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沖縄本島本部港から僅か、30分の伊江島にキャンプに行き、<br />そこで、感激的な出会いを体験しました。<br /><br />その人はヒロコさんです。<br /><br />彼女は子供の頃に脳性麻痺を患い、<br />車椅子の生活を続けていますが、<br />とてもバイタリティ溢れる女性で、<br />画家でもあり、伊江島に民宿「土の宿」を経営し、<br />オーストラリアにも「土の宿」を経営しています。<br /><br />私は青少年旅行村にキャンプし、<br />シャワーをお借りした縁で彼女を知りました。<br /><br />シャワーだけを使わしてもらったのですが、<br />故郷の実家に帰ったような雰囲気の民宿です。<br /><br />ヒロコさんはとても気さくで、明るい方で、<br />良く海岸に出て、彼女の生き方・世界観をお聞きしました。<br /><br />70代の彼女は車椅子ながら、世界75ケ国を旅し、<br />今も世界の何処かを旅しています。<br /><br />彼女の凄さは以下の記事を読んで頂ければ判ります。<br /><br />伊江島は沖縄戦の縮図とも言われる島であり、<br />平坦な地形を持つために、<br />第二次世界大戦時に日米両軍にとって<br />飛行場の適地「不沈空母」とされました。<br /><br />これが、伊江島の悲劇の始まりです。<br /><br />現在も島の35%を占める米軍用地は、<br />原爆の投下訓練や、ベトナム戦補給地、<br />ベトナム少年兵の訓練などに使用されてきました。<br /><br />沖縄戦は「軍官民共生共死の一体化」という<br />軍部指導によって日本兵による住民虐殺や、<br />集団自決が行われた事で有名であり、<br /><br />伊江島は空と海を米軍に支配され、<br />物資や戦力を補給出来ず、<br /><br />「一木一草を戦力化」として<br />子供、老人、女性に関わらず動員させられました。<br /><br />4706名の戦死者の1/3が民間人です。<br /><br />太平洋戦争末期・沖縄戦の激戦地の一つであったと共に、<br />反戦運動の原点である伊江島に、<br /><br />1984年沖縄「土の宿」が開設されました。<br />脳性マヒの障害を持つ、木村浩子さんが経営する宿です。<br /><br />浩子さんは、自由に動かせる左足の親指と人差指を使って、<br />童画、俳画を主に描かれる画家であり、<br /><br />離島で共同生活を体験できる安宿です。<br /><br />以下、「土の宿」ホームページより、<br /><br />北海道・東京・大阪・広島・山口・長崎と<br />地元沖縄の多くの人々の協力によって、<br /><br />「平和の中でこそ福祉は存在する」の考えのもとに、<br /><br />真の平和を求める仲間の宿として宿泊していただき、<br />障害者、健常者を問わず、<br /><br />お互いに生きる仲間として、自由に語り、共に考え、<br />本当の福祉と平和を創り出していきたいと想い、<br /><br />沖縄に民宿「土の宿」を建てたいと考えました。<br /><br />沖縄「土の宿」は、お風呂・トイレなどが<br />体の不自由な人が利用しやすいように、<br />設計されつくられていますので、<br /><br />一人でも利用することができます。<br /><br />原則として自炊でお願いいたします。<br /><br /> <br />米、調味料はこちらで用意してあります。<br /><br />これから、続々と定年を迎える人達に<br />生き甲斐とは何か? <br /><br />そんな事を提供・提案してくれそうです。<br />

沖縄での(素晴らしい出会い)

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2009/02/02 - 2009/05/02

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zxc567

zxc567さん

沖縄本島本部港から僅か、30分の伊江島にキャンプに行き、
そこで、感激的な出会いを体験しました。

その人はヒロコさんです。

彼女は子供の頃に脳性麻痺を患い、
車椅子の生活を続けていますが、
とてもバイタリティ溢れる女性で、
画家でもあり、伊江島に民宿「土の宿」を経営し、
オーストラリアにも「土の宿」を経営しています。

私は青少年旅行村にキャンプし、
シャワーをお借りした縁で彼女を知りました。

シャワーだけを使わしてもらったのですが、
故郷の実家に帰ったような雰囲気の民宿です。

ヒロコさんはとても気さくで、明るい方で、
良く海岸に出て、彼女の生き方・世界観をお聞きしました。

70代の彼女は車椅子ながら、世界75ケ国を旅し、
今も世界の何処かを旅しています。

彼女の凄さは以下の記事を読んで頂ければ判ります。

伊江島は沖縄戦の縮図とも言われる島であり、
平坦な地形を持つために、
第二次世界大戦時に日米両軍にとって
飛行場の適地「不沈空母」とされました。

これが、伊江島の悲劇の始まりです。

現在も島の35%を占める米軍用地は、
原爆の投下訓練や、ベトナム戦補給地、
ベトナム少年兵の訓練などに使用されてきました。

沖縄戦は「軍官民共生共死の一体化」という
軍部指導によって日本兵による住民虐殺や、
集団自決が行われた事で有名であり、

伊江島は空と海を米軍に支配され、
物資や戦力を補給出来ず、

「一木一草を戦力化」として
子供、老人、女性に関わらず動員させられました。

4706名の戦死者の1/3が民間人です。

太平洋戦争末期・沖縄戦の激戦地の一つであったと共に、
反戦運動の原点である伊江島に、

1984年沖縄「土の宿」が開設されました。
脳性マヒの障害を持つ、木村浩子さんが経営する宿です。

浩子さんは、自由に動かせる左足の親指と人差指を使って、
童画、俳画を主に描かれる画家であり、

離島で共同生活を体験できる安宿です。

以下、「土の宿」ホームページより、

北海道・東京・大阪・広島・山口・長崎と
地元沖縄の多くの人々の協力によって、

「平和の中でこそ福祉は存在する」の考えのもとに、

真の平和を求める仲間の宿として宿泊していただき、
障害者、健常者を問わず、

お互いに生きる仲間として、自由に語り、共に考え、
本当の福祉と平和を創り出していきたいと想い、

沖縄に民宿「土の宿」を建てたいと考えました。

沖縄「土の宿」は、お風呂・トイレなどが
体の不自由な人が利用しやすいように、
設計されつくられていますので、

一人でも利用することができます。

原則として自炊でお願いいたします。

 
米、調味料はこちらで用意してあります。

これから、続々と定年を迎える人達に
生き甲斐とは何か? 

そんな事を提供・提案してくれそうです。

同行者
一人旅
交通手段
バイク

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