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壱岐市立一支国博物館<br />2010年3月14日オープンした「一支国博物館」<br />この施設は国の特別史跡である原の辻遺跡の復元整備と連動した展示構成で、<br />遺跡も展示の一部に取り入れたサイトミュージアムです。展示全体を通じて、観るだけでなく体感しながら、感動と発見のある博物館です。<br />建築設計は故黒川紀章氏が手掛けられ、同氏の遺作となりました。<br />「海のシルクロードの終着点」原の辻遺跡が栄えたころの弥生の原風景をそのまま残すことに留意しました。また、外観は原の辻遺跡からの眺望を損なわないものとして、周辺の山並に溶け込んだものとしました。屋根の起伏は弥生の原風景としてかつてあったであろう地形の復元を目指し、屋上は緑化されています。 (http://www.nagasaki-tabinet.com/guide/50085/ より引用)<br /><br />一支国博物館については・・<br />http://www.iki-haku.jp/<br /><br />一支国(いきこく、一支國)とは、中国の史書に記述される倭国中の島国である。魏志倭人伝では「一大國」とされ他の史書では「一支國」とされることから、魏志倭人伝は誤記ではないかとされているが、誤記ではないとする説もいまだ根強い。1993年、長崎県教育委員会は壱岐島の原の辻遺跡が一支国の跡であると発表し、話題となった。<br /><br />魏志倭人伝において邪馬壹國(邪馬臺國)が支配下に置いていたとされる「一大國」という名の島国である。対海國(対馬国)から南に一千里(当時の度量衡で400Km)の所、ということになるが、仮に対海國を現在の対馬島とすれば、これは鹿児島県の南方海上になるため、実際にどこであるかには論争がある。<br /><br />魏志倭人伝には次のように記述される。<br />また南に瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を渡り、千余里を行くと一大國に至る。また長官を卑狗(ひく)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。広さは約三百里四方ばかり。竹や木のしげみが多い。三千ばかりの家がある。田畑が少しあり、農耕だけでは食料には足らず、また、南や北に海を渡って穀物を買い入れている。<br />又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />壱岐島は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />壱岐については・・<br />http://www.ikikankou.com/<br />http://www.city.iki.nagasaki.jp/<br /><br />9月12日(3日目)<br />郷ノ浦--岳の辻展望台【壱岐の最高峰である山の上の展望台】(25) ---原の辻遺跡【国の特別史跡】-一支国博物館【壱岐の歴史・文化・風土を学ぶ展示館】】- ---焼酎工場(40)- -安国寺--壱岐・印通寺港--<フェリーで>--唐津東港-<br />-福岡空港--羽田空港【21:25着】 <br />

壱岐15 一支国博物館 風土と調和した建築 ☆県埋蔵文化財センターを併設

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2012/09/12 - 2012/09/12

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マキタン2

マキタン2さん

壱岐市立一支国博物館
2010年3月14日オープンした「一支国博物館」
この施設は国の特別史跡である原の辻遺跡の復元整備と連動した展示構成で、
遺跡も展示の一部に取り入れたサイトミュージアムです。展示全体を通じて、観るだけでなく体感しながら、感動と発見のある博物館です。
建築設計は故黒川紀章氏が手掛けられ、同氏の遺作となりました。
「海のシルクロードの終着点」原の辻遺跡が栄えたころの弥生の原風景をそのまま残すことに留意しました。また、外観は原の辻遺跡からの眺望を損なわないものとして、周辺の山並に溶け込んだものとしました。屋根の起伏は弥生の原風景としてかつてあったであろう地形の復元を目指し、屋上は緑化されています。 (http://www.nagasaki-tabinet.com/guide/50085/ より引用)

一支国博物館については・・
http://www.iki-haku.jp/

一支国(いきこく、一支國)とは、中国の史書に記述される倭国中の島国である。魏志倭人伝では「一大國」とされ他の史書では「一支國」とされることから、魏志倭人伝は誤記ではないかとされているが、誤記ではないとする説もいまだ根強い。1993年、長崎県教育委員会は壱岐島の原の辻遺跡が一支国の跡であると発表し、話題となった。

魏志倭人伝において邪馬壹國(邪馬臺國)が支配下に置いていたとされる「一大國」という名の島国である。対海國(対馬国)から南に一千里(当時の度量衡で400Km)の所、ということになるが、仮に対海國を現在の対馬島とすれば、これは鹿児島県の南方海上になるため、実際にどこであるかには論争がある。

魏志倭人伝には次のように記述される。
また南に瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を渡り、千余里を行くと一大國に至る。また長官を卑狗(ひく)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。広さは約三百里四方ばかり。竹や木のしげみが多い。三千ばかりの家がある。田畑が少しあり、農耕だけでは食料には足らず、また、南や北に海を渡って穀物を買い入れている。
又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

壱岐島は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

壱岐については・・
http://www.ikikankou.com/
http://www.city.iki.nagasaki.jp/

9月12日(3日目)
郷ノ浦--岳の辻展望台【壱岐の最高峰である山の上の展望台】(25) ---原の辻遺跡【国の特別史跡】-一支国博物館【壱岐の歴史・文化・風土を学ぶ展示館】】- ---焼酎工場(40)- -安国寺--壱岐・印通寺港--<フェリーで>--唐津東港-
-福岡空港--羽田空港【21:25着】

同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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