沖縄県完訪ラストスパートの旅 Part2  2002年6月25日(火)〜28日(金)

 

【目的】

 沖縄県の改称局7局を再訪し,沖縄県完訪の布石を打つ.

 

【行程】

[6月25日(火)]:晴れ

   70306 上野(改称局再訪),70301 宮古(改称局再訪)

 2002年末で期限切れとなるJALのマイルが2,600マイルあり,また9月30日手配分まで「JMB特典航空券 インターネットでマイル割引キャンペーン」のおかげで,通常より1,000マイル少ないマイル数でFFP無料航空券に交換できるということで,梅雨明け直後のこの時期に沖縄に行くことにした.また,6月30日利用分まで「国内線ステップアップボーナスキャンペーン」をやっていて,この旅行の予約段階では前の週の北海道行きは全然考えていなかったこともあって,隠岐行きの際のHND-ITMにあと2回搭乗すれば,ボーナスは2,000マイルになることもこの時期に出発しようと考えた理由である.実際は北海道行きの際のHND-CTS(往復)が加わったので,ボーナスは4,000マイルになった.^o^;

 ということで,6月25日のHND-MMY(JTA021),MMY-ISG(JTA947),26日のISG-OKA(JTA622),28日のOKA-HND(JAL932),の4区間のFFP無料航空券(19,000マイル)に,27日のOKA-UEO(JTA201),UEO-OKA(JTA222)を前売り21で追加した.MMY-ISGよりもOKA-UEOの方が前売り21で\100高いが,渡名喜島への船便が欠航した際にキャンセルできるように,OKA-UEOを無料航空券にはしなかった.

 ということで,自宅を5:50頃出発して,羽田空港には7:10頃到着した.

 羽田7:50発JTA021(写真左:宮古空港で撮影)はJEX機材で,当方は初めての利用だった.機内はRECAROシートで,当方にとっては快適だった.

 この後,「沖縄・離島情報 平成14年夏号」で調べた平良11:00発の上野村方面へのバスに,宮古空港近くの新空港前(11:12発だった)で乗れれば利用し,間に合わなければレンタカー利用にしようと機内で考えていたが,宮古には定刻10:50着に対して10分程度早着したので,余裕だった.

 ということで,バス会社(宮古協栄バス)にTELし,バス停位置と時刻を確認して,バス利用に決定した.この後,バスで宮古島〒めぐりとなるのだが,出発前にはバスでまわることができるとは考えていなかった.^_^;

 まず,上野局(写真左)を訪問.ここは,沖縄上野局だった時(1998年5月1日)に訪問済みだが,1999年6月28日に現局名に改称されたので,再訪したものである.

 あらかじめ,〒近くのバス停(学校前)で降ろしてもらえるように運転手さんに頼んであり,11:40頃到着した.バス代は\170だった.

 次のバスは約2時間後ということで,冷房がきいた局内で休ませてもらった.

 学校前から再びバス(写真左)に乗る.バス停は朽ち果てて時刻がわからず,(4つ先の)宮国発時刻が13:55ということなので,早めに13:40頃からバス停で待った.結局,13:48頃来たバスに乗車.

 路線は上野村を一周するようになっていて,往路とは逆回り.ということで,往路,復路とも上野村を4分の3周する遠回りとなった.バス代は\300だった.

 本来なら終点(平良)まで乗るはずだったのだが,宮古局近くの交差点で信号に引っかかったので,バス停ではない場所で降ろしてもらえた.これが後でハマることに….

 バスを降り,東仲宗根局に立ち寄った後,宮古局(写真左)へ.ここは,沖縄宮古局だった時(1998年4月30日)に訪問済みだが,1999年6月28日に現局名に改称されたので,再訪したものである.

 この後,羽田で石垣まで預けた荷物から日焼け止めを出し忘れたため,局の近くのコンビニで購入した.

 この日の予定はここまでで,ファストフード店で遅い昼食休憩の後,平良下里局にも立ち寄った.

 この日の成果は,改称再訪局2局のみで,宝はなかった.

 そして,宮古空港へ戻るためにバス通りを歩いたが,バス停が全然見あたらず,結局2.3km(地図より実測)も歩いた空港前(現在の空港ターミナルからは真裏)までなかった.素直に始発の平良まで戻っておけばよかった,と後悔した.ただ,バスにギリギリ間に合ってよかった.^o^;

 バス代は\130で,宮古島で要したバス代は3回分でわずか\600だった.

 そして,宮古17:55発JTA947(写真左)で石垣に向かった.こちらはJTA機材だった.

 この日は開業1ヶ月ほど(5月31日オープン)の真新しいハイパーホテル石垣島に泊まった.夕食は,W杯準決勝(ドイツ×韓国)を見たかったので,コンビニの弁当+ビールになってしまった.x_x;

 

[6月26日(水)]:晴れ

   70413 西表大原(改称局再訪),70404 大浜(改称局再訪),70418 真喜良,70406 黒島(改称局再訪) (:宝)

 

 まず,石垣島離島桟橋8:00発の安栄観光高速船(写真左:大原港で撮影)で西表島・大原港へ向かう.大原港には8:35頃到着した.

 港から3分ほどの西表大原局(写真左)を訪問.ここは,沖縄大原局だった時(1998年4月28日)に訪問済みだが,同年10月12日に現局名に改称されたので,再訪したものである.場所も徒歩で30秒ほど港に近くなっていた.

 ゴム印は沖縄大原局と同様,カンムリワシの島が入った宝だった.

 大原港9:15発の安栄観光高速船(写真左)で石垣島離島桟橋に戻る.西表島は2度目で,前回は時間はたっぷりあったのだが,雨でほとんど観光できず,今回も滞在わずか40分で戻ることに….x_x;

 バスターミナル10:00発のバスで大浜局(写真左)を訪問.ここは,沖縄大浜局だった時(1991年8月30日)に訪問済みだが,1999年6月28日に現局名に改称されたので,再訪したものである.バスは15分ほどで〒近くの大浜農協前到着.

 大浜農協前10:45発のバスで再びバスターミナルに戻った.

 次は2001年11月19日設置の真喜良局(写真左)で,当初はタクシーで往復しようと考えていた.しかし,バスターミナルに「石垣島レンタカー」のチラシが置いてあり,それによると1時間\1,000(保険,税込)で,タクシーよりも若干安く往復できるということで,レンタカーを利用した.もっと早く気がつけば,大浜局へも利用できたのだが….

 実際は3時間以下の利用の場合,1kmにつき\10の料金がかかるとのことだったが,真喜良局まで往復6km(=\60)はまけてくれた.ただ,満タン返しのガソリンは0.8リッターほど入った.

 そして,石垣島離島桟橋12:30発の八重山観光フェリー高速船(写真左)で黒島へ向かう.30分ほどで黒島港到着.

 黒島港からは有償輸送のワゴン車(\300)で黒島局(写真左)まで送ってもらった.ここは,沖縄黒島局だった時(1998年4月27日)に訪問済みだが,1999年6月28日に現局名に改称されたので,再訪したものである.

 この日の予定はここまでで,成果は新規訪問局1局,改称再訪局3局で,宝は1局だった.

 この日はとにかく日射しが強く,帰りの船の時刻まで外に出ることができなかったが,初めて来島した時はレンタサイクルで島内をまわっているので,よしとした.@_@;

 この後,郵便物輸送を委託されている方に,トラックで港まで送ってもらった.^o^;

 黒島港15:05発の八重山観光フェリー高速船(写真左)で石垣島離島桟橋に戻る.往路と同じ船(サザンクロス8号)だった.

 この後,バスターミナル15:50発のバスで空港に向かう.当方の予約は石垣19:00発JTA622だったが,W杯準決勝(ブラジル×トルコ)を見たかったので,1便早い石垣17:50発JTA620に変更しようと考えていた.実際は,バスが定刻16:04着に対して若干遅れ,16:12頃到着したにもかかわらず,さらに1便早い石垣16:20発JTA616に変更することができた.^o^;

 この日は開業2週間ほど(6月11日オープン)の真新しいホテル東横イン那覇美栄橋駅に泊まった.オープン記念ということで,1泊朝食付きで\3,950(税込)と格安だった.

 

[6月27日(木)]:曇り一時にわか雨

   70053 渡名喜

 

 この日は那覇7:50発JTA201(写真左)に乗るために,ホテルを6:40頃出発した.目的は,2001年7月6日に抜港で訪問できなかった渡名喜島の訪問である.久米島にはほぼ定刻の8:20頃到着した.

 4月1日〜6月30日,9月1日〜30日の金曜日は,久米商船の那覇行高速船(つまりは上りのみ)が渡名喜島に寄港するので,那覇から渡名喜島へ船で日帰り可能だが,↑の2,000マイルのボーナスと,久米島を観光するために飛行機を利用した.

 久米島空港でレンタカーを借り,兼城港へ向かう.この日は波も穏やかで,渡名喜島経由那覇行のフェリー(写真左:渡名喜港で撮影)も問題なく出航した.

 兼城港は定刻9:30に出航したが,渡名喜港には15分ほど遅れ,11:15頃到着した.

 渡名喜局(写真左)は港から5分ほどの場所にあった.局に向かう途中,激しい雨に見舞われた.@_@;

 この日の予定はここまでで,成果はわずか新規訪問局1局だけだったが,前年のリベンジを果たして満足だった.^o^;

 渡名喜港12:00発のフェリー(写真左:兼城港で撮影)で久米島・兼城港に戻った.

 この後,レンタカーで久米島を観光した.イーフビーチ,畳石,あときれいな海などを眺め,のんびり過ごした.そして,風景印がなかったので渡名喜局から差し出さなかった実逓を,仲里局から差し出した.

 それから,久米島空港には郵貯のATM-Cがあり,軍資金補給を兼ねて操作しておいた.帰宅後に調べると久米島局の出張所で,久米島町合併前は自治体を越えた設置だったことになるが,久米島局は久米島唯一の集特ということで納得した.

 久米島18:55発JTA222で那覇に戻り,那覇空港でレンタカーを借り出した.前日と同じホテルに連泊.

 

[6月28日(金)]:晴れ

   70031 石川(改称局再訪),70048 伊是名,70164 松本,70083 志林川(改称局再訪)

 

 まず,石川局(写真左)を訪問.ここは,沖縄石川局だった時(1999年3月11日)に訪問済みだが,同年6月28日に現局名に改称されたので,再訪したものである.

 この日は,ホテルで朝食をいただいた後,西原I.C.から沖縄自動車道に入った.当初,石川I.C.まで乗るつもりだったが,時間が早すぎたので沖縄北I.C.からR329で8:30ちょっとすぎに到着した.

 石川局を再訪後,石川I.C.から沖縄自動車道経由で今帰仁村の運天港には10:00頃到着.本来なら伊是名島からの船が9:55に着いていて,駐車場も空きがあると思っていた.しかし,この日は本来の船がドック入りで,伊江村の「いえしま」(写真左)が応援に来ていて,所要時間が15分ほど余計にかかるとのことで,まだ入港していなかった.(この写真を撮影したときは,駐車場の空き待ち状態. ^_^;)

 伊是名島・仲田港への出航時刻も通常の10:30に対して15分繰り下がり,10:45発に変更されていた.

 復路の船は仲田港出航時刻は通常どおりで,運天港到着時刻のみ15分繰り下がるとのことで,今回唯一スケジュールがタイトで後の予定が詰まっていたので,伊平屋島行きに変更しようかと考えた.伊平屋からの方が20分ほど早く運天港に戻れるので….しかし,実逓用として完訪予定地がデザインされているふるさと絵はがきを購入したこともあり,初志貫徹した.^_^;

 仲田港には変更後の定刻の11:55頃到着.伊是名局(写真左)は仲田港から1kmほど離れていて,汗だくになりながら歩いて訪問した.おまけに登りの往路はちょっと遠回りの道を選んだので,かなり疲れた.

 局前には丸ポストが鎮座していた.

 そして,仲田港13:30発の船で14:40頃運天港に戻った.往路で自動車搬入口から降りると早く地上に降りられることを確認していたので,運天港で降りる際に実践した.この後,16:00までに2局の訪問を予定していて,気分的にはかなり焦っていた.^_^;

 許田I.C.から沖縄北I.C.まで沖縄自動車道を使い,R329から県道85を左折し,県道85沿い右側の松本局(2001年10月1日設置)を訪問.ここは,中央分離帯に阻まれて,Uターンしなければならなかった.この時,時間は15:45頃.最後の局にも間に合いそうで,安堵した.^o^;

 そして,再びUターンして県道85東行きに戻り,県道75を左折.県道75沿い右側の志林川局を訪問した.ここは,赤道局だった時(1999年3月11日)に訪問済みだが,2002年2月18日に現局名に改称されたので,再訪したものである.ここで,沖縄本島の完訪タイトルを取り戻した.

 この日の成果は,新規訪問局2局,改称再訪局2局で,宝はなかった.4日間トータルの成果は,新規訪問局4局,改称再訪局7局で,宝は1局だった.

 この後,再び松本局の前を通り,県道244を左折.¢沖縄美里店でおやつを食し,沖縄県内のCoCo壱番屋も完訪(その後,2002年8月13日に那覇久茂地店オープンにより,完訪タイトル返上)となった.^_^;

 そして,レンタカー返却後,空港まで戻り,那覇20:10発JAL932で帰宅した.この旅で乗った飛行機はすべてB737-400だったが,6回目のB737-400はJEX機材だった.^o^;

 今回の旅行の結果,沖縄県の訪問状況は下のようになり,未訪局は伊平屋,粟国,座間味,阿嘉の4局となった.


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