2011/04/11 - 2011/04/16
1378位(同エリア3037件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1486冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,690,515アクセス
- フォロワー151人
ジェルボーで何度か朝食を食べた後は趣向を変えて「カフェ・ニューヨーク」に行くことにしました。ジェルボーのあるデアーク広場から地下鉄に乗って朝食を食べに行くのですから酔狂な旅行者かもしれません。ホテル・ニューヨークパレスの1階にあるこのカフェは一時レストランに変わったりしましたが、現在はオープン当初のカフェ・ニューヨークに戻っています。朝食後は天気も良いのでそのままドーハニ街の「大シナゴーグ」まで歩きました。プラハでもいくつかのシナゴーグの見学はしてきましたが、ここブダペストのシナゴーグは大きさには驚きました。豪華さで言うとプラハのスペインシナゴーグも素晴らしかったです。ハンガリーのユダヤ人の方は第2次世界大戦中はハンガリー政府とナチスドイツに翻弄され、その歴史を考えると博物館を見学していても胸が詰まる思いでした。シナゴーグの後はアンドラーシ通りの南側を行ったり来たりしながら、「リスト音楽院」や「カルヴァン派教会」、大使館のある通りを抜けて「市民公園」まで歩きました。途中にある世紀末建築を見学しながらですので結構時間がかかりましたが、素晴らしい建築がたくさんありました。残念なのは「リスト音楽院」が2009年から閉鎖されていて、ジョルナイの陶器を使った美しい内装が見られなかったことです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ブダペストで宿泊したていたケンピンスキーホテルはデアーク広場の目の前なので地下鉄に乗るには非常に便利です。しかし1号線以外の地下鉄は地中深くを走っているので、物凄いスピードで地下へ潜っていく長いエスカレーターに乗る必要があります。
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そのエスカレーターに乗っている時間の長さは日本では味わえません。
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旧ソヴィエト製の古い車両が現役で走っています。第2次世界大戦後の共産主義時代のモニュメントなどは「メメントパーク」に押し込み、矢十字党政権時代のファシズムや人民共和国時代に関する展示は「恐怖の館」に残すハンガリーがなぜこの車両は現役で残しているのか不思議でした。
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このタイプの車両は後にモスクワの地下鉄駅巡りで何度も再会できて懐かしかったです。
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古い車両の中はもちろんこんなクラシックな内装のまま残されています。
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地下鉄のM2線で東駅方向に2駅行ったブラハ・ルイザ広場で降りました。
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地下構内では民族楽器ティンバロを奏でる人がいました。ピアノの弦をばちで叩くという感じの楽器で、何とも言えない哀愁のある音色が構内に響きます。
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目的のカフェ・ニューヨークはニューヨーク・パレスの1階にあります。この建物は1892年から1894年に建築家のアラホス・ハウズマンとフローリシュ・コルブ、カールマーン・ギエルグルによって建てられました。ニューヨーク生命保険のハンガリーオフィス向けに建てられた折衷様式の美しい建物です。
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ギリシャ建築やルネサンスやバロックの様式が折衷され、時代的にも典型的なアールヌーボーのデザインも含まれています。2つの大戦の間に衰退の期間があり、建物が元に戻されるには多大な修復の時間と費用がかかっています。
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修復には建築家のマウリツィオ・パピリ、アダム・ティハニー、マッシモ・イオサジーニなど著名な建築家のシモーネ・ミケリらの協力のもとに、2001年から2006年の5年間で修復が行われました。
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人通りも車の通りも無いエリザベート通りの送水管が破裂していて、何となくニューヨークってこんな感じだろうかと思いました。
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ホテル側ではない左側の入り口からニューヨーク・カフェに入りました。このカフェは1894年にハンガリーのコーヒー産業の専門家、サンダース・チューアーがオープンさせましたが、その後の閉店も経て美しい姿を見せています。
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入り口には写真撮影禁止のプレートがありましたが、ウェイターさんに「写真撮ったらだめですか?」と尋ねると、周りを見渡して手を広げて「どうぞ。」
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この日は朝1番で店に入ったので、我々以外にお客さんはいませんでした。おかげで気兼ねなく写真が撮れました。
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フロアは1階と階段を降りた半地下と階段を上った2階の3フロアに分かれています。そのそれぞれが広いので見渡すこともできません。
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しばらくすると1人のご婦人が来られてコーヒーを注文されました。その後もビジネスマンが2人朝食に来た以外は誰も来ませんでした。
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席も「お好きな所へどうぞ。」と言われたので各コーナーが見渡せる入り口近くにしました。あまりにも広いので、ウェイターさんに何かお願いするにも遠いと不便ですから。
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こんな素晴らしい空間をほとんど貸切状態で楽しめたのはとても贅沢な時間でした。
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コーヒーを飲んでいると注文したフレンチトーストが来ました。今まで食べたフレンチトーストの中で一番おいしかったと思います。バターと蜂蜜が付いていましたが、妻は「ジャムありませんか?」とお願いしてマーマレードなど小瓶をいくつか貰っていました。
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妻はブラックコーヒーですが、私はカフェ・ラテにしてもらいました。熱々の泡だったミルクが甘くておいしかったです。お水が付いてくるところはウィーンぽいですね。
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フレンチトーストとサラダ以外にもパンがたくさん出て、飲み物も入れて800円くらいだったと思います。今までいろいろな国で豪華なインテリアのカフェにもずいぶん行きましたが、ここを越えるお店を見たことがありません。
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ジェルボーの朝食の見栄えと美しさは捨てがたいですが、「カフェ・ニューヨークで朝食を。」みたいな雰囲気も良かったです。
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1894年の開店当時、ニューヨークカフェは「世界一豪華なカフェ」と称され、多くの著名人が集う社交場としてにぎわったそうです。
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食事を食べ終わって午前10時過ぎですが、カフェの中の時計の時間がバラバラなのはご愛敬です。疑似大理石の捻れた支柱がバチカンのサンピエトロ大聖堂のバルダッキーノみたいです。
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とても巨大な空間ですが、トイレがホテルのロビー階である2階にしかないのはちょっと面倒です。
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お店の方に断りを入れて、店内を見せてもらいました。しかし10時を過ぎていてもこんなに空いていて商売になるのだろうかと、他人事ながら心配になりました。
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2階のフロアのインテリアは1階とは違っていますが、その豪華さは今までの数多く見てきたヨーロッパの宮殿と肩を並べても負けることはありません。
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2階から半地下のエリアを覗いてみます。ブダペスト2日目に行った「国会議事堂」や「国立民族博物館」のホールの空間もすごかったですが、同じ時代に造られたこの建物も素晴らしいです。
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もっとお客さんがいてシャンデリアの照明が全部点灯していたらもっと豪華だったかもしれませんが、電気が少し消えて退廃的な雰囲気も感じられるのもよいです。
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一番奥にはこんな個室までありました。高輪プリンスホテルの「貴賓館」を思い出しました。
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最後はニューヨーク・パレスホテルのロビーから表に出ますが、こちらも豪華なエントランスです。ギリシャ風の柱と装飾された梁はピログラニットという建築用のテラコッタで造られています。
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最後にエリザベート通りからカフェ・ニューヨークのガラス面のロゴの写真を撮って出発します。
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旅をした2011年の春はブダペスト市内のいたるところでこのような歩行者通路の囲いが設けられていました。その上部の外壁を修復するための工事囲いだと思います。
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次に通りがかったのは「アーケード商店街」の建物で、薄いピンクのタイルをタイルボルトで止めた外観が印象的です。規模は比べ物になりませんが、ウィーンのオットー・ワーグナーが設計した「郵便貯金局」のような技法です。
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円柱の間に描かれたのは帝国時代末期の軍隊がマジャール人に制圧されている様子です。
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そして到着したのがドーハニ通りの「大シナゴーグ」に到着しました。シナゴーグはユダヤ教の教会ですが、ヨーロッパの街には地元のユダヤ人たちの祈りの場であるシナゴーグがたくさんあります。
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プラハのシナゴーグの内装も素晴らしかったのですが、ブダペストにはヨーロッパ最大で、世界でも3番目の規模を誇る巨大で豪華な内装のシナゴーグがあります。入口の上部には、ヘブライ語で「彼らにわたしのために聖所を作らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。」と、旧約聖書の「出エジプト記」の一節が刻まれています。
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2つの塔を備えた赤茶色とベージュの横縞のこの建物がヨーロッパ最大の規模を誇る「ドハーニ街のシナゴーグ」です。調べてみると世界最大のシナゴーグはエルサレムにある「ベルツ・シナゴーグ」で、2番目はニューヨークの「インマヌエル(エマニュエル)・シナゴーグ」で、ここが世界3番目の大きさとなります。
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玉ねぎ型の飾りがついた塔は高さ43メートルで、ユニークなデザインはスペインムーア人の建築を彷彿させます。中世のイベリア半島で流行していた モーリタニア様式は後でヨーロッパのシナゴーグの建築の中で明らかに現れています。完成したのは1859年という19世紀後半で、ヨーロッパではオリエント趣味が流行していました。
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建築家のルートヴィヒ・フェルスターはウィーンで活躍していたのでウィーンにも彼の設計したシナゴーグがありましたが、1938年に起きた「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」(反ユダヤ暴動)によって破壊されています。
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このシナゴーグの入場はセキュリティが厳しく、荷物検査までありました。更にモーセが伝えたもう一つの律法とされるタルムードにより、キッパーと呼ぶ帽子をかぶることが決められています。それは信者で無い観光客まで徹底されていました。本来は布製や革製ですが、見学者に渡されるのは厚紙でできた簡易なものです。
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外観は色違いの煉瓦の組み合わせだけですが、その煉瓦造りの印象とは全く違う繊細な空間が広がっていました。シナゴーグとしては巨大な空間です。キリスト教の教会とは少し違う内装です。
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中央祭壇の黒いカーテンの奥には聖典「トーラー(旧約聖書の最初の五書)」の巻物が収められています。ここにはナチスの攻撃によって破壊されたシナゴーグから集められたトーラーも一緒に収められているそうです。祭壇の上部後ろに設置されたパイプオルガンは、リスト・フェレンツ(フランツ・リスト)やサン・サーンスも弾いたものです。
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正統派のシナゴーグでは男女の祈りの場所が分かれており、また檻のような囲みのあるビーマーが中央にあることが多いですが、ここは改革派のシナゴーグなので、男女の信者を隔てる仕切り(メヒツァー)がありません。パイプ・オルガンが置かれてあるのも改革派のシナゴーグならではです。
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内装を手掛けたのは建築家のフェスル・フリジェシュで、彼もこの大シナゴーグの建設に際してビザンチン様式の設計プランを出していました。しかし採用されなかったので内装を担当することになります。ドナウ川のほとりの「ヴィガドー」にあるコンサートホールはフリジェシュの作品です。
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床のタイル装飾や壁を覆うアラブ風の幾何学文様、シャンデリアやステンドグラスが美しいです。天井は高くててオペラ座のように2階席や3階席があり、約3000人が収容出来るそうです。ユダヤ教と言えばダビデの星の六芒星が描かれますが、八芒星が描かれています。
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シオニズム運動の父とされるヘルツルがこのシナゴーグに隣接する建物で生まれたことでも有名です。敷地内にはそれを示すプレートがあり、その場所は現在「ユダヤ博物館」となっているので立ち寄ることにします。
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テオドール・ヘルツルは当時オーストリア帝国時代だったブダペストのこの場所で1860年に生まれました。その後ウィーンに移り、新聞記者としてドレフュス事件(ユダヤ軍人の冤罪事件)を取材し、それを機にユダヤ人国家の建設を夢見るようになり、ヨーロッパ中のユダヤ人に「祖先の土地シオンへ還ろう!」と呼びかけるシオニズム運動を始めました。シオンとはエルサレムの別名で、イスラエル建国へと続きます。
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隣にある「ハンガリー・ユダヤ博物館」は非常に素晴らしい物が展示されていました。館内にはユダヤ経典や燭台、手工芸品など300以上の展示品とともに、ブダペストにおけるユダヤ人の習慣や歴史や文化も紹介しています。
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「トーラー・シールド」
ユダヤ教では律法を装飾品で飾ることは必須ではなく、これらは律法の巻物への敬意を表すことを目的とするものです。 トーラーと呼ばれる経典の巻物がどの週の部分になるかを示す小さな窓が設けてあります。意匠はそれぞれ違いますが、共通する2枚の板は十戒が記された石板だと思います。 -
ユダヤ教の唯一のヘブライ語の経典であるトーラーも納められていました。トーラーは経典と訳され、旧約聖書の最初の5つの書であるモーゼの五書でこれらはモーセが書いたという伝承があります。ペンのような棒は先端が指の形をしていて、律法の巻物や文字を手で直接触ることは無礼とされています。基本的には人差し指を伸ばした右手で、素材はいろいろなものが使われます。これらの儀式用具は通常非ユダヤ人の職人によって造られました。
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モーゼの頭彫です。後頭部のハート形のようなものはモーゼがシナイ山の山頂で神から授かった十戒の石板です。出エジプト記 34 章 29 節に 「モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは山から下ったとき、自分が神と語っている間に自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。」とありますが、、このヘブライ語をヒエロニムスがラテン語聖書に訳したときに「角が生えた」と誤訳したとされます。 ローマのサンピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のミケランジェロのモーセ像は本当に角のように見えます。
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建物の窓は美しいステンドグラスになっていました。良く見ると旧約聖書の場面が表されています。それぞれ信者の寄付によって造られたもののようです。
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旧約聖書の物語の場面が描かれていますが、上から2段目が「イサクの犠牲」くらいしか読み取れません。神はアブラハムの信仰を試すために「息子のイサクをモリヤの丘の岩で、焼いて神に捧げなさい。」といいます。
息子は救われた。 -
ついにアブラハムは決心してイサクを丘へ連れて行き、小刀で殺そうとするその瞬間に天使が現れその手を止める場面です。神は「あなたが神を恐れる者であることが分かった。」といいます。
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次の4面では最上段の「ダビデとゴリアテ」はイスラエルとペリシテの間で戦いが始まった頃の場面です。ペリシテ軍にはゴリアテという巨人がいて、ダビデはサウル王にゴリアテと戦わせて欲しいと願い出ます。ダビデは投石袋から小石を取り出し、石投げ紐で石を飛ばします。小石は巨人ゴリアテの額にのめりこみ、ゴリアテは倒れてダビデにその首をはねられます。
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カラヴァッジオの絵画やミケランジェロのダビデ像を思い出す物語です。
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次の4面の最上段は「モーセと燃える柴」の場面です。モーセは義父である司祭エトロの羊の群れを連れ、ホレブ山のふもとへ訪れると炎に包まれた柴の中から天使が現れます。
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ホレブ山は神の山とされており、柴が燃え尽きないことに驚くモーセが近づいてみると「この地は聖地である。履物を脱げ。」と父なる神の声が聞こえます。続けて父なる神はモーセに自らの存在を明かし、イスラエルの民をエジプトから連れカナンへ向かえと啓示します。映画の「十戒」を思い出す場面です。
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ヨーロッパでよく見るマヨルカ焼きの陶器の大皿もヘブライ語が書かれたものは初めて見ました。残念ながら一切読むことが出来ませんが、経典の一説が書かれてあるのではないでしょうか。
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ユダヤ教に由来するステンドグラスだということは分かりますがその意味は分かりません。
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他の部屋のステンドグラスですが、意味などは分かりません。勿論ヘブライ語も読めません。先ほど見てきたシナゴーグには八芒星が描かれていましたが、ここではダビデの星と呼ばれる六芒星がありました。
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唯一描かれたものが分かるのがトーラーを読む聖職者とトーラーを指さすポインターだということが分かります。
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一番奥の部屋は第二次世界大戦中の写真が展示してありました。コートの胸にユダヤ人である証明の黄色いユダヤの星を付けさせていました。更に後ろに描かれた共産主義=ユダヤのマーク。ヨーロッパ最大のシナゴーグがブダペストに存在することからも分かるように、古くから大勢のユダヤ人が暮らしていました。第2次世界大戦ではナチス・ドイツの同盟国として少なからぬ戦争犯罪に加担したわけですが、とりわけ’44年3月に悪名高きナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンがブダペストへ派遣されると、それまで積極的ではなかったハンガリー国内のユダヤ人迫害も本格化したそうです。
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最も多い時期には1日に12,000人ものユダヤ人がアウシュビッツへ送り込まれ、ジェノサイド(大量虐殺)の犠牲になったといわれます。列車で運ばれて来るユダヤ人をガス室送りにするにあたりナチスの兵士だけでは現場の手が足りないことから死体処理や掃除などの雑務を任されたのが強制的に選ばれた同胞ユダヤ人の労務部隊ゾンダーコマンドでした。
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この旅の4年後に「サウルの息子」という映画が封切られていますが、ゾンダーコマンドと呼ばれたユダヤ人労務部隊の実話を基にしたホロコースト映画があります。
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出口近くには嘆き悲しんでいるようにねじれた銀製の柳の木の彫刻があります。ハンガリーを代表する現代彫刻家のヴァルガ・イムレの作品で、葉の1枚1枚にホロコーストの犠牲となった40万のハンガリー・ユダヤ人の名が刻まれています。
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春の陽射しにきらきら光って美しいのですが、1枚1枚にはホロコーストの犠牲になった方々の名前と出生年と没年が刻印されています。1945年に23歳で亡くなったなんて悲しすぎます。プラハのシナゴーグの部屋一面にびっしり描かれた犠牲者の名前も胸打たれました。
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少し重たい気持ちになりましたが勉強にもなりました。まだ行ったことのないポーランドにも足を向けなければと思いました。
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「ドハーニ街のシナゴーグ」を後にして世紀末建築を求めて市民公園方面へ向かいます。
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シナゴーグを出たドーハに通りの周辺は昔はゲットーと呼ばれたユダヤ人の方々が済んでいたエリアで、ブダペスト市内でも少し変わった雰囲気を醸し出していました。この当時はうらぶれた雰囲気がありましたが、現在は若者の集まるスポットに変わっているようです。
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ゲットーの近くにある「正義の異邦人」と題された記念碑がありました。奥の壁の高いところから布のようなものを地上に横たわる人に垂らして、地上の人がそれをしっかりと掴み取ろうとしているように思えました。助けようとしている人がカール・ルッツを意味し、地上に倒れて横たわり救いを求めている人がユダヤ人を表しているように思われました。
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カール・ルッツはナチスの迫害を受けて助けを求めるブダペストのユダヤ人にスイスへの移住証明書を交付し、数多くのユダヤ人を保護したことを顕彰した記念碑です。
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新劇場ウーイ・シーンハーズ(旧パーリジアーナ・ナイトクラブ)に到着しました。
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ナイトクラブの踊り子を表したのでしょうか、ラインダンスのような女性像がファサードの上部を飾っています。
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現在も劇場として使われている建物は改装に次ぐ改装で竣工当時の面影は無くなっていたそうです。それを建築家の協力のもとにファサードは元に戻されたそうです。
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1908年に建てられた世紀末建築とプレモダンの2つの様式の分かれ目となるような建築です。この建物を設計したライタ・ベーラはレヒネル・エデンに影響を与えた人物です。
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ライタはブダペスト工科大学で学位を取得し、アラホス・ハウズマンの下で短時間働き、その後にローマで1年半過ごしました。 その間に絵画や彫刻も手掛けています。彼は1899年に帰国した後はレヒネル・エデンと共同でズマストリート墓地のシュミドルの墓を手掛けています。比較的若い年齢で亡くなっています。
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直線的なデザインが印象的ですが、ブダペストに着いた日に行った「貿易・観光博物館」の建物のようなエオシン釉を使った柔らかいデザインとは一画を隔てた同じ建築家とは思えない印象を受けました。
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銀色の打ち出しの板にリベットを打ち込んだ重厚な印象を受けます。この扉はスタッフオンリーなので、一般人が寄り付かないようなデザインになっているのかもしれません。
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お客用の扉は仲が伺えるようにガラスを使って軽やかにしています。
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柱の上には球を持った猿が座っていますが、何か意味があるのかは分かりません。
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中に入ってみると右手にチケット売り場がありました。中に女性がいて目が合ったので奥の扉を指差してみましたが首を横に振られてしまいました。
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中の扉のデザインも表のデザインも同じなので建築当時のものに作り直したのかもしれません。
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ここからは一度アンドラーシ通りに出てみます。ちょうど「ハンガリー国立歌劇場」の前でしたので見学したいと思いましたが、午後3時だけなので時間が合わないので諦めました。
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建築は「聖イシュトヴァーン大聖堂」建築を途中から引き継いだイブル・ミクローシュが担当しています。ロマン主義の建築家でメオ・ルネッサンスを得意としました。この建物の建築にあたり、重要な条件はすべての作業がハンガリーの職人によって行われ、ハンガリーの建築資材のみ使用することでした。ミクローシュは5つの例外を除いて条件を満たしました。それは大理石の外壁はイタリアのカッラーラ産、花崗岩の柱はオーストリア産、オーク材と杉材はイタリア製、舞台技術はウィーン製、シャンデリアはマインツ製ということでした。
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「ハンガリー国立歌劇場」の内部の見学が出来なかったのは心残りで、7年後にバスに乗ってこの建物の前を通った時は恨めしく思えました。この時はクリスマスマーケット巡りなので、建築を巡る時間はありませんでした。
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アンドラーシ通りをしばらく歩いて「旧パリジャン・デパート」までやってきました。1911年にオープンした豪華な百貨店で、屋上にはスケートリンクまであったそうです。ブダペストで最初の国際的デパートとして販売員の女性にお客への微笑み方を講習したり、買ったものは市内であれば決められた時間に配達までしたそうです。
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この建物はシクライ・シグモントにより1909年から1911年にかけて設計されています。この当時は「アレクサンドラ・ブック」という本屋さんになっていましたが、後に経営が変わっているようです。よく見ると象のレリーフがあり、当時の動物園の人気やグンデルのモチーフも象だったななどと思いました。
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この当時1階は全部本屋になっていて、中央にエスカレーターがあったので登ってみます。
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普通のエスカレーターですが、2階について降りた途端に世界が変わります。
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2階のこの場所はその昔は舞踏会場として使われていたそうで、シャンデリアやフレスコ画の天井など、とにかく内装が凝っていて美しいです。そんな贅沢な空間のなかで、生のピアノ演奏と聴きながらカフェタイムを満喫することができるというブダペストでも人気の高いカフェとなっています。
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ブダペストの3大カフェというと「カフェ・ジェルボー」と今朝行った「カフェ・ニューヨーク」とここ「アレクサンドラ・ブック・カフェ」だそうです。一服したいところでしたが、予定がいっぱいなので先を急ぐことにしました。
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アンドラーシ通りと交差するがいりょじゅの緑濃い通りがあったのでまた横道に入ってみます。
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洒落たカフェがたくさんありました。ブダペストで見掛けたこの膝掛けが欲しくなりました。この当時百貨店の屋上に空中庭園を造る計画があったので、カフェテラスについていろいろ興味がありました。
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リスト・フェレンツ広場の中ほどの木立の中にリストの銅像がありました。座って指揮をしているところでなにやら上半身だけに激しい動きがある一風変わったこの銅像、はマルトン・ラースローの作品です。
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マルトンはヴィガドー広場の「リトル・プリンセス」像で知られていますが、メルヘン的な「リトル・プリンセス」に比べてこの「リスト像」は迫力があり、通りがかりの知らない人は思わず足を止めて眺めてしまいます。
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マルトンはこうした芸術家や歴史上の人物の記念像のほかに、ファシズム時代の強制収容所をテーマとした「ラーガー」など、政権に対して抗議の作品多く造っているそうです。
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その先に「リスト音楽院」がありました。1875年のフランツ・リストによる設立以来ハンガリー近現代音楽史の中枢を担ってきたのがこのリスト音楽院だそうです。この建物はフローリシュ・コルブとギエルグル・カールマンの2人の建築家によって設計され、1904年から1907年にかけて建設されています。
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ファサードの3階の中央に座すのがフランツ・リストの像で、その下の人柱像や、屋根に居並ぶ彫刻などの装飾が、厳格で重苦しいファサードにアールヌーヴォーらしい優雅なアクセントを与えています。ブロンズ製の守護神の群像はマローティ・ゲーザの作品で、1905年のミラノ国際工芸博覧会のハンガリー・パビリオンを飾ったものです。
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残念ながら正面の扉が閉まっています。ここの内装もジョルナイの陶器を使った非常に美しいものであるのはINAXの「ハンガリーの建築タイル紀行」という本で見ていて知っていました。
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入り口に座っていたおじさんにも聞いてみましたが詳しいことは分かりませんでした。後で調べたら2009年から2年ほど閉鎖されているとのことでした。
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再びアンドラーシ通りを東に進みます。この通りの地下3メートルに地下鉄号線が走っています。電化の地下鉄としては世界一古く1896年の建国1000年祭には開通していたそうです。約2年という短い工事が可能だったのは一度掘った穴に敷設した後に蓋をする工法だったからだそうです。
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面白い庇だと思ったら文字になっていました。Terror(テラー)と書かれているのは何かなと思ったら共産主義国歌時代の秘密警察の本部だった建物だそうです。「恐怖の館」という名前でナチス・ドイツやソビエト連邦との関係、及びそれを受け入れたハンガリーについての展示がなされています。また矢十字党やハンガリー国家保衛庁等についての展示もそれには含まれていますが、外部からの占領によって多くの犠牲者が生じたことを全面に出していることの疑問もあるようです。
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その通りを挟んだ前には「国立指人形劇場」がありました。どちらかというと恐怖の館よりはこちらを観たいと思いました。ハンガリーと人形劇の関係は深く、この国で人形劇の世界大会が行われることもあるほどで、日本とも人形劇での交流が行われているそうです。プークで育った世代なので時間があれば立ち寄りたい場所でした。
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ここからもう一度アンドラーシ通りを離れ2ブロック南側の通りを東に向かって進みます。この辺りは大使館が多い高級住宅街と言った風情で、その一角に「カルヴァン派教会」があります。
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ハンガリーではカトリックに次いで信徒の多い宗派だそうです。カルヴァン主義とは、すべての上にある神の主権を強調する神学体系、およびクリスチャン生活の実践で、宗教改革の思想家ジャン・カルヴァンにちなんで宗派の名前になっています。マルティン・ルターがローマ・カトリックから破門された以降のプロテスタントについては、教会美術的にもあまり興味が持てないでいます。
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設計は現在のルーマニア領ノトランシルヴァニア地方で生まれたアールカイ・アラダールです。1913年竣工で当時に開発された強化コンクリートを使用して、外装材にジョルナイのタイルを多用した建物です。
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アラダールは変容の建築家とも呼ばれ、一時期はレヒネル・エデンのスタイルに走りますが、ハンガリーのほかフィンランドやイギリスのナショナル・ロマンティシズムの影響も感じられます。
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元々は画家でセーケイ・ベルタランやロッツ・カーロイに師事しています。パリで建築と絵画を学んだ後はハンガリーに戻り、ハウスマンの下でブダ王宮の設計を手伝っています。1894年からは義父のカリナ・モール(オットー・ワーグナーとブダペストのシナゴーグを設計)の事務所で働いています。
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非常に印象的なタイルを貼り込んだファサードは、まるでインカの古代模様みたいです。ファサードの上部には500ミリ角のタイルと直径450ミリのタイルで飾られています。
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これらのプレートの1枚1枚もジョルナイのタイル工房で造られたのだと思います。モチーフは自然の草花で埋め尽くされているのが分かります。小さいサイズのレプリカを造れば売れると思います。
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アラダールはこの建物の照明装置からベンチやステンドグラスまで全ての設計を自らで行っています。レヒネル・エデンの作品後期の「お菓子の家」的にいうとアイシング(粉砂糖と卵白や水を練り混ぜて作った砂糖衣)されたクッキーが並べられているようです。
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コンクリート製のタイルで覆われたファサードのアーチに嵌められた木部の出入り口はトランシルヴァニア地方の伝統的なモチーフを用いているようです。
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教会の建物の扉が閉まっていて、門扉のも閉まっていたので見学できないと勝手に思い込んでしまいましたが、ミサなどの宗教行事が無い日の日中は見学できるようです。後日現地で手に入れたガイドブックにはそう書いてありました。
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この辺りのデザインにフィンランドやイギリスのナショナル・ロマンティシズムの影響が感じられます。扉のハンドルや鍵穴のプレートまで細かいこだわりを感じます。
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ワーナーのアニメ映画「アイアン・ジャイアント」のロボットが顔をのぞかせているように見えました。建物の基部の石組がフィンランドの建築を思い出させます。ヘルシンキの中央駅とかサーリネンの設計したポホヨラという建物を思い出させます。
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教会の全体的な構成はアメリカの福音派教会を元に、プロテスタントの覆いフィンランドやドイツの教会に倣っています。
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今から思えば扉のノブに何故手を掛けなかったのか悔やまれます。プロテスタントの教会なのでカトリックのような派手さはありませんが、床のタイルや壁のタイルの美しさは写真で見て知っていました。
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敷地のフェンスも美しいデザインがなされています
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周囲のフェンスは小鳥たちがモチーフになっているようです。
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教会の奥は牧師さんの住宅のようでした。この奥に教会事務所があり、そこでお願いすれば見学が出来るようです。(2011年当時)
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「市民公園」に向けて進むとファソリ福音高校と学校付属の教会がありました。ちょうど学生たちが大勢教会に入っていきました。この高校の建物はシャム・ペッツの設計で、教会の祭壇画はハンガリーで最も有名な19世紀の画家の1人であるジュラベンチュルによって描かれたものです。シャム・ペッツは中央市場の建築でも知られるブダペスト工科大学教授でもあります。
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その教会の前には花屋さんの小屋がありました。平日は閉まっているのでしょうか?鮮やかな黄緑色が綺麗でした。きっと花の色に映えるのでしょう。
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大きな通りですが車もあまり通らないので落ち着いた雰囲気です。大きな邸宅は大使館や領事館として使われているようです。中国国旗が風に揺られているのを見ていたら、山東省の青島を租借したドイツの青島租界の建物を思い出しました。1898年から第1次世界大戦勃発の1914年までの間に建てられているので時代も変わりません。
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「市民公園」の東側の高級住宅街はどこまでも続いているようです。
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この辺りは19世紀では市街地と郊外の森の中間地点のようなエリアで、裕福な市民は別荘を建てたそうです。また市街地が拡張するにつれそれらは自宅に変わっていったようです。計画は頓挫していますがバルセロナでいうグエル公園の辺りのようだったのかもしれません。
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プラタナスという名のレストランがありました。名前の由来はこの巨大な木から取ったのだと分ります。高そうなスーツを着た人達が多かったので、近くの外交官か駐在員の方が遅いランチを食べているのでしょう。お昼を過ぎているのですが、行きたいレストランがあるのでここは我慢します。
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広場に出る手前にはこんなレリーフのある建物がありました。共産主義時代の体育館か何かと思いましたが、現在はハイネケンの社屋になっているようです。
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ようやく「市民公園」の巨大な森にたどり着きました。市民公園は1896年の建国1000年祭の時に万国博覧会の会場となり、ヴァイダフニャディ城や教会などは、万博の為に建てられた建物なのです。ハンガリー全土の建築様式の建物を再現しており、個性的な建物が多く見られますが、英雄広場と公園内は続く旅行記で紹介します。
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奥に見えたモニュメントは1956年にハンガリーで起きたソビエト連邦の支配に対する民衆による全国規模の蜂起を差す「ハンガリー動乱」を記念するもののようです。公園沿いにはいくつもの記念碑やオブジェが置かれていますが、国旗が半旗になっているので弔意を表しているようです。よく見ると国旗の中央部分は切り抜かれています。
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足元の碑文を読んでみるとダンガリー動乱50周年を記念して2006年に建立されたものでした。碑文を読みながら中欧の国々に対しての旧ソヴィエトの軍事介入についてちょっと考えましたが、黒御影石に青空に浮かぶ白い雲が流れていきました。
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巨大な砂時計は高さ10メートル近いと思います。花崗岩とスチールとガラスで造られ、重さは60トンもあります。 ガラスビーズの「砂」は上から下のガラスチャンバーに1年間流れ続け、大晦日の夜に砂がなくなるとホイールがが180度回転するので、砂の流れは翌年再開することができるそうです。
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建国1000年祭の会場も現在では策もなく自由に入れる森に姿を変えています。
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現代美術館の前に停まっていたバンはよく見ると白いバンが油性マジックで黒く塗られています。煉瓦の壁に沿って進むと「英雄広場」に到着します。
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