて頼む理由のためになります。デジタル化の時代にあえてフィルムを使う理由があるのか…と聞かれると返答に困りますが、同一シーンの撮影には、オートで撮影データを調節してしまうコンデジよりも『それらしく』写る特徴をとりたいと考えた結果です。ただネットでは結構安くできるものではありますが、店舗では27枚撮り1本現像とデータ化で1,200円ほどかかります。経済的ではありませんが、昨日撮影した『戦跡』の写真を確認したいため、出向いてきました。

3~40分で出来上がるとのこと。ならばということで遅い昼食を摂ることにします。店内のピザハットに立ち寄り『ポテマヨソーセージピッツアとコーラ』をオーダーします。グルメでない私にとって、手軽に食べられる『ファーストフード』は利便性が高いです(笑)。食べ終わってパレットプラザに立ち寄ってネガを受け取ります。フィルムならではの露出アンダー気味の写真ゆえ画像修正をしないとということとなり家で処理することにします。

結局なんだかんだとウィンドーショッピング(古っ)して19:00前となり、平和祈念公園の『慰霊の日前夜祭』を見学して、本日の宿であるみん宿ヤポネシアへと向かうルートに出発しますが、途中『糸数城跡』の行先表示板を見てふと思うことがあり、再び路線を外れます。

そして到着したのは『糸数アブチラガマ』。昨年2月に壕内見学で訪れた場所ではあるのですが、以前南城市役所大里庁舎隣の大里農村環境改善センターに置かれていた『大里の大砲(加農砲)』が平成28(2016)年3月に移設されたとの情報を確認するためでした。戦中に使われていた『平川壕』を破壊し、約60年の眠りから覚めたこの八九式十五糎加農砲は埋没時にともに壕内に残された兵士の遺骨収集にも繋がっています。そして同じ場所に保存されていた九四式三十七粍砲、なぜこれが一緒に展示されていたのか?その理由はわかりません。また旧佐敷町で発見され、南城市老人福祉センターで展示されていた93式酸素魚雷も同じ場所に於いて展示されています。新しく移設情報を付け加えた説明板が建立されていました。また一年四カ月ぶりの再会となった八九式十五糎加農砲、大里農村環境改善センター前に置かれている時には、長年放置されていたこともあり『赤サビ塗れ』になっていたものが、モノの見事に『靖国神社の展示品』と同じカラーリングがされていました。しかし一目見るだけで明らかに『手抜き塗装』だとわかるのは、保存という概念はあまりないのではと思わざるを得ませんでした。また説明もなく盗難防止のチェーンが掛かった状態でちょこんと置かれている『九四式三七糎砲(速射砲)』も大里農村環境改善センター前に置かれていた時と変わりません。なにかで読んだ記憶があるのですが、これも平川壕を取り壊した際に壕内から出土したものだったと言われています。そして旧佐敷町で見つかった『九三式酸素魚雷』は、津波古にあった≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之参~三日日:本島南部再訪編~

一年間の沈黙の期間を経て実現した今回の来沖。エアーチケットとレンタカー・常宿の手配は1月の半ばには済ませています。しかしその後『資格試験』や『合格祈願』、そして『お礼参り』に加えて『戦争を辿る旅』にかまけていた結果、6月初旬まで計画を見直すことすら出来ませんでした。結果いつもながらではありますが『Special No Planの旅』で出かけることに…。足の向くまま気の向くままで恩納村から北上し、名護市内をドライブしてから八重岳経由で本部町へと向かいます。僅かな時間で美ら海水族館を巡り、再び時間切れで訪れることができなかった『伊江島』の景色だけを堪能し、今回の旅最長の約100kmの移動を無事クリア。本島の常宿のひとつである奥武島の『ゲストハウスりゅうかく』に到着したのはチェックインギリギリの22:45…。ゆっくりしたいけどゆっくり『できない』行程で3回目の宿泊となりました。そして旅3日目の朝を迎えます。異例の日前日の今日、宿替えの移動は大したことはないのですが、明日に繋がるイベント見学が夜に待ち構えています。さぁどんな一日になったのでしょうか?

平成29(2017)年6月22木曜日
ゲストハウスりゅうかく 12:55 《0.0km・0.0km・169.0km・0.0km/h》
奥武島休憩所 12:57  《0.3km・0.3km・169.3km・9.0km/h》
       13:15
奥武簡易郵便局 13:17 《0.8km・1.1km・170.1km・24.0km/h》
        13:22
百名簡易郵便局 13:30 《4.3km・5.4km・175.5km・32.3km/h》
        13:37
親慶原簡易郵便局 13:42 《2.4km・7.8km・177.9km・28.8km/h》
         14:11
津波古簡易郵便局 14:19 《3.8km・11.6km・181.7km・28.5km/h》
         14:35
与那原郵便局 14:38 《2.5km・14.1km・184.2km・50.0km/h》14.1
       14:51
西原我謝郵便局 14:56 《2.2m・16.3km・186.4km・26.4km/h》 16.3
        15:00
西原郵便局 15:05 《1.8km・18.1km・188.2km・21.6km/h》 18.1
      15:12
琉球大学病院内簡易郵便局 15:18 《3.0km・21.1km・191.2km・30.0km/h》
             15:40
西原坂田郵便局 15:52 《2.1km・23.2km・193.3km・10.5km/h》
        16:03
サンエー西原シティ店 16:15 《4.1km・27.3km・197.4km・20.5km/h》
           18:52
糸数アブチラガマ 19:23 《14.6km・41.9km・212.0km・28.3km/h》
         19:37
平和祈念公園 19:51 《9.8km・51.7km・221.8km・42.0km/h》
       20:30
みん宿ヤポネシア 20:34 《2.4km・54.1km・224.2km・36.0km/h》
《12.5km・66.6km・236.7km・0.0km/h》

3日目の朝も目覚ましなしで起きられました。8:00に朝食をお願いしておいたのでそれに合わせて行動します。まずは寝起きの一服。仕事の朝とは違い『義務感』で吸うという感じはありません。元喫煙者のおじぃにも『ヘビーですね♪』なんて言われちゃいます。でも事実なので仕方がありません(笑)。同宿の台湾&カナダのカップルさんと食堂で顔を合わせます。『?胃早』と口を滑らせてしまったのは、完全にガードを緩めている証拠です♪

見慣れてはいるけどやはり内容は違うご自慢の朝食を頂いてから、荷物をまとめます。同宿さんたちはこのゲストハウスに二泊するためだけに台湾から来沖し、今日帰るとのこと。とにかく何事にも前向きなおじぃとおばぁ、増え続ける外国人観光客のために今度はハングルを勉強中とのこと、本当に頭が下がります。そしてこういう人柄が訪れたものの『口コミ』となって、その口コミに触発された観光客が訪れる『正の連鎖』が続き、集客も年々増えてきているとのことでした。素晴らしい宿と紹介した私にとっても嬉しい限りではあるのですが、泊まりに来るときはできれば泊めてね~♪なんていう冗談も交えながらちょっぴり寂しい気持ちにもなりました…。

このゲストハウスりゅうかくを利用する理由は勿論おじぃとおばぁに会うためなのですが、実はもうひとつ忘れてはならないものがあります。看板犬『銀次』、前回宿泊したときにも何枚も写真を載せたのですが、じつは今回それができませんでした…。今年1月に出て行った切り帰ってきていないそうです。犬は最後を見せずに消えてしまうこともありますが、どうなのでしょうか…。ご夫婦も最初はそのうちに帰ってくるだろうと思っていたそうですがそれっきりになってしまったそうです。一周1.7kmの奥武島ゆえ、すぐに見つかるだろう…それから早や5ヶ月が過ぎてしまっています。でもこの『銀』、結構『男』であり、東京在住の頃には、コンビニで繋がれて待っているときに『髪の長いお姉さん』に尻尾を振ってついて行ってしまったことがあるそうです。女性に弱い『銀』ゆえ、てんぷらを買いに来たどこぞのお姉さんに連れて帰って貰って、何食わぬ顔で『看板犬』を演じているんじゃないかとおじい・おばぁそして私とでしみじみ語り合ってしまいました。こんな話に乗っかる一旅行客も如何なものか?と思われるのかも知れません。しかし『銀次』目当てに韓国から子供がやってくる『実話』もあり、少数限定の話題にはなるもののこれが宿の『強味』でもあることがわかります。いつもそうなのですが、本当に話し始めると話題が途切れないおじぃとおばぁ。今回も時間が過ぎるのを完全に忘れてしまい、気付いたらお昼を回っていました。1年前の出発時には『いつ来るかわからないけど、さよならも言わないよ!』の言葉を残しました。自分自身もまさか1年あいてしまうことは考えてもいませんでしたが、今回も同じような言葉を残していきます。『いつ来るかわからないけど、部屋が空いているときにやって来ます』と。

いつもながら名残惜しいのですが、ヒマな私と違って仕事の邪魔することも悪いので出発することにします。どこかで『銀ちゃん』に会えるんでは…という気持ちと共に…。そしておじぃとおばぁに見送られて、周回道路を走って行きます。途中奥武島最南端の場所にある『休憩施設』に立ち寄り、一服をしながら今日の行程をさっと作ろうとしましたが…思うようなルートが得られず、結局No Planのままで出発します。

少し走ると車道に停車する車と群れを成す人間の姿が見られます。大城てんぷら店、奥武島というと『てんぷら』が有名ですが、島入り口付近にある『仲本てんぷら店』とここ『大城てんぷら店』があります。どちらもだいたい11:00頃からの開店であり、なかなか立ち寄ることもないのですが、初めて今回オープンしている時間に遭遇しました。しか~しあの『人の列』はどうも近付く気になりません。そうこうしているうちに時間は経過するので、また次回のミッションとして先を急ぐことにします。そして進むこと数分で本日最初の立ち寄り地である『奥武簡易郵便局』に到着します。

この奥武島簡易郵便局には何回か訪れてはいるのですが、ATMがないので旅行貯金ができませんでした。そこで今回初めて局内へと入ります。一般の住宅を改造したっぽい簡易郵便局の造りは他の簡易郵便局と大差はありません。そして念願の局印が押された通帳を受け取り、次の目的地へと向かいます。

そして奥武島を後にして、国道331号線を南東へと進んで県道へと入った場所にある『百名簡易郵便局』に到着します。ザ・簡易郵便局といっても過言ではない百名簡易郵便局は『お店』が併設されています。そういった場合『お店』側に声を掛けることが多いのですが、今回は局内におられました。旅行貯金を済ませるとミッションは終了なのですが、この『百名』という集落は、知る人ぞ知る有名な場所でもあります。南城市で宿泊先を探すと必ず検索に引っ掛かる『百名伽藍』というホテルがあります。1泊RCが70,000円/1人ととんでもないプライスが目に入ります。リゾートに泊まろうという気持ちがない私ですが、何となくこの百名伽藍にはいつか宿泊してみたいな…なんていう思いもありました(笑)。

という訳で先へと進みます。琉球ゴルフ倶楽部隣にある『親慶原簡易郵便局』、こちらへは昨年2月に立ち寄っていますが、やはりATMがないため、旅行貯金はしていません。そのために再訪となりました。前回立ち寄った時には『CoCoストア』が目印なんて言っていましたが、ファミリーマートによる吸収のこともあるのか既に閉店されていました。その分目立つようになった親慶原簡易郵便局にて再び旅行貯金をして旅を続けます。

南城市の内陸部から海側へと向かって走り『津波古簡易郵便局』。この辺りは元々の佐敷町だったところですが、平成18(2006)年の大合併によって南城市ができてそこに吸収をされ、現在に至っています。そういった理由もありヒトコトに南城市といってもかなりの広さがあります。取りあえず『後戻り』をしないルートで走っているため、津波古局を南城市最後にして、与那原町へと向かいます。そしてやってきたのは『与那原郵便局』。島尻郡与那原町唯一の郵便局になります。ただ人も多く若干の待ち時間が生じたのは仕方がありません。とにかく用事を済ませて再び車を走らせます。

徐々に残り時間も減っていく中で西原町へと入り『西原我謝郵便局』『西原郵便局』『琉球大学病院内簡易郵便局』『西原坂田郵便局』まででタイムアップとなりました。1日9局はおやじ殿の付き合いに比べると格段に少ないのですが、あくまで『道沿い』に走っていて見つけた局に立ち寄っているため、効率では比較できるわけがありません(笑)。

西原坂田局を出て、これまたほぼ必ず訪れている『サンエー西原シティ店』へとやって来ました。お土産の購入は今回はしませんが、フィルムカメラで撮影した『ネガ』の現像とデータ化をパレットプラザサンエー西原シティ店にて頼む理由のためになります。デジタル化の時代にあえてフィルムを使う理由があるのか…と聞かれると返答に困りますが、同一シーンの撮影には、オートで撮影データを調節してしまうコンデジよりも『それらしく』写る特徴をとりたいと考えた結果です。ただネットでは結構安くできるものではありますが、店舗では27枚撮り1本現像とデータ化で1,200円ほどかかります。経済的ではありませんが、昨日撮影した『戦跡』の写真を確認したいため、出向いてきました。

3~40分で出来上がるとのこと。ならばということで遅い昼食を摂ることにします。店内のピザハットに立ち寄り『ポテマヨソーセージピッツアとコーラ』をオーダーします。グルメでない私にとって、手軽に食べられる『ファーストフード』は利便性が高いです(笑)。食べ終わってパレットプラザに立ち寄ってネガを受け取ります。フィルムならではの露出アンダー気味の写真ゆえ画像修正をしないとということとなり家で処理することにします。

結局なんだかんだとウィンドーショッピング(古っ)して19:00前となり、平和祈念公園の『慰霊の日前夜祭』を見学して、本日の宿であるみん宿ヤポネシアへと向かうルートに出発しますが、途中『糸数城跡』の行先表示板を見てふと思うことがあり、再び路線を外れます。

そして到着したのは『糸数アブチラガマ』。昨年2月に壕内見学で訪れた場所ではあるのですが、以前南城市役所大里庁舎隣の大里農村環境改善センターに置かれていた『大里の大砲(加農砲)』が平成28(2016)年3月に移設されたとの情報を確認するためでした。戦中に使われていた『平川壕』を破壊し、約60年の眠りから覚めたこの八九式十五糎加農、埋没時にともに壕内に残された兵士の遺骨収集にも繋がっています。そして同じ場所に保存されていた九四式三十七粍砲、なぜこれが一緒に展示されていたのか?その理由はわかりません。また旧佐敷町で発見され、南城市老人福祉センターで展示されていた93式酸素魚雷も同じ場所に於いて展示されています。

新しい説明板には移設記録を付加したものとなっており、大里農村環境改善センター前に置かれていた時には放置され『赤サビ塗れ』になっていたものが、一応『靖国神社仕様』のものに合わせたカラーリングが施されていました。しかし一目見るだけでも『塗装の雑さ』がわかるものは、到底劣化を防ぐためという意図ではないと感じます。また説明板もなく盗難防止のチェーンが掛かっている『九四式三七糎砲(速射砲)』は、由来すらわからないとは書かれていますが、確か平川壕を取り壊した時には加農砲とともに出土したものと聞いています。沖縄戦の『秘密兵器』のひとつと言われる二門の加農砲。平川壕が攻撃された際に壕とともに埋没し、一門は掘り出されて砲兵隊と運命をともにしました。幾度か展示場所を変えながら、今は靖国神社に奉納されています。それに対しこの『大里の大砲』は掘り出すことすら断念され、約60年もの間地中に埋まっていました。しかし掘り出されるも10年以上展示という『放置』がされていました。また旧佐敷町津波古の射堡(しゃほ:陸上から魚雷を発射するための基地)跡から平成3(1991)年5月に発見された8本のうちの1本になります。この一本は佐敷町が、二本は沖縄県が所有し、残り五本はスクラップとなりました。その後佐敷町は南城市となり、佐敷老人福祉センター敷地内に於いてやはり『展示』という名の『放置』がされていました。その取り扱いを巡っては賛否両論ありなかなか話が進まない結果となりますが、さすがに『放置』による『劣化』があまりにも酷かった事実が移設に繋がってはいるようです。

しかしこの『九三式酸素魚雷』あまりにも不自然なところがありました。弾頭と信管が外されていたのは掘り出された時の話ですが、佐敷老人福祉センター敷地内にあったものは錆びによって動力部の鉄板がぼろぼろになっています。もちろん修復と塗装作業時に修復は行っているにしろ、どうも上手く繋がっていないように見えて仕方がありません。おそらくこの動力部は『九三式酸素魚雷』のものではなく、他のものの動力部分を持ってきて、内部が見えるようにして飾ってあるのでしょう。この『九三式酸素魚雷』に人を乗せたものが『回天』であり、回天の模型はヤマトミュージアムや回天記念館等で見ることができるため、動力部を写真で見比べて見ると・・・わかりました。九三式酸素魚雷には横型並列ニ気筒のレシプロピストン機関が用いられているのに対し、今目の前にあるものは放射状になっていることから星型四気筒機関のものだと思われます。屋内と屋外で保存するには大いなる違いが生じますが、かといってジグソーパズルのように組み立てれば良いというものでもありません。既存の姿を知っていればキレイに修復できる『はず』がないことは一目瞭然ですが、沖縄戦の『負の遺跡』として残すには意味があるのでしょうか?

以前に比べると『安住の地』を確保したようにも見えますが、その背景にあるにある『作為的な要素』には憤りを感じずにはいられません。移設されてどのようになったかを確認するのが目的でしたが、なんとなく『煮え切らない気持ち』だけが残った再会でした。

iPhoneのカメラは優秀過ぎて『明るさ』を調節してくれるためわかり辛いのですが、既に時刻は19:30を過ぎ、西の沖縄でもさすがに夜の帳に支配される時間になりました。沖縄県道48号線から何度となく通っている『奥武入口交差点』から国道331号線を西進し、八重瀬町具志頭を経由して15分程で平和祈念公園へと到着します。

3年連続慰霊の日を沖縄で過ごすこととなり、明日6月23日はいつも場所場所で行われている『慰霊祭』の『巡り方』に頭を悩ませていますが、前日夜の6月22日は『沖縄戦全戦没者追悼式前夜祭』と称する『光の祭典』がここ沖縄県営平和祈念公園にて行われています。展開としては例年と大差ないものが繰り返し行われているだけに過ぎませんが、その『かわり映え』がないことがやはり前夜祭の『コンセプト』だと勝手に思って訪れています。明日の式典会場は、摩文仁の丘を背景とした『平和の丘』をバックにした『式典広場』。その直線上には『エントランス広場』の『時計塔』、そして『平和祈念堂』が並んでいます。前夜祭だから訪れる方もそれ程いないのでは…ということが言われているようですが、そんなことはありません。車を停めるのにも結構時間を要します。ただ式典当日とは違って『散歩』的に楽しんでおられる方が多いので、ひとつの場所に人が群がっているわけではありません。それに加えて『かわり映えのない展開』であれば、写真で切り取ったとしてもそれ程変わらない『はず』なのですが、今年は何となくしっくりこない…。最初はなぜかわからなかったのですが、どうやらキャンドルサービスで作り出されている『平和』の文字の『位置』がズレているみたいです。元々この『平和』の文字が作り出されている場所は、高さのある『平和祈念堂』から色々なやり方を用いてメディアの『表紙』を飾る写真が撮られています。しかし今回はその距離があり過ぎてまともな『写真』が撮れない様子。そのため手持ちの脚立とかを使いながら、アングルを変えて撮影したものをパソコンで逐一確認しているもののうまくいかないようでした。

ちなみに式典の時もそうなのですが、『報道』と書かれた『腕章』が『葵の御紋』のごとく、人前に割り込んで視界を遮るマナーの悪さは一部で問題視されているにも関わらず、そのことを自社の『記事』にすることが自らの首を絞めるかの如く考えている沖縄の新聞社が実在します。都合の悪いことを記事にせず自分たちの行為が『報道の自由』に基づいた当たり前の『権利』だと話をすり替える人達に『作為的なもの』がないとは到底思えません。そんな輩が準備不足で『写真が撮れない』ためアタフタしている姿を見て、胸がスカッとしたのは私だけでしょうか(笑)。

まぁどうせイチアマチュアカメラマンの一人である私には、『日記』の題材として使える『写真』があればそれだけでいいので、平和の文字とキャンドルの火とライトアップに映える『平和祈念堂』の写真が撮れればそれでOKですから♪ただ三回目にして初めて分かった『光の祭典』もありました。上空に向かって真っすぐに伸びている『光の柱』。これは『平和の礎』の中心である『平和の火』。それを取り囲むように光源が置かれ、上空に向かって『光の柱』を作っているということです。今回は偶々雲がそれほど高くない位置にあったため、そこに投射されている『光の点』が確認できたことによるのが理由でした。上空で収束するように投光されているものは、別に沖縄に限らず全国で見ることはできますが、やはり『慰霊の日前夜祭』でのものであるから『特別』なものに見えてしまうのは事実でしょう。ただこの『慰霊の日前夜祭』の取り組みには是非論があるようで、夜空を照らす『投光』が、船舶の乗員をされておられた方にとって『探照灯』を思わせるのではないか?元々何のコンセプトでお金を使うのか?などという『手厳しい意見』があるのも事実です。これは私自身の考えですが、慰霊碑や慰霊塔・組織に於ける慰霊祭に参列される人数と、沖縄戦全戦没者追悼式典に参列される人数とは比較ができるものではありません。小規模の慰霊祭に於いて往時を髣髴されるものを行えば、多くの参列者がその惨劇を思い出してしまうことによって『フラッシュバック』を起こし、式典どころではなくなるのは容易に想像ができます。しかし数万の観光客を含む参列者が集う全戦没者追悼式では、戦争を直接知らない者が自ら考えた『やり方』で『慰霊』を行い、それが参列者を集めることに結果として繋がっているのであれば、それはそれで理には適っているように思います。結局のところ、大仕掛けのものに対して納得がいかないのであれば参加しなければ良いだけのことであり、それをただ『憶測論』だけで批判するのは如何なものか…と思えてなりません。

個々が考えて行っている慰霊の仕方があり、結果として参列者から異論が出ないものであるならばそれはひとつの『慰霊の方法』になることは今更言うことでもありません。しかしその『慰霊式典』に於いて『人が集まる』ことを利用して『政治的利用』を考える不届き者に対し、『慰霊の気持ち』があるのかどうなのかの真意を聞く必要があることは、3年間毎年言い続けてきました。使えるものは何でも使えの号令の下に『作為的』な手法を用いて『抗議活動』を続けていると『自慢げ』にマスコミに語っている者が今年もいたようです。真の慰霊の気持ちを持てない『馬鹿者達』に何を言っても始まりません。色々と勉強になることも多いのですが、その反面『作為的』に行われているものがどんどんエスカレートしている現実もあります。これも時代の流れなのでしょうか…。そんな残念な気持ちにも駆られて、今日一日のアクティビティーを終えることにします。

20:30となるもかなりの人々がいる平和祈念公園を後にして、本日の宿である糸満市大度のみん宿yapoksへと向かいます。この3年間の6月22日は必ず泊まっていることにも気付きます。平和祈念公園から2.0km程、大度交差点から海側へと走り道沿いに真っすぐ走ると見慣れた建物が…。20:34無事みん宿ヤポネシアに到着します。前夜祭に立ち寄ってから来るので21:00前後の到着が殆どです。今年も遅くてゴメンチャイ…。

到着時間のこともあり、さっそく夕ご飯です。ボリューミーではありませんが、庭で取れた作物をふんだんに取り入れた『品の良い』お食事は、ヤポネシアならではです♪おいしく頂いてから宿内を探索します(笑)。といっても5回目で7泊目となる『みん宿ヤポネシア』、変な話知り尽くしています(笑)。4部屋ある客室にはすべて泊まったことがあり、あくまで旅行記の記録のために写真を撮っています。3年連続6月22日の宿泊になったこの日、1年ぶりの方もおられたりと、定宿者の集い化している面白さもありました。4人の宿泊者はすべて1人旅で、国内色々な場所から色々な想いを持って来られた方ばかりの『濃い~面々』でした。あ、勿論私もその一人ですが…(笑)。

今回は入り口から数えて二部屋目の洋風二段ベットのお部屋が二泊の寝床です。以前も泊まったことがありますが、ソファーベットも置かれているので、3名定員でも行けそうです。とにかく荷物を降ろして一服し、情報交換の場に挑みます。今回は『No Plan』の旅ゆえ、仕入れる『ネタ』が多いようには思っていましたが、さすがに3回目ともなると個々の慰霊碑に於ける『慰霊祭情報』等は『情報提供者』となる立場になったようです。朝〇〇時頃から人が集まるなどという情報は、webで調べてもウケない内容としてメディアが取り上げない情報でもある事実もあるという理由もあったようなので…。結局は人それぞれ『バス』『タクシー』『レンタカー+シャトルバス』と言った自分なりの交通手段を取って、沖縄中で行われる『慰霊祭』に参列することが決まり、消灯時間23:00を持って解散し、翌日へと備えることになります。ただ普段から行動時間が遅いたかティムさんは、消灯時間が過ぎてからシャワーを浴びることが既に知られており、今回も『終いシャワー』を浴びて、やっと翌日計画時間と相成ります。

旅3日目の今日は結局『No Plan』の旅そのもので、時にどこに行く訳でもなく、ドライブしながら『郵便局巡り』をしていたに過ぎません。まぁそれゆえドライブルートにある史跡にふと立ち寄ったりできることがメリットなので、明日もこのパターンでいくことにします。そう思うと別に『どこへ行く』といった具体的な行程を組む必要がないこともあり、体力が落ちている状態を少しでも回復すべく横になります。Wi-Fi接続専用のタブレットで『新たな情報』を仕入れようと頑張っているうちに記憶が遠のいて行きます…。そんな感じで旅4日目にして、今回の旅の『メインイベント』である『慰霊の日』を迎えることになりますzzz。そして時間は静かに流れて行きました…。

《次編に続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

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  • ゲストハウスりゅうかくを出て、いつも立ち寄る奥武島最南端の休憩所。

    ゲストハウスりゅうかくを出て、いつも立ち寄る奥武島最南端の休憩所。

  • 旅行貯金1局目は奥武島簡易郵便局。<br /><br />奥武簡易(おくたけかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】<br />〒901-0614 沖縄県南城市玉城奥武1-3<br />TEL:098-948-7642

    旅行貯金1局目は奥武島簡易郵便局。

    奥武簡易(おくたけかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】
    〒901-0614 沖縄県南城市玉城奥武1-3
    TEL:098-948-7642

  • 2局目は百名簡易郵便局。<br /><br />百名簡易(ひゃくなかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】<br />〒901-0603 沖縄県南城市玉城百名535 <br />TEL:098-948-2650<br />

    2局目は百名簡易郵便局。

    百名簡易(ひゃくなかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】
    〒901-0603 沖縄県南城市玉城百名535
    TEL:098-948-2650

  • 3局目は親慶原簡易郵便局。<br /><br />親慶原(おやけばるかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】<br />〒901-0602 沖縄県南城市玉城仲村渠1255 <br />TEL:098-948-7687<br />

    3局目は親慶原簡易郵便局。

    親慶原(おやけばるかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】
    〒901-0602 沖縄県南城市玉城仲村渠1255
    TEL:098-948-7687

  • 4局目は津波古簡易郵便局。<br /><br />津波古簡易(つはこかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】<br />〒901-1414 沖縄県南城市佐敷津波古396 <br />TEL:098-947-1050

    4局目は津波古簡易郵便局。

    津波古簡易(つはこかんい)郵便局【ATMなし:平日窓口のみ】
    〒901-1414 沖縄県南城市佐敷津波古396
    TEL:098-947-1050

  • 5局目与那原郵便局。<br /><br />与那原(よなばる)郵便局【ATMホリデーサービス実施店】<br />〒901-1303 沖縄県島尻郡与那原町与那原3823<br />TEL:098-946-2031<br />

    5局目与那原郵便局。

    与那原(よなばる)郵便局【ATMホリデーサービス実施店】
    〒901-1303 沖縄県島尻郡与那原町与那原3823
    TEL:098-946-2031

  • 6局目は西原我謝郵便局。<br /><br />西原我謝(にしはらがじゃ)郵便局【ATM土曜日稼働店】<br />〒903-0112 沖縄県中頭郡西原町我謝707-2<br />TEL:098-946-4673<br />

    6局目は西原我謝郵便局。

    西原我謝(にしはらがじゃ)郵便局【ATM土曜日稼働店】
    〒903-0112 沖縄県中頭郡西原町我謝707-2
    TEL:098-946-4673

  • 7局目は西原郵便局。<br /><br />西原(にしはら)郵便局【ATMホリデーサービス実施店】<br />〒903-0122 沖縄県中頭郡西原町小橋川98 <br />TEL:098-945-5309<br />

    7局目は西原郵便局。

    西原(にしはら)郵便局【ATMホリデーサービス実施店】
    〒903-0122 沖縄県中頭郡西原町小橋川98
    TEL:098-945-5309

  • 8局目は琉球大学病院内簡易郵便局。<br /><br />琉球大学病院内簡易(りゅうきゅうだいがくびょういんないかんい)郵便局【ATM平日のみ】<br />〒903-0125 沖縄県中頭郡西原町上原207 <br />TEL:098-895-3331

    8局目は琉球大学病院内簡易郵便局。

    琉球大学病院内簡易(りゅうきゅうだいがくびょういんないかんい)郵便局【ATM平日のみ】
    〒903-0125 沖縄県中頭郡西原町上原207
    TEL:098-895-3331

  • ラストの9局目は西原坂田郵便局。<br /><br />西原坂田(にしはらさかた)郵便局【ATM土曜日稼働店】<br />〒903-0117 沖縄県中頭郡西原町翁長523-1<br />TEL:098-946-5894

    ラストの9局目は西原坂田郵便局。

    西原坂田(にしはらさかた)郵便局【ATM土曜日稼働店】
    〒903-0117 沖縄県中頭郡西原町翁長523-1
    TEL:098-946-5894

  • サンエー西原シティ店へとやってきました。<br /><br />フィルム現像とデータ化、そして食事をとるためになります♪

    サンエー西原シティ店へとやってきました。

    フィルム現像とデータ化、そして食事をとるためになります♪

    サンエー (西原シティ店) スーパー・コンビニ・量販店

  • パレットプラザでフィルム現像とデータ化をお願いしている間に軽食を摂るために店内のピザハットに向かいます♪<br /><br />パレットプラザ西原シティ店<br />〒903-0102 沖縄県中頭郡西原町字嘉手苅130番地 西原シティ1階<br />TEL:098-882-9107<br />http://plazacreate.net/shopsearch/_palette/

    パレットプラザでフィルム現像とデータ化をお願いしている間に軽食を摂るために店内のピザハットに向かいます♪

    パレットプラザ西原シティ店
    〒903-0102 沖縄県中頭郡西原町字嘉手苅130番地 西原シティ1階
    TEL:098-882-9107
    http://plazacreate.net/shopsearch/_palette/

  • ポテマヨソーセージピッツアとコーラ♪

    ポテマヨソーセージピッツアとコーラ♪

  • (A)西原から平和祈念公園へと向かう途中、ふと思い出したことがあり糸数アブチラガマにやって来ました。

    (A)西原から平和祈念公園へと向かう途中、ふと思い出したことがあり糸数アブチラガマにやって来ました。

  • 元々別の場所に展示されていた『日本海軍93式魚雷』と『89式十五糎加農砲』。

    元々別の場所に展示されていた『日本海軍93式魚雷』と『89式十五糎加農砲』。

  • (A)八九式十五糎加農砲は、最大射程18,100mというものでした。

    (A)八九式十五糎加農砲は、最大射程18,100mというものでした。

  • (A)ただ一発撃つと…。

    (A)ただ一発撃つと…。

  • 発射場所がわかってしまい…。

    発射場所がわかってしまい…。

  • (A)猛反撃を受けたといいます…。

    (A)猛反撃を受けたといいます…。

  • (A)『砲身車』と『砲架車』の大きさがわかるでしょうか…。

    (A)『砲身車』と『砲架車』の大きさがわかるでしょうか…。

  • これは書かれていませんが『九四式三十七粍砲(速射砲)』ですね。

    これは書かれていませんが『九四式三十七粍砲(速射砲)』ですね。

  • (A)九三式魚雷とは書かれていますが…ちょっと違うような気がします。

    (A)九三式魚雷とは書かれていますが…ちょっと違うような気がします。

  • (A)動力部が前に見たものとは違うような…。

    (A)動力部が前に見たものとは違うような…。

  • これを改造したものが人間特攻兵器『回天』だったことを知らないのは寂しい…。

    これを改造したものが人間特攻兵器『回天』だったことを知らないのは寂しい…。

  • (A)でもこんな時間に来るところではないようにも思います…。

    (A)でもこんな時間に来るところではないようにも思います…。

  • でも次にいつ来れるかわからないなら『行くべし』でしょうね…。<br /><br />※この章の(A)と書かれている写真はフィルム写真をデーター化しました。データ化にご協力頂いたのは…<br />有限会社カメラの太陽堂<br />〒022-0003岩手県大船渡市盛町字内ノ目2-9<br />TEL:0192-26-3836<br />https://auctions.yahoo.co.jp/seller/macsun<br /><br />フィルム現像+データ化…350円<br />フィルム現像+Lサイズプリント…490円<br />フィルム現像+データ化+Lサイズプリント…590円<br />フィルム現像+データ化+KGサイズプリント…790円<br />と腕は良いが廉価でされています。ありがとうございました!!

    でも次にいつ来れるかわからないなら『行くべし』でしょうね…。

    ※この章の(A)と書かれている写真はフィルム写真をデーター化しました。データ化にご協力頂いたのは…
    有限会社カメラの太陽堂
    〒022-0003岩手県大船渡市盛町字内ノ目2-9
    TEL:0192-26-3836
    https://auctions.yahoo.co.jp/seller/macsun

    フィルム現像+データ化…350円
    フィルム現像+Lサイズプリント…490円
    フィルム現像+データ化+Lサイズプリント…590円
    フィルム現像+データ化+KGサイズプリント…790円
    と腕は良いが廉価でされています。ありがとうございました!!

  • 平和祈念公園へとやって来ました。『平和の灯火』を見に来ていますが、何かがおかしい???

    平和祈念公園へとやって来ました。『平和の灯火』を見に来ていますが、何かがおかしい???

  • 実は文字の位置が例年と違うようでした。当日現場に来るまでそのことを知らなかった馬鹿なマスコミ取材陣が、脚立を立てたまま『アングル』をパソコンで考えている姿は滑稽以外何ものでもありませんでした(爆)!!

    実は文字の位置が例年と違うようでした。当日現場に来るまでそのことを知らなかった馬鹿なマスコミ取材陣が、脚立を立てたまま『アングル』をパソコンで考えている姿は滑稽以外何ものでもありませんでした(爆)!!

  • いつも見かけてはいたけどよくわからなかったものひとつ…。

    いつも見かけてはいたけどよくわからなかったものひとつ…。

  • 今日は雲があったのでわかりましたが…。

    今日は雲があったのでわかりましたが…。

  • 平和の火の周辺からレーザーを上空へ向けて発射していました。※翌日判明。

    平和の火の周辺からレーザーを上空へ向けて発射していました。※翌日判明。

  • 見慣れたこの景色が一番しっくりくるように思います。

    見慣れたこの景色が一番しっくりくるように思います。

  • 20:34にみん宿ヤポネシアに到着しました。いつものことながら遅い到着です…。

    20:34にみん宿ヤポネシアに到着しました。いつものことながら遅い到着です…。

  • 本日6月22日は例年満員御礼だそうです♪<br /><br />そういえば3年間ずっとそうだったな…。

    本日6月22日は例年満員御礼だそうです♪

    そういえば3年間ずっとそうだったな…。

    みん宿ヤポネシア 宿・ホテル

  • 時間が時間なのですぐに夕食です♪

    時間が時間なのですぐに夕食です♪

    みん宿ヤポネシア 宿・ホテル

  • 今夜の宿は手前から二部屋目の二段ベッドルームです。<br /><br />勿論泊まったことはありますねぇ!

    今夜の宿は手前から二部屋目の二段ベッドルームです。

    勿論泊まったことはありますねぇ!

    みん宿ヤポネシア 宿・ホテル

  • こんな感じです♪

    こんな感じです♪

    みん宿ヤポネシア 宿・ホテル

  • もうひとり泊まろうと思えば泊まれるようです。

    もうひとり泊まろうと思えば泊まれるようです。

    みん宿ヤポネシア 宿・ホテル

  • あっという間に朝が来ました。<br /><br />ご自慢の朝食を頂いて出発します♪

    あっという間に朝が来ました。

    ご自慢の朝食を頂いて出発します♪

    みん宿ヤポネシア 宿・ホテル

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