2010/08/22 - 2010/08/22
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アルデバランさん
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藤森照信展の合間をぬって茅野市民館から諏訪大社下社の近くにある神長官守矢史料館と藤森先生の高過庵を訪れました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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-
茅野市内から15分ほど。
諏訪大社上社までやってきたが、目的はここではない。
エート…
守矢史料館はたしか突き当たりを左折して高部方面に行くんだよね。 -
諏訪大社上社から400mほど。
守矢史料館の駐車場は狭く、車は5台程度がやっと。
車を駐車させてアプローチを行くと、藤森先生いわく「コロンダ松」が待つ… -
おそれ多くもかしこくも、ここが守矢さんちだ!
出雲から下った大国主命(オオクニヌシノミコト)の息子、建御名方命(テケミナカタノミコト)に敗れたとはいえ
なんせ、縄文時代から続く由緒ある家柄…
ちなみに、勝った建御名方命の血を引くのが諏訪家だ。 -
守矢さんちに入って左手。
さすが、敗れたとはいえ「神長官」というNo.2の筆頭神官。
立派な祈祷殿がありました。 -
そして神長官守矢史料館!
建築史研究者として功成り名を遂げた藤森照信先生が遅まきながら建築設計家としてスタートした作品。 -
守矢家伝来の史料を保存、展示するため茅野市が計画した史料館の設計を、守矢家78代当主の早苗氏が
1才違いの幼馴染の藤森先生に依頼したことがきっかけ。
ここに藤森作品の原点がつまっている。 -
まず目につくのは軒を貫く4本の柱。
御柱は四隅に立つが、これは前面に4本が屋根を突き破って…
材は地元ではミネゾウ、一般にはイチイ、北海道ではオンコと呼ばれる成長の遅い腐りにくい木だ。 -
軒を突き抜けている4本の柱のうち、2本は特に長い。
その中間に法隆寺の五重塔同様に鎌が…
諏訪大社では神が宿る樹には鎌を打つことが習いになっているとか。
いわゆる薙鎌が打ち込まれている。 -
竣工後20年経過しているがますます自然の味がにじみ出ている。
周りの熊笹は後で覆ったんだろうけど、笹の海に潜む龍のような感じになった。 -
そして屋根葺材。
諏訪地方特産の鉄平石で葺いているが、写真の腕が悪いためアスファルト材のように写ってますが、実際には圧倒的な存在感です。 -
敷地内をちょいと上に登ってみるとデカイ石がゴーゴゴロ…
よく見ると墓石でした。 -
では建物に近づいてみましょう。
まずは軒下から例のミネゾウの柱を見ると。
柱と軒の部分の間に隙間があり雨水が柱を伝って流れてくるようだ。 -
右側の屋敷が守矢家。
雨水がもろにあたる木鼻は大丈夫かな? -
この建物のもう一つの特色の板壁。
サワラの板を昔ながら方法で作った、割り板だ
鋸で挽いて作るのではなく八ヶ岳鋳物師集落から来た谷沢翁が鉈と楔で割って作った板壁。
サワラからのアクが染み出て黒ずんでいる。 -
では中に入ってみましょう。
エート、入場料は100円か… -
入ると正面に二階への階段。
二階には跳ね梯子で上がるみたいだ。
先客の学生さんたちの要望で梯子が下ろされていた。
途中までは階段だが上に上がるほど徐々に狭くなるのは視覚的な効果を狙った?
手摺は鍛造金物の名手がたたいて造った手作りの鉄でなんともいえない味を出している。 -
奥から入口方面を振り返る。
左側の大壁にはかの菅江真澄が当地を訪れた際のスケッチを参考に復元された神人共食の御頭祭の模様。
守矢家が江戸時代まで行なっていた祭祀の模様が再現されてます。 -
1階奥には展示室と会議室の2部屋がありました。
-
こちらは会議室。
内装と一部の外装の仕上げは一見土壁。
この仕上げは一番苦労した点で結局、土壁風ワラ入り土モルタルで仕上げている。 -
会議室の奥の突き当たり。左右はトイレだが壁にはこれまた手作りのガラスによる窓。
建築基準法上一応RC構造だけど、
仕上げ材で勝負しており目に見えるところは一切合財手作り。工業製品は使われていない。 -
トイレの中にも入ってみましょう(もちろん男性用)
この小窓からは高過庵が見えます。 -
ちなみに窓を勝手に開けてデジカメを無理矢理外に出して取ってみると…
その高過庵が小さく写ってました。
周りの黒い部分がサワラの割り板なので不揃いです。 -
この明かり取りなんぞも凝りに凝ってます。
神人共食の御頭祭に合わせた武骨さの一方で
自然素材を通した光の優しさも感じる不思議な窓。
まるで普請道楽ですね
それにしても壁にはおどろおどろしいウサギが… -
ではまた外に出てみましょう。
敷地の上には社が。
みさく神を祭った境内と社叢。 -
面白いのはどんな小さな社にも四方に御柱が立っています。
-
みさく神いわゆるミシャグジ様を祭った社。
後ろには二本の巨木が立っています。
左側がクリ、右側はカヤですね。 -
そしてさらに後ろに回ると梶の木。
諏訪大社の神紋にもなっている、幹周2mはあろうかと思われる梶の木の巨木だ。 -
梶の木の蕾。
一見すると実のように見えるけど、これは蕾でやがてこれから真っ赤な花が開く。
花の時期にはまだ少し早いようですね。 -
おんや?上のほうから聞きなれたラッパの音が聞こえてきた!
そちらを見ると御柱山だし曳行のときの突撃ラッパだ。
守矢史料館で聞くと6年毎に行われる御柱祭りの年には各地区での神社(小社)でも同じように御柱の曳行があるとのこと。 -
社の上にはこんなお墓が…
そして向こうの大きな木の下にはもっと大規模なお墓が。
これも守矢史料館で聞くと大祝と書いて「おおほうり家」のお墓だそうだ。
なんでも諏訪氏の神官となった家が大祝家と言うことで守矢家とはライバル関係にあった家と勝手に解釈。 -
そしてさらに目を転ずると、おお!
見えました高過庵。
誰か上がって中に入っている人がいました。
今日は公開予定はないはずだが… -
藤森照信展の流れだろう、今日はやけに見学者が多かったです。
せっかく車で来ているので「おふくろ石」にも行ってみましょう。
史料館の事務室でお袋石への行き方を聞いている青年がいました。
我輩も行くと言うと青年は「厚かましいお願いだけど車なら乗せてほしい」と丁寧な依頼をしてきた。
断る理由もないので乗せてあげることに…
関西から来た音楽家(チェリスト)でした。 -
お袋石に行くには守矢史料館の前の道の先20mを右折。
細い山道を火葬場めがけて登ってゆくと右側の道沿いに案内板がある。
現物は杉林のヤブの斜面をさらに60mほど登る…
青年は炎天下を諏訪大社からも徒歩で史料館まで歩きたそうで、
史料館からさらに徒歩でテクテク上るのはきついに違いない。
車に乗ってもらって良かった良かった… -
お袋石までの杉林の中はヤブといっても人跡があり途中の斜面に「磯並社」「瀬社」「玉尾社」等の石の祠が点在している。
さすが、その四方にも小さな御柱が… -
お袋石まで着いた。見ると杉林の中に忽然と苔むした大きな石。
同行の青年は何故大石がここにあるのか謎、と言っていたが、
このような山林の斜面に大石があるのは別に珍しくもなんともない。
関西のチェリストは好きで建物めぐりをしているという。
昨日は藤森先生の秋野不矩美術館、今日は伊東豊雄の諏訪湖博物館を見てきたという。音楽家で建築好きというのも珍しい… -
一見、ただの山の斜面の大石だが、これが磐座信仰遺跡で別名「舟つなぎ石」。
この石にも神が宿っていたというかここから降臨したんだね。
でもそんな石を舟つなぎに使っていいの?
なんせ、その昔諏訪湖の水面はここまであったと言うから。
でも、この標高まで水が溜まるには少々無理がある。
南の富士見・小淵沢方面から水は流れ出してしまわないかい。
藤森先生も大きくて中学生になってやっと上に登れたとか… -
高過庵へは藤森先生の実家の前の小道を山方面に上がって行く…
その途中にあった大祝(おおほうり)家のお墓。
お墓の向こうに神長官守矢史料館も見えます。
このあとチェリストを誘って高過庵に。
チェリストは予定外の高過庵を見ることができて良かったと喜んでもらった。 -
大祝家のお墓のそばで宮川高部地区の人たちが御柱曳行の準備をしてました。
御柱の先にメドデコをつけています。
と言う事は先程の突撃ラッパは別の部落の山だし曳行だったんだ。 -
高過庵までやって来た。
近くでは高部地区の御柱祭りの準備の人たちの昼食の用意がされてました。 -
そして高過庵。
遊び心満点の建造物ですが用途は立派な茶室です。
藤森先生んちの畑の中にすっくと立っていました。
一見3本の柱の上に建っているようですが… -
実際には2本のクリの木の柱で支えてます。
3本に見えるのは柱の一本が途中で枝分かれしてるから。 -
クリの木の掘っ立て柱。
それにしてもこれだけの物を支えるには地中部は相当深く柱を埋めているはずだ。
建坪は10?以下だから建築確認もいらない。
農地法はまさか農機具置き場でクリアしたわけじゃないよね… -
まるで、空に浮かぶ茶室だね。
少々ゆれるらしい… -
クリの木は硬くて硬くて…
硬いんで檜や杉より石斧での切断が有効。
鉄器が伝わるまでの建材はクリだったのも頷けます。
チエンソーで切ろうものなら刃の目立てがしょっちゅう必要。
腐食にも強いけど木皮は時間とともに剥けてしまうのはやむを得ないか… -
屋根の葺き材は銅板手もみ波板で「空飛ぶ泥舟」にも使われてました。
尤もあちらは造ったばかりだから赤銅の色が光輝いていたけど。
外壁は守矢史料館と同じ土壁風土モルタル。 -
やっぱこれでも1階建てというんだろうね…
意外にもコンパクトですが彼方に蓼科と諏訪盆地を望む雄大な景色にぴたりと収まっています。 -
米タイム誌の「世界の危険な建造物トップ10」の第8位にランクされたと言うから、
いやはやもうインターナショナルな建造物だよね。
ちなみに第1位は「ピサの斜塔」
縣空寺も10位に入っている。
しまった!昨年マドリード行った時プエルタ・デ・エウローパ見てくりゃ良かった。これが4位… -
さあ、そろそろ時間だ。
チェリストを乗せて茅野美術館へ戻ろう。道中、音楽談義に華が咲きました。
彼はこの後、伊東豊雄とのトークセッションを半分だけ聞いて、松本市に行くという。
サイトウ・キネン・フェスティバルでリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」を聴きに行くそうだ。
そういえば会場の「まつもと市民芸術館」も伊東豊雄だ。
いいなあ!
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