2016/05/04 - 2016/05/04
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ミズ旅撮る人さん
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九州周遊SL探訪の旅で、福岡県北部のSLを訪ねます。
最初は北九州市若松区、筑豊本線の終点若松駅、ここに9600がいます。
次は、遠賀郡芦屋町の高浜町公園、数少ないD60がいます。
3番目は、遠賀総合沿道公園、8620がいます。4番目は、中間市垣生公園、C11です。
最後に直方市の石炭記念館のC11とコッペル、いこいの村のD51を訪ねます。
福岡最後の回は、盛りだくさんです。この後は、関門海峡を渡って山口県に入ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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北九州市若松区へは、洞海湾を若戸大橋で渡って行きます。海が細く長く切り込んでいるので、島か半島かという感じです。
筑豊本線の終点、若松駅は若戸大橋のすぐそばにあります。 -
ずいぶんと引っ込んだ場所に設置されていますが、若松駅操車場跡です。
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「明治24年8月若松駅開業と同時に、石炭車入換のため操車場がこの地に設けられました。
その後港の奥3kmに至る岸壁沿い42万㎡の鉄道用地に、35万㎡の操車場ほか機関区・客貨車区・鉄道工場・保線区等の機関が設けられ、1,500人の職員を擁して日本の近代化を支える筑豊炭の港頭輸送が図られました。
操車場では昼夜の作業が行われ、最盛期には年間1,000万tの石炭が到着後船積みされ旧国鉄時代には常に日本一の貨物取扱駅操車場となりました。
ここはその旧国鉄職員の辛苦と栄光の歴史を刻んだ操車場東端の跡地であります。」 -
操車場は東西3kmにも及ぶ長いものだったようで、その東の端が若松駅の脇に当たります。
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19633。大正6年12月20日川崎車両製造。走行距離2,825,836km。昭和48年3月廃車。
この「久岐の浜広場」の看板には「愛称カメ又はクンロク」と書かれていました。「カメ」という愛称は初耳でした。 -
うひゃ~~!と声が出るほどボロボロです。すべての塗装がめくれ上がって悲惨な状態です。
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こんな状態でも、立入禁止の看板と柵で囲っています。盗難よりむしろ老朽化により破損した部品でケガをしないようにということでしょうが、こんな状態のSLで遊ぼうという子供はいないでしょう。
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とても哀れで、近寄りたくない。そんな気分です。
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客車を牽引する花形機関車ではなく、石炭を日夜運んで、もともと汚い機関車だったから、こうなってしまったのかなあ。
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前照灯がないだけで、こんなにも侘しい感じになるものでしょうか。「九州鉄道記念館」で読んだ「スクラップ」の文字が頭に浮かびます。
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次は、遠賀郡芦屋町の高浜町公園のD60です。航空自衛隊芦屋基地のすぐ隣にあります。
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ザーザー降りの雨の中でも、カッコいいお尻がよくわかります。
19633が悲惨な状態だっただけに、なでなでしたくなるほど嬉しいです。 -
これだけ後ろ姿が美しければ、本体は如何ほどか。
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ウワオ!すべてのプレートが完璧に付いている!これは、何者?
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ひゃ~ん、格好いい!うわ~、感激!どうしよう。SL相手に照れまくり。
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D6061。1928年汽車製造。D50282として造られましたが、1954年に浜松工場でD6061として改造されました。
1974年廃車。当初は屋根付きでしたが、台風で破損し、現在は野ざらし状態。早く屋根を復活させて欲しいものです。 -
D6061が、ここまで綺麗な理由、それこそがこの看板です。
直方市の汽車倶楽部の方々が、2カ月に一度、定期保守作業をしてくれているのです。
この汽車倶楽部は、大分県豊後森機関庫の29612をピカピカにした団体です。 -
D60は、「1」が山口市、「27」が福岡県八女市、「46」が福岡県飯塚市にあるだけです。
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そばにある鉄道記念碑には「古来、遠賀川の水運によって栄えた郷土芦屋は、明治中期に筑豊と若松を結ぶ鉄道が開通されると、石炭・物資の輸送が鉄道にとって替わられ以来衰退の一途を辿った。
大正5年に民営の芦屋鉄道が敷設されたが、間もなく廃止された。
戦後本町に米空軍が駐留するところとなり、昭和23年3月10日に米軍基地の物資輸送のため、国鉄芦屋線が開通した。
当初は米軍専用であったが、昭和25年2月10日に一般に開放され、以来郷土の足として町民に親しまれていたが、昭和35年5月31日に廃止されるに至った。この芦屋線は国鉄遠賀川駅から芦屋駅まで約6.2km。この付近は旧芦屋駅跡地に当たる。
戦後の郷土復興の貴重な1頁を飾り、また国鉄の技術革新によって廃車されてゆく蒸気機関車の功績を称え、ここにその雄姿を永久に保存する。 昭和52年3月1日 芦屋町」とあります。(一部記述に不明な点があり、省略しています) -
運転席の横には「立入禁止」の看板もあります。でも、定期保守作業に参加すれば、触れますよ。
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奥のボルトの下に個体番号が見えます。
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楔(くさび)の入った部品の下部と、その下のバー部分。
このSLが「永久に保存する」というのは無理があるにしても、出来る限り長くこの姿を保てることを祈っています。 -
遠賀群遠賀町にある遠賀総合運動公園です。遠賀川に面して、JR遠賀川駅の近くにあります。
遠賀総合運動公園 キャンプ場 キャンプ場
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8620型が屋根の下にいました。良かったね、屋根があって。
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後ろの照明は破損してしまったようです。
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さすがにだいぶ傷んでいます。
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78626。8620型と表示されますが、「ハチロク」と呼ばれます。大正13(1924)年5月2日川崎造船所兵庫工場製造。走行距離2,789,126.9km。昭和49(1974)年5月廃車。
昭和10(1935)年11月、南九州地区における陸軍特別大演習にて総監部の兵員輸送。
昭和20年10月、復員将兵の輸送に従事。昭和21年3月進駐軍輸送に従事。
こんなに軍事面での活用について言及した説明板も珍しいです。 -
SLの向こう側はグラウンド。先ほども学生たちがこの屋根の下で雨宿りをしていました。
一応ロープは張られていますが、厳密な立入禁止ではないようです。 -
運転席はかなり錆と埃で傷んでいます。
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このお釜はもう開かないんだろうなあ。
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お釜の底が抜けていました。
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中間市にある垣生(はぶ)公園です。この地図で「公園広場」と書かれている場所にSLがあります。
垣生公園 公園・植物園
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「公園広場」の一番奥に、押し込められているように、C11があります。
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腕木信号機とともにC11260はあります。
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緑色のナンバープレート。1944年3月日本車輛名古屋工場製造。1974年廃車。
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2013年3月、直方市の汽車倶楽部による修復が完了。
このSLも、汽車倶楽部の定期保守作業を受けています。
ただ、このSLは公園内にあるため、保守作業は正式な会員のみで行っています。 -
汽車倶楽部は、どの機種でも修復できるんですね。
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今回の足回りは塗り固められて、個体番号は見つかりません。
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ボディが輝いています。
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ナンバープレートの緑色は、周りの新緑に合わせているのでしょうか。
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すっきりとした足回り。
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これだけ綺麗に整備されているのだから、是非とも屋根をつけてあげたい。
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こんな奥ではなく、前面に出して、もっと誇りをもって展示して欲しい。かなりもったいないSLでした。
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垣生羅漢百穴(県指定文化財)
垣生(はぶ)公園の位置する丘陵には、6世紀中頃に古墳時代の横穴墓と呼ばれるお墓が作られています。
平成12年度に部分的な発掘調査が行われ、50基の横穴墓が確認されました。 -
垣生公園の中には、こうした羅漢さまや石仏がいっぱいあります。
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石仏は結構いっぱいあります。
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新緑の中、羅漢さまと語らうのもちょっとした心のリフレッシュ。
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直方(のおがた)市の石炭記念館。ここには2両のSLがあります。
JR筑豊本線直方駅、平成筑豊鉄道伊田線の終着駅のすぐ近くです。
石炭記念館のすぐ横には、双方の線路があります。SLに向かって左側の崖下になります。直方市石炭記念館 美術館・博物館
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コッペル32。1925年コッペル製。貝島炭鉱の専用線で使用された。国内のコッペル製機関車では最大級。
前照灯が点灯します。 -
BERLINの文字が読み取れます。一番下にはTOKYO
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コッペル32の足回りですが、Rの下に5桁の数字が散見されます。元は「32」ではなかったのかもしれません。
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こちらは、手前の部品には「R32」とありますが、その下の部品にはやはり5桁の数字(10922)です。
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コッペル32が引いている貨車です。ハートの三つ葉が可愛いです。
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もっと奥に、可愛い車輛が見えます。後で行ってみましょう。
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ドリルとつるはしを持った炭鉱夫たちの銅像と共に「セム1号車」があります。
「この石炭車は明治37年に当時の九州鉄道行橋製作所で製作されたもので、セム第1号という記念すべき石炭車です。製作価格は950円75銭だったと記録されていますが、明治40年国鉄が九州鉄道を買収した時に、同時に国鉄に移管されました。
製作時は9t積でしたが、明治44年には13t積に、昭和9年には15t積と車体の改造を行いましたので、炭箱あたりは昔とは全然違ったものになっているようです。
しかし、昭和37年廃車処分になる迄の58年間に運んだ石炭は、おおよそ15万tにもなるものと推定され、石炭の歴史を車体に刻み込んでいるともいえるようです。」 -
C11131。石炭記念館の前庭にあります。ここに来るには狭いトンネルをくぐって来るのですが、どうやってここに持ってきたのか不思議です。
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C11131。昭和13年2月22日、日本車輛製造。
日豊・松浦・唐津の各線で旅客列車を牽引。昭和16年からは筑豊地区で石炭輸送のため30年間活躍。走行距離130万km。1971年廃車。 -
隣には炭鉱で使われていた機器が点在しています。
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前庭の真ん中に収まっています。
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「蒸気機関車のひとりごと」と書かれた文章が添えられています。
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その他の鉱山の器具。奥は、鉱夫たちを坑道の奥へと運んだトロッコです。
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「平山第一坑」の看板があります。坑道の入り口を飾っていたものでしょう。
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コッペル32の下を走るJR筑豊本線。快速博多行き。およそ1時間で到着です。
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手前のJRの線路と奥の平成筑豊鉄道の線路とは、幅が違います。あちらは狭軌なんですね。
平成筑豊鉄道は、1989年に設立した第3セクターです。
2009年からは、門司港レトロ地区を走る観光線「北九州銀行レトロライン」を運営しています。
また、取締役会長には福岡県知事が、代表取締役社長には田川市長が非常勤として就任しています。
社名の「平成」は、一般公募で名前を選考している最中の昭和64年1月7日に年号が変わり、急遽「平成筑豊」に決定したそうです。 -
平成21年12月14日より一般運行開始「炭都物語号」400型410号です。
石炭の黒をベースにした車体には、かつての「炭都」筑豊の風景を描いたラッピングを施し、車内には炭鉱労働者の生活を描いた山本作兵衛氏の絵画レプリカを展示しています。
他にも「ちくまる号」「日立マクセル号」「ゆめタウン号」貸切列車「へいちく浪漫号」などがあります。
また、「枕木オーナー」「つり革オーナー」「駅名ネーミングライツ」なども実施しています。
列車運転体験が団体申し込みで出来るそうで、「金田駅構内6番線の304号車を運転します。」
平成筑豊鉄道には伊田線の他に糸田線・田川線があります。 -
子供の頃から盆踊りと言えば「炭坑節」。「月が出た出た 月が出た サノヨイヨイ」と書かれると踊りたくてムズムズします。
歌詞にある「三池炭鉱」は15世紀に福岡県三池郡稲荷(とうか)(現、大牟田市大浦町付近)で、石炭が発見されて以来、江戸時代もずっと採掘され、明治になって官営事業となりました。
1888年に三井財閥に落札され、三井三池炭鉱となりました。有明鉱坑内火災事故などもあり、1997年閉山。
2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。 -
「石炭記念館」です。
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「この建物は、日本石炭教会の前々身ともいうべき筑豊石炭鉱業組合の直方会議所として明治43年8月に建てられたもので、現在石炭のとって最も由緒ある建造物の一つであります。
大正11年4月には筑豊石炭鉱業組合救護練習所が設けられ、この場所で本格的な救護訓練も始まり、昭和13年には石炭抗爆発予防試験所もここから発足しました。
現在の規模は敷地4,119㎡、本館287㎡、あとから加えられた別館149㎡、倉庫54㎡となっております。
本館内には模型・絵画・写真・図表など主として人文的資料を、別館には機械器具などを展示してあり、これらが立坑やぐら・蒸気機関車・第一号石炭貨車等とともに「石炭記念館」を構成しております。」 -
記念館の中にある説明書きです。「石炭がなければ、鉄は出来ません」
この一言に、石炭採掘に対する誇りを感じます。 -
石炭からつくられるもの
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炭鉱王の伊藤伝右衛門の写真と略歴です。
数年前、朝の連続テレビ小説「花子とアン」で、仲間由紀恵演じる蓮子が嫁いだ相手として注目されました。世に言う「白蓮事件」です。
テレビでは、引き際の良さが格好いいと好感度が急上昇しました。
でも、本当は再婚相手のスキャンダル事件より、ここにあるように「長年にわたり、石炭産業の発展と日本の復興に尽くした業績は多大である」ことの方が注目されるべきなのでしょう。 -
蛇足ですが、伝右衛門と蓮子がお見合いをしたロケ地は、明治村の帝国ホテルの喫茶室です。
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窓の下におもしろいものが見えます。行ってみましょう。
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「練習坑道の経緯」
「この練習坑道は救護隊員の養成訓練、並びに隊員の練習指導のため、明治45年に建設されたもので、建設当時は長さ約11m断面積297㎡の坑道であったが、練習をさらに効果的に行うため、大正14年に傾斜40度と20度の斜抗(木造)と水平坑道(レンガアーチ巻及び鉄筋コンクリート巻)を設け総延長117.6m断面積約3.5㎡に改築された。 -
坑道内には匍匐(ほふく)訓練用の架橋、高落箇所、煙及びガス発生炉、温度上昇用の暖房3個所と非常口3個所が設けられている。その後、坑道が老朽化したので、昭和41年11月、傾斜40度の木造部分を廃棄し、20度の斜坑はコンクリートアーチ巻坑道に改造され坑道延長117mで今日に至る。
この坑道に煙及び蒸気を通し、坑道内の温度湿度をあげて実戦さながらの練習訓練を行ったものである。」
訓練用坑道は、入り口に柵が設けられ、これより奥には入れません。 -
こちらが斜坑。
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上りきると非常口。
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この辺りで、ガスが充満した時の訓練などをしたのかな。
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SLがなければ立ち寄ることもなかった石炭記念館ですが、思いの外、楽しめました。
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福岡県で訪ねる最後のSLは、直方市にある「いこいの村」のD51です。
直方いこいの村 宿・ホテル
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朝からの暴風雨が治まって、顔を出した太陽に照らされています。
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このところ門鉄デフ(切取式除煙板)のSLが多かったからか、大きなデフに威厳を感じます。
門鉄デフとは「門司鉄道管理局型のデフレクター」のことで、従来の改良型です。
機関区によって、地域に合った形状にしたため、デフの形で所属機関区がわかります。 -
D51225。1939年小倉工場製造。1973年廃車。
この完璧なプレートたち、どこかで見ませんでしたか?そう、このSLも直方市の汽車倶楽部が2006年に修復を行い、現在も2カ月に一度の保守を行っているのです。 -
側面も、周りの緑が反射して色が変わって見えます。
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機関車よりも、白い雲と青空がいい写真になってしまいました。
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左手に見えるのが「いこいの村」の建物です。宿泊施設・レストラン・宴会場・人工ミネラル温泉まで備えています。
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青空と新緑と、本当に気持ちのいい永住の地です。
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この角度だと、逆光になるのですが、彼はこちらから撮る方が威厳があるように見える気がします。
さあ、これで九州のSL探訪は終わりです。福岡県は本当に多いです。まだ、見られなかった車両があるのですから。 -
ガタガタでごめんなさい。関門トンネルです。
関門海峡は高速道路でなければ渡れないと思っていたので、敢えて、国道2号線を走ることにしました。トンネルの入り口は山口県の名産品「ふく(フグ)」なんですね。
それでは、次回は山口県で会いましょう。
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