リンク
屋島合戦

         屋島合戦図
義経は大阪・摂津から勝浦@に渡海、壇ノ浦の奥にあった平家総門Bを急襲、平家本陣は海上Dに逃れた。

香川県高松市屋島東町1808 撮影:H20.3.13

源平合戦で名高い屋島・壇ノ浦古戦場は屋島とその東に突き出た五剣山半島の間の壇ノ浦が主戦場であった。屋島寺は屋島の山上にあり、現在の寺は空海創建の第84番・四国霊場で、屋島観光の目玉はむしろこちらになっている。

        屋島寺の東大門
駐車場から血の池の横を50mほどの奥にある。遍路道から進むと仁王門がある。

       屋島遠景
11号線から撮影した屋根の形をした屋島

義経と相川音頭:佐渡の民謡・相川音頭に屋島合戦の時の源義経の弓流しを歌った「どっと笑うて立つ浪風の、荒き折節義経公は、如何にしつらん弓取り落とし、然も引き潮矢よりも早し」の歌詞があるが、江戸時代の金山奉行が民衆を鼓舞しようと、従来の歌を勇ましくするために、古来の武将の歌詞に替えたもので、屋島合戦とは直接の関係はない。

屋島寺(四国霊場第84番)
天平勝宝6年(754)鑑真和尚が開基。弘仁6年(815)嵯峨天皇の勅願で、空海がそれまで北嶺にあった伽藍を南嶺に移して造営したのが現在の屋島寺である。本堂は鎌倉後期の建築で、本尊はカヤ一木造りの十一面千手観世音菩薩。
また徳川家康所持の太刀もある。

           壇ノ浦
屋島山上から見た現在の壇ノ浦。正面は五剣山。

BACK
TOPへ

屋島:地図では陸続きの半島になっていて島と言うのはおかしいが、源平時代は狭い浅瀬で隔てられた島であった。現在でも半島の付け根を狭い相引川が横断しているので、厳密には島と言ってもおかしくない。

屋島・壇ノ浦合戦:
寿永4年(1185)2月18日、義経はわずか150騎の軍勢で嵐の中を阿波の勝浦へ渡り屋島の平家軍を背後から急襲した。慌てふためいて海上へ逃げた平家は、源氏の兵力が意外にすくないのに気づいて「ー、しまった」と叫んだので、屋島の名前がついたとか。
有名な那須与一の的射や義経の弓流しは、屋島と五剣山半島の間の壇ノ浦の合戦のエピソードである。
壇ノ浦は一般に平家が滅亡した下関海峡を指すが、ここ屋島でも壇ノ浦合戦と言うのでややこしい。

四国の高松道)高松東ICを出て標識に従って走れば30分程度で屋島寺駐車場に着く。高松道は瀬戸中央道又は淡路鳴門道と接続しているので、関西や山陽から迷わずに行ける。

           瑠璃宝池(血の池)
弘法大師が宝珠を投げ入れたので瑠璃宝池と言われるが、源平合戦時に血刀で赤くなったので、血の池とも言われる。
高松市観光課のHPから転載

           屋島の太三郎狸
四国狸の総大将、化け名人で人望もあった。佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸が日本三名狸の由。

             大師堂
弘法大師を祀る大師堂。横に観音像を祀る千躰堂と阿弥陀・釈迦如来、鑑真和尚を祀る三躰堂がある。

           相引川
四国本土と屋島をかろうじて隔てているが、短い橋が多数架かり陸続きと同じである。

        本堂と鐘楼
中央奥が本堂。左手前の鐘楼が「平家供養の鐘」と呼ばれている。

   屋島古戦場と屋島寺